MINANOGAWA 200号記念 特集

ご隠居 この三名之川も、今月で創刊二百号や。

熊さん よく続きましたね。二百号といえば、毎月一回発行しているとして十六年と半分ほどですな。

虎さん 半分ほどって、詰めがええかげんやな。

熊さん まあ、計算が難しいというか、微妙で・・・。

ご隠居 まあまあそんなに間違ってないと思うで。

それで会長はんもなんか記念号と思ってたらしいけど、いろいろ忙しくって、百号は記念誌を出したから、二百号は、百一号から百九十九号までの中で、記憶に残った言葉なんかを再録するということでお茶を濁そうということに決定したらしいねん。

虎さん ええかげんな話を大層に決定しましてんな。

ご隠居 まあまあ

 それじゃ、まず熊さんの選んだ語録と、巻頭言からいきましょか。

熊さん 全文じゃないので、わかりにくいものもあるかもしれませんが、ちょっと気に入ったものばかり集めてみました。

 

 

 

熊さん それでは最初は語録から幾つか拾ってみました。

まずは信者さん方の語録から。信者さんの会長への評価が仄見える素晴らしい語録です。

◎この会長さんでよかったなあ

「毎日夕方より信者さんといっしょに十二下りのおつとめをしている」という教会の話をすると、Nさんよりの一言。喜ぶべきか、悲しむべきか・・・・?。

熊さん 会長さんは意外と何かを作るのが好きです。泉を作った時の信者さんの反応から

◎今回は何も言いません。会長さんらしい仕事ですな。      

      会長さんらしい仕事という言葉に、何もかも言っているような気が・・・・。

◎これは癒しの泉やから、つらいこと

あったら、なんぼでもここで泣くよう

にという会長の言葉に、

「私は大丈夫と思いますけど、主人に言ってやってください」と、 NMさん

      コメントは差し控えさせていただきます。

「会長さんがしたんでっか。たいしたもんですな。」

とうれしい褒め言葉。ただし後が悪い。

「業者がしたんやったら、絶対文句言わなあかんと思ってまし

てん」       NMさん(前述のNMさんとは別人です)

 

✩ペットを飼うより大変やあ。

神様をお鎮めさせていただき、日々のお仕えの仕方を聞いてRさんの一言。

今まででやっぱり一番インパクトあったなあ。

熊さん 信者さんばかりでは悪いので、会長家族の語録より。

いつもと違う。たまたまや。

会長夫婦が留守をして夕づとめを頼まれて参拝した信者さんに、義母が「いつもすみません」というのを聞いて、晴徳が一言。

会長  最近はいつも大勢の人が夕づとめに帰ってくれています。ありがとうございます。

熊さん 落ちがついたところで、今度は巻頭言から抜書きしました。

 

 

身体の老化は仕方がありません。子どもの時、どこへでも跳んでいけた足も弱り、ふさふさだった髪は抜け落ち、丈夫だった歯も弱ってきました。輝いていた眼も白内障で濁りがちです。

でも、心の目も白内障にはなっていませんか。身体の白内障よりも、若い時からかかりやすいそうですよ。

 

◎忘れるというのは、神様がその悲しみを自分に変わって引き受けてくれているのではないかと書いた。それは悲しみを忘れさせてくれるのは神様の領分だから、お前達はお前達の出来ることをしっかりせよと教えてくれているように思うのだ。

神様が悲しみを忘れさせてくれるのだから、私たちは喜びを忘れないようにしたら良い。辛い悲しいことは神様が忘れさせてくれるのだから、私たちはうれしい楽しいことをしっかり覚えておけばよいのだ。あの人にこうされたと嘆くのではなく、あの人にこうしていただいたと喜びをしっかり覚えておけばよいのだ。

そして、忘れることは神様の領分だから、人にしてやったことは、いつまでも覚えておかず、忘れてしまったらよいのだ。忘れたら神様に届くのだから、あっという間にわすれてしまい、早く神様に届いて天に貯金してもらったらよい。この不景気でさえ利息は、今も変わるず一粒万倍のはずだ。

 

◎「見させていただき、喜ばせていただいてばかりいた私共の教会からも、やっと喜んでいただく側に回らせていただける子供を、御守護戴けた」と、今は亡き鷲家分教会の親会長が、嬉しそうに語ったのを懐かしく思い出す。ある信者さんの子弟が、こどもおぢばがえりの親里パレードに出場したときのことである。  

 

◎ここぞというときにご守護をいただくためには、ここぞという時ではない日々の積み重ねが一番大事だと思う。

 

◎車から吸殻を撒き散らした人も、おそらく自分の家の庭だったらそんなことはしないだろう。

逆に天理では落ちている吸い殻をわざわざ拾っている人もみかける。人にとって自分の庭の大きさはずいぶん違うのかもしれない。

 

◎人が「何故私が」と問い掛けるときは、そんなことを聞きたいのではない。何故こんな事情、身上が自分の身に降りかかってくるのかがわからない。もっといえば何故私だけがこんな不幸にならなければならないのかということなのだ。

その証拠に「何故私はこんなに幸せなんでしょう」と、聞かれたことはない。最もそんなことを聞かれた日には、腹が立って眠れないかも知れないが・・・・。

 

◎「誰が見ていなくても、おてんとう様(お日様)が見ているよ」とよく聞いたものである。誰かに言われたという記憶があるわけではないが、どこでも誰でも言っていたような気がする。そんなことを本当に信じていたかどうかはわからないが、それを是とする社会があったのだと思う。

人間はひとりだけで生きていけるものではない。誰かに見つめられているという思いは、人の生きていく上での大きな糧になるだろう。

 

◎人は愛され、見つめられていると感じる時、安心しやさしくなれるのだという。私達はいずれ子供を残しこの世界を去らなければならない。一人になった子供たちが、私達がいなくなっても目に見えない何かを感じられるならば、そんなに世の中は悪くならないのではないかと、私は思う。

 

◎わし等はいんねんというような言葉を聞いたら、過去に自分がしてきたことが、今におこっているように思い勝ちや。

 せやけどもっと大事なことは、今の自分の思いが、明日のいんねんをつくり、自分を作っているということや。

 

◎金をいくら儲けたという話を聞いても、うらやましくなるのが落ちで、私達は感動をしない。

私達が何に感動するかを考えた時、私は、世の中って、人間って捨てたものじゃないと思ったりする。

 

◎作ったという割には思い通りの顔にもできず、育てたという割には願い通りの性格には育たないのが子供です。

ですからさずかりものであり、あずかりものなのです。

 

◎信仰をしているのは、当たり前だが私である。そして世界中で信仰をしているのは私しかいない、ということだ。変なことを書くようだが、それが大事な点だと私は思う。私と神様と言う垂直な関係の中で考えれば、私以外に信仰者はいないということであり、それゆえ只問われているのは、私の信仰だけなのである。それは私だけではなく、誰もが同じことで、たとえばあなたと神様という垂直な関係の中に、会長であっても私の入る余地は無い

 

◎夫婦というのは本等に不思議なものだと思う。血のつながりのない二人が一緒になって、そして血のつながっている親兄弟よりも近しい存在になるのだ。その見ず知らずの他人が一緒になって、初めて子供が授かるのだ。陽気ぐらしの原型が夫婦なのだ。

 

◎私にとっての人生は、私にしかできないことをせよという神様の思いによって、与えられたものだ。そして今いるあなたの状態は、あなたの今までの心の集大成なのだ。それがあなたにとって幸せなのか、不幸せなのかは私にはわからない。しかし、もし不幸せであると思うのならば、あなたは誰にでもできることを追い求めすぎて、自分にしかできないことをなおざりにしてきたのではないかと思う。

それはあなたが、十代であっても九十代であっても同じことだ。誰にでも出来るという事は、比較してしまうことにつながっていく。自分の人生を誰かと比較して、幸せだとか、不幸せだとか考えてはいないだろうか。あなたにしか使えない身体と心を与えていただきながら、それではあなたの人生はあまりにもったいないのではないだろうか。

◎おそらく今この時の事も、これから十年先・十五年先に振り返ったら、あの時はしあわせだったなあと思うはずだと思う。今というものはそんなもので、振り返る時には、いろんないやなことは消え去って、楽しい思い出だけが残るせいかもしれない。でもやっぱり、喜びが足りないのだと思う。何十年も先になって、あの時は幸せだったなあと思うよりも、今もっと喜んでおくべきだと思う。

 

◎人生を四季にたとえて、青春・朱夏・白秋・玄冬という言い方をすることがあるが、色の濃い青や朱の色の時には見えなくても、白くなり暗くなってきて初めてほのかな、しかし確かな光に気がつくことがあるのだと思う。

 

ご隠居 最後の文章はいいなあ。わしも最近は年をとってきたので、そんなきがするようになってきた。

熊さん おれが子供の頃からご隠居はご隠居だったような気が・・・。こっわあい。。。

虎さん 熊さんが取りすぎで、わしの少女趣味コーナーからは、二つしか再録できんようになったやんか。

 井上和清さんという人です。「飛鳥よまだ見ぬ子へ」という映画になった人です。若くして癌で亡くなりました。

 

 

あたりまえ                 井上和清



 あたりまえ
 こんなすばらしいことを みんなはなぜ よろこばないのでしょう
 お父さんがいる お母さんがいる
 手が二本あって 足が二本ある
 行きたいところへ 自分で歩いてゆける
 手をのばせば なんでもとれる
 音が聞こえて 声が出る
 こんなしあわせは あるのでしょうか

 しかし だれもそれをよろこばない
 あたりまえだと 笑ってすます
 食事がたべられる
 夜になるとちゃんと眠れ
 そしてまた朝が来る
 空気を胸いっぱいにすえる
 笑える 泣ける 叫ぶこともできる
 走りまわれる みんなあたりまえのこと
 こんなすばらしいことを
 みんなは決してよろこばない

 そのありがたさを知っているのは
 それを失くした人たちだけ
 なぜでしょう あたりまえ 

 

 

 

虎さん もう一つ、ブレークの詩の一節です。

だから人間は素晴らしいのだと思います。

 

一粒の砂に一つの世界を見

一輪の野の花に一つの天国を見る

手のひらに無限を乗せ

一瞬のうちに永遠を感じ