あなたの家の神様

あなたの家の神様  

    みなの長屋信仰談義が、大好評?の内に終わりました。今月より、以前神様をお祭りされているお宅へお配りしました「あなたの家の神様」という小冊子を、何回かに分けて掲載します。筆者はN・Yさんです。 

1.神実さまと霊さまのこと

 @神実さまって何?

 あなたの家には神様のお社がありますか?

お社が2つある家と1つしかない家があると思いますが、お社が2つある家は、大きい方のお社に神実さまが鎮座されているはずです。小さい方にはその家の霊さまが入っておられると思います。

 お社が1つしかない家は、神実様だけをお祀(まつ)りしておられる家です。その家は、まだ天理教に改式されていないか、あるいは改式はしていても、一時的に親元を離れて住んでいるので霊さまをお祀りしていないか、このどちらかの理由がほとんどだと思います。

「うちの家は分家だから霊さまはお祀りしなくてもいい」と考えておられる方があるかもしれませんが、その考えは改めて頂いた方が良いと思います。

本家であろうと分家であろうと天理教に改式されているなら、ご自分のご先祖さまなのですから、ちゃんと家にお祀りすべきだと思います。

さて、大きい方のお社に鎮座しておられる神実さまに話を戻します。

神実さまのご正体は鏡です。つまり、神実さまは、親神様の御守護の理(神様のお働き)を映す鏡のことです。その大きさは、親指と人差し指の先端をくっつけてOKサインをして下さい。だいたい、それくらいの大きさです。

神実さまは、おぢばより大教会(直属教会)へお出し下されているものです。それを上級教会、所属教会と順序の道を通って下附されてきて、そしてあなたの家にお祀りされています。

ちなみに、教会にある一番大きなお社には、親神様の御守護の理を映すお目標(めどう)さまが入っています。お目標さまも神実さまと同じ鏡ですが、その大きさに違いがあります。教会のお目標さまというのは、おぢばより各教会へ直々に教会名称の理のお許しとともにお出し下されたものです。

神実さまであれ、お目標さまであれ、親神様の御守護の理を映すということに違いはなく、決して御守護に差がある訳ではありません。

親神様は、私たちがどこにいても、私たちの心通りに御守護をして下さいます。

そして、親神様の御守護こそが、親神様そのものなのであります。

私は、ある先生に「教会には、真柱様より偉い方がおられる。いつも私たちをお守り下さっている親神様、教祖(おやさま)がお座りになっているのだから、日々に失礼のないように、精一杯、心をこめてお仕えさせて頂かなければ、申し訳ないのやで」とお教え頂きました。親神様の御守護を軽んじることなく、理を重くして通らせて頂くことが、結構な御守護を頂く元であると思います。これは、教会に限らず、神様をお祀りしている家でも同じことです。

 

A 霊さまって誰のこと?

次に霊さまのことですが、霊さまとは、いったい誰のことでしょうか?

人間には、魂と肉体があります。人間は、その肉体に魂が宿った瞬間に心が生まれます。人間の魂は、ずっと生き通しで、何度も何度も生まれ変わりを繰り返しています。そのうちに、人間の心遣いの理によって、魂には徳というものと因縁(いんねん)というものがついてきます。人間は肉体が滅び、その一生が終わっても、魂についた徳と因縁を持ち越して、次の世に生まれ変わります。人間は自分の徳にふさわしい因縁のあるところへ、神様からまた新しい身体をお借りして生まれ変わってくるのです。

人間の因縁は、人間の魂が誕生した時から存在する「元のいんねん」というものと、生まれ変わりを繰り返す間に自分が積んだ「持ち越しのいんねん」というものがあります。

「元のいんねん」というのは、人間は神様の子供であるということです。

親神様は、「人間が陽気ぐらしをするのを見て、神も共に楽しみたい」と思召されて人間を創造されました。人間というものには、元来、「陽気ぐらし」という神様の思いが込められている訳です。「元のいんねん」のない人間などは存在しないのですから、何度生まれ変わりを繰り返しても、人間である限り、「陽気ぐらし」を実現できる可能性を秘めているということになります。

「持ち越しのいんねん」は、前生、前々生のことだけにわかりにくいのですが、自分の身の上に現れてくることをできるだけ上手に悟って、今生、生きている間に、それを徳に切り替えておく方が良いと思います。

「いんねん」の話はたいへん説明が難しいので、この辺でやめておきます。

興味のある方は、会長さんに詳しくお尋ね下さい。

 天理教では、「死」がすべての終わりというのではなく、次への出発という意味がありますので、死ぬことを「出直し」と言います。人間は出直したら、次に生まれ変わってくるまでの間、どこにいるのでしょうか。その間、人間の魂は親神様に抱かれていると考えるのが、一般的な悟りであろうと思います。しかし、「この世は神の身体」とお教え下さっているのですから、神様の身体に抱かれているということは、人間は死んでもこの世にいることになります。

さて、この世のどこにいるのかということになりますが、私は、生前、その人に縁のあった人々の心の中にいるのではないかと思うのです。

 何代も前のご先祖さまのことを思っても、お顔も浮かびませんし、思い出もありません。自分の心の中におられる霊さまのことを思い、朝に夕に霊さまを拝して、その霊さまに喜んでもらえるような心で通らせて頂くのが、私たちのつとめであるとも思うのです。

 

あなたの家の神様  

   神様を祀らせていただこう

この会報を配らせて頂いているお家の中には、神様を御祭りされている家もあれば、そうでない家もあると思います。私としては当然どの家も神様を御祭りしていただいて欲しいと願っていますが、それには次のような理由もあるのです。

以前書いた巻頭言を掲載いたしますので、どうぞお読みください。〔決して手を抜いているのではありません。念の為〕

『親が子を殺したり、子が親を殺すような寂しくつらいニュースが続きます。

マスコミは、様々な凶悪事件の原因をいろいろと述べていますが、私にも一つ思い当たる節があります。天理教の会長が言うと我田引水のそしりを受けるには違いないと思いますが、神棚や仏壇がない家が多くなってきているのもその原因の一つではないかと思うのです。

 以前はどの家にも神棚や仏壇が有りましたが、都会に人々が出て行くようになり、仏壇や神棚がない家が増えました。 

 教会の信者さんでも、故郷の家には神棚があるが、都会へ出た息子の家には何もないという人も多いようです。そして信者さんに限らず、都会には仏壇も神棚もない家が多いと思います。

それが凶悪事件の原因などというと、どうも変な話のように聞こえるかもしれませんが、直接の原因でなくても遠因の一つには違いないと思います。信仰があるからたすけていただくのだという話を、今したいのではありません。信仰以前の話として、家に神棚や仏壇があるということの意味について話をしたいのです。

一言でいって、家に神棚や仏壇があるというのは、家の中に柱が一本通っているということです。神様は男は柱、女は台とお聞かせいただきましたが、現在の柱はぐらつきぱなしです。台も同じ所にどっしりとしている人が少なくなってきました。いい悪いは別にして、友達親子なんて言葉がはやるぐらいですから、親の権威は昔と比べて随分低下したようです。権威が無くなっても尊敬され信頼される親であるならば、何も問題はないのですが、こんな時代、親も右往左往して、小学生も高学年ぐらいになれば子供も親の実体を見抜いて、なかなか尊敬や信頼を掴むのも難しいようです。  

そんな時にみんなが一つのものに、それも目に見えない何かに頭を下げる場所があるということは、昔以上に大切なことだと思うのです。何か目に見えないが大事なものがあるということを、小さいうちから教えるのは親の大切な役目ですが、それを教えることは意外と難しいものです。親の無償の愛に気づいた時、非行が止むと聞いたことがありますが、そんな目に見えないものを気づかせるためには大変な努力が必要です。

しかし、神棚や仏壇に小さい時から手を合わせさえすれば、自然に目に見えないものを感じる力が養われると思うのです。  

人は愛され、見つめられていると感じる時、安心しやさしくなれるのだといいます。私達はいずれ子供を残しこの世界を去らなければなりません。一人になった子供たちが、私達がいなくなっても目に見えない何かを感じられるならば、そんなに世の中は悪くならないのではないかと、私は思うのです。』

あなたの家の神様  

  3.日々のつかえ方

@お供えをしましょう

日々、神様には食べ物をお供えさせて頂きます。食べ物は、人間の命をつなぐものです。だから、食べ物を粗末にしてはいけません。神様への日々のお供えは、今日も自分の命をつないで頂いている感謝の心をお供えさせて頂きます。

まことに当たり前の話ですが、人間が先に食べた残り物は絶対、神様にお供えしないで下さい。よそから頂戴した物でも買ってきた物でも、真っ先に神様にお供えをするようにして下さい。そして、お供えをする時は、覆面(白い紙製マスク)をお忘れなく。これは、お供え物に人間の息がかかってはいけないという理由からです。要するに、何事するにも感謝の心から真実を込めてつとめさせて頂けばよいと思います。覆面は教会にたくさんありますので、ご希望の方はお申し出下さい。

お供え物は、食べ物ならば何をさせて頂いても良いと教えて頂いております。一例として、御神酒(あるいはお水)を真ん中に置いて、右にお米、左に魚類(おじゃこ)、これで3台の御神饌(おしんせん)となります。また、献饌台が2台ある場合は、上段の真ん中に御神酒を置いて、下段の真ん中にお米、その右に野菜類、左に魚類(おじゃこ)を置くと、全部で4台となります。毎朝、御神饌をさせて頂き、その日にお下げ(撤饌てっせん)して下さい。お下げの時は、覆面をつける必要はありません。

 A おつとめの時間ですよ!

朝夕のおつとめは、なるべくちゃんと時間を決めてつとめさせて頂きましょう。

おぢばでは、天然自然の理にしたがい、日の出、日の入りの時間につとめられています。各教会もこれに合わせるのが理想ですが、なかなかそうもいかないのですが、決めた時間だけは守ってつとめられています。ちなみに三名之川分教会は、朝づとめは午前六時、夕づとめは、午後七時十五分です。

時間を守るということは、時間を大切にしていることにもなります。私たちの人生は、時間の積み重ねですから、時間を大切にするということは、人生を充実させることにつながっていきます。私たちは、親神様に生かされて生きています。これは、すなわち親神様から時間をお与え頂いているということにほかなりません。教会の御用をさせて頂いたり、おつとめをつとめさせて頂いたりすることは、親神様から自分にお与え頂いた時間をお供えしていることにもなるのです。

朝夕のおつとめは、毎日欠かさずに、真剣につとめさせて頂きましょう。

 B朝夕のおつとめ

第一節「あしきをはらうて、たすけたまへ…」

おつとめは、「あしきをはらうて、たすけたまへ…」(第一節)を二十一回、繰り返しさせて頂きます。なぜ二十一回なのかという質問がよくありますが、実はよくわかりません。天理教では三回という回数が「万(よろず)つなぎの御守護」という神様のお働きを表し、私たちの命をつないで頂くことを意味するようです。そして、七回という回数が、「切ること一切の御守護」という神様のお働きを表し、これは、親から子を切り離す、つまり新しい命の産まれ出しと、出直し(死)の時に息を引き取ることを意味するようです。これによって、つないで切って、切ってつないで、三回×七回=二十一回となります。人間を産み、育て、切るという親神様のお働きが、二十一回の理であると、よく聞かせて頂きますが、これも、偉い先生の悟りであると思いますので、本当のところは、よくわかりません。

なぜ、二十一回なのか。それは、おやさまが二十一回とお教え下さったからですと答えるのが一番、正しいのかもしれません。とにかく、こうして第一節は、人間が親神様にたすけを願うお歌を二十一回繰り返します。

 次は「ちょっとはなしかみのいふこときいてくれ…」(第二節)を一回だけさせて頂きます。

このお歌は、親神様の方から人間に教えを説き明かされております。地と天を象りて夫婦を拵えたと陽気ぐらしの元をお教え下さっております。

そして「あしきをはらうてたすけせきこむ…」(第三節)を三回、三回、三回と区切って、合計九回つとめさせて頂きます。このお歌は、元々、「いちれつ澄ます、かんろだい」というお歌でしたが、おやさまが「いちれつ澄まして、かんろだい」と変えられました。

「いちれつ澄ます、かんろだい」ならば、親神様が主導で、一れつ陽気ぐらしの世界(かんろだい世界)に何が何でも立て替えるという強制的な感じを受けますが、「いちれつ澄まして、かんろだい」となって、私たち人間が自分たちの努力で心を澄まして陽気ぐらしの世界をつくらせて頂きたいと願う人間主導の形に変えられたものと思います。

これこそ、親神様の深い親心の現れであると思います。

おつとめをつとめさせて頂く前と後に礼拝をさせて頂きますが、この時、必ず親神様、おやさま、霊さまの順に礼拝をして下さい。そして、おやさまのお社がなくても、存命のおやさまに必ず礼拝するようにして下さい。

そして、朝夕のおつとめは、できるだけ家族揃ってつとめさせて頂きましょう。

 

 

Cおつとめの地歌の大意

あしきをはらうてたすけたまへ てんりわうのみこと

一切のほこりを(神様の教えをほうきとして)心から払い、諸々の疾病災厄を一掃して、どうかお救けくださいませ、親神天理王命さま。

 

ちょとはなしかみのいふこときいてくれ あしきのことはいはんでな このよのぢいとてんとをかたどりて ふうふをこしらへきたるでな これハこのよのはじめだし

これから親神の本心をはっきりと簡明に話するから、親神の言うことをしっかり聞いてもらいたい。親神は決して邪なことは言わぬ。親神は、たすけ一条の親心から人間を救け、この世を明るくする神一条の話をする。

親神は、天地の理を象って夫婦をこしらえた。一夫一婦の理は月日親神の理を受け天地の理にならう重い理であって、夫婦和合の理にこそ、陽気ぐらしの世界は生まれてくる。

 

あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい

 世界中の人間の心から一切のほこりを掃除して一日も早く世界一れつを救けたいと、親神は急き込んでいる。世界中の人の心を澄まし、陽気ぐらしの世界を実現して、人間創造の親里たる「ぢば」に甘露台を建設することこそ、親神の切なる念願である。


あなたの家の神様  

4.月々のおつとめ

4‐1.信者宅祭の日

月々に所属教会の会長さんか教会の人が来られて、おつとめをして下さると思いますが、それを信者宅祭、あるいは講社祭とも呼びます。

宅祭の日は、その家にとって一番大切な日ですから、前もって家中を出来るだけ奇麗に掃除しておくことも大事なことです。

宅祭の日をいつにするかは、教会の会長さんと相談して下さい。そして、毎月何日の何時頃からというように日と時間を決めて頂くのが理想です。

家の都合も、会長さんの都合も、その月々によっていろいろあると思いますが、できるだけ理想的なつとめ方をして下さい。

あなたの努力の積み重ねは、必ず、神様がお受け取り下さるはずです。その内きっと、あなたにも良いことがあると思います。必ず、きっと。

 

 

 4‐2.お供え(献饌)物

お供え物をさせて頂く前に、覆面をつけて下さい。そして、まず神様のお社のお扉を開けて下さい。これを開扉(かいひ)と言います。この時、緊張して力を入れ過ぎると、扉をつぶしてしまう恐れもありますので、注意して下さい。お扉は、ゆっくり、そろっと、厳かに開けて頂いたら結構かと存じます。

次に、覆面をつけたままで、お供え物を神様の前に運んで下さい。

 神様へのお供え物は、日々よりも多く増やして、その季節の旬のものなどもお供えさせて頂くようにすれば、なお良いと思います。自分たちは日頃からいろいろと美味しいものをたくさん食べているのに、神様へのお供え物が、いつも粗末な物ばかりでは大変申し訳のないのであります。

特に、宅祭の日のお供えは、精一杯の真実を込めてさせて頂きましょう。

お供え物の台数については、お社の大きさにもよりますが、六台から十五台くらいですので、一般的な例を紹介しておきます。

 

 

例1)六台の場合

Bお 魚(上段左側)・@御神酒(上段中央)・A洗 米(上段右側)

E御菓子(下段左側)・C野 菜(下段中央)・D果 物(下段右側)

例2)九台の場合

Bお 魚(上段左側)・@御神酒(上段中央)・A洗 米(上段右側)

E野 菜(中段左側)・C 卵 (中段中央)・D野 菜(中段右側)

H塩 水(下段左側)・F果 物(下段中央)・G御菓子(下段左側)

*塩水は「えんすい」で「しおみず」ではなく、塩とお水をお供えして下さい。

例3)十五台の場合

Dお 魚・B洗 米・@御神酒・Aお 餅・C乾 物

I海 草・G野 菜・E 卵 ・F野 菜・H海 草

N 水 ・L御菓子・J果 物・K果 物・M 塩 

 

内の数字は、お供え(献饌)する順番です。

また、お供え物をお下げ(撤饌)する時は、お供えする時と逆の順番でお下げをして下さい。

(おつとめが終わって会長さんが帰られたら、お供えをお下げして頂いて結構です。)

 

 4‐3.おつとめ

 おつとめを始めさせて頂く前に、会長さんの祭文奏上があるはずです。祭文の内容は、日々に親神様より頂戴している御守護への御礼が主であり、さらにその時、その旬の心定めも盛り込まれていると思いますので、しっかり聞いて心に治めさせて頂きましょう。

 宅祭のおつとめは、会長さんが拍子木を打って下さると思いますが、この時も家族揃って参拝して、会長さんの声に合わせて一緒におつとめの地歌を歌わせて頂きましょう。

このおつとめは、本当に大切なのです。教祖は、

「命の切り替えする大切なつとめやで」とお教え下さいました。

命の切り替えとは、「人間は生きながらにして生まれ変わる」(諭達第一号)とお教え下されているところであると思います。

お互いに心してつとめさせて頂きましょう。