巻頭言  今もおてんとうさまは見ている

                  6月

 子供の頃、「うそつきは泥棒の始まり」と、よく言い合ったような気がします。子供同士の他愛のない話の中で、話を盛ったり誇張したり、また子供にとって理解できない話になると、「そんなんうそや。うそつきは泥棒のはじまりなんやで」などと子供同士言い合っていました。

 そんな他愛もない嘘をよくお互いについていたような気がしますが、その嘘をいけないことだと教える「おてんとうさまは見ている」というような世間知も確かに存在していました。

 でもいったい今はどうなっているのでしょうか。大の大人がうそのつきあいをしています。

 今テレビで騒がれているのは、政治的には「森友問題と加計学園問題」これはテレビ局もいろんな忖度が必要なようで、テレビの報道は、どちらがうそをついているとは明言していません。どちらがうそをついているのかテレビの報道がほぼ断言しているのが「日本大学アメフト」問題、こちらはそんなに忖度も必要ないのか日大のアメフト元監督が悪者のようです。そしてテレビの話題は、今「紀州のドンファン不審死」問題が花盛りです。果たして犯人は誰なのでしょうか。(移ろいやすいテレビの世界ですからこれをお読みくださる頃には、全てがずいぶん過去の話題になっている気もしますが・・・)

 このいずれもが、どちらかがうそをついているのです。ちょっと落ち着いて考えれば、どちらがうそをついているのは一目瞭然なのに、隠し通せると思っているのでしょうか。

 加計問題に至っては「私がうそをついたようです」などと無意識に嘘をついてしまう人まで出てくる始末です。

 「無理が通れば道理が引っ込む」という諺もありますから、嘘をつき続けていれば、時間が経って人々は忘れると思っているのかもしれません。まさかばれなければいいと思っているのではないでしょうが、「美しい国日本」がいつの間にか、さもしい国になっていくだけではすまないような気がします。

 私たちは人間には魂があるとお聞かせいただいています。嘘はその魂に大きな影響を与えるのではないでしょうか。

 おふでさきをひも解けば、うそに対して次のようなお言葉がすぐに思い浮かびます。

 これからハうそをゆうたらそのものが

     うそになるのもこれがしよちか   12112 

 月日にハうそとついしよこれきらい 

     このさきなるわ月日しりぞく    12113 

 いま「忖度」(そんたく)という言う言葉も話題になっていますが、辞書で調べると忖度(そんたく)とは、「他人の気持ちを推し量ること、推察」となっており、別に悪いことではありません。ですから今テレビで使われている忖度は、追従(ついしょう)「こびへつらうこと」という意味のほうが近いように思います。

 神様が「その先なるは月日しりぞく」とまでおっしゃている「うそとついしょう」にまみれながら、私たちは毎日そのテレビの洗礼を受けています。

 私や息子たちは、加計問題や日大問題などが出てくると、「もう飽いた、見たくない」とテレビのチャンネルをすぐに変えてしまう、うつろいやすい視聴者の代表格です。

 ですからそれは、私の心にあまり影響を与えていないかに見えます。しかし本当にそうだろうかと、思わずにはいられません。心は見たくないと拒否していますが、この世の中の風潮が、大気汚染が人々の身体を壊すのと同じように、日本全体を覆って、私たちの魂を毎日毎日汚しているのではないかと危惧するのです。

 私たちが子供の頃よく言い合った「うそつきは泥棒の始まり」という言葉も「おてんとうさまが見ている」という言葉も、死語に近い言葉になってしまいました。誰もそんなことを信じなくなったのかもしれません。私たちをいつも見ていてくれたおてんとうさまがいなくなり、うそをつくというハードルがこんなに軽くなってしまった今、私たちはこれからどんな世界に向かおうというのでしょうか。

 自分を律するものが自分しかいないのであれば、自分の快・不快を自分の行動基準にする人を責めるわけにはいきません。私たちは何をしても許されると考える、魂の汚れた人をそこかしこに見かけるようになりました。遂には人を殺したいから、人を殺しましたという人さえ現れるようになりました。

 宗教は、私たちを律するものが、私たち以外にあるということを教えるものです。今こそ本当に宗教の必要な時代なのです。本当の宗教の必要な時代です。

 私たちは「教祖のひながた」を、教祖の生き方を今こそ声高に掲げるべき時なのだと思います。