今年のカントウゲン(関東言)

牛馬と見える道があるぞや167年2月

 

熊さん ご隠居こないだ教会でおふでさきを読んでいたら、「だんと をんかかさなり そのゆへハ きゆばとみへるみちがあるから」八号 54 というお歌があったのですが、人間は牛や馬に生まれることもあるんでっか。

虎さん 生まれ変わるて、人間は生まれ変わるんでっか。死んだら終りとちゃいまっか。

ご隠居 いやいや、生まれ変わるとお聞かせいただいているわな。身体は神さんの借り物や、その借り物に魂にふさわしい心をつけていただいて、生まれてきたんやから、死んだら身体は返すやろ。そのとき心も一緒に返すのや。せやけどその一代で積んだ徳だけをもって、又生まれ変わってくるわけや。生まれ変わる時、なんに生まれ変わるかはその徳次第やろ。だから前は人間であったものが、牛や馬に生まれ変わることもあるということらしい。講談師見てきたようなうそを言いとの言葉もあるので、見た事もない事を言うと、会長も講談師も変わらんと言われたら困るから、そのことは見たわけではないけど、別に生まれ変わらんでも、今生きていて牛馬と見える人もあるようにも思うんや。

虎さん 熊さんのおかみさんのことでっか。

ご隠居 あれは、ぶたやがな。

熊さん ご隠居、かみさんに言いますで。

ご隠居 すまん、すまん、絶対に言わんといてや。わしまだ死にとうないからな。まあ本気はさておき、例えば虎さん、あんたとこのおかはん、子供に朝なんて言うて起こしてる、「もう起きや」言うてへんか。それから「もう宿題は終わったんか?」もう早く食事をしなさい。もう風呂入りや、もう早よ寝なさい。考えてみれば一日中、「もう、もう、モウ、モウ」の言いっぱなしちゃうか。

虎さん ほんまにそうですわ。

ご隠居 モウモウ、モウモウ、それが牛やないか。

それに子供がおらんでも、虎さんも熊さんもよう言うてるやろ。もうちょっと給料上げてくれたら・・・。もう少しええ家に住みたいもんや、もうちょっと店賃待ってくれなんか、あんたらの口癖やないか。

熊さん 口だけ違いますで、本心でっせ。

ご隠居 なお悪いやないか。せやから、もうもうもう、牛といっしょや、牛が聞いたら気を悪するぐらいもうもう不足言うてるやろ。

熊さん なるほど、うまいこと言わはりますなあ。

牛は分かりましたけど、ほんだら馬はどうですねん。

ご隠居 馬は今お前さんがうまいことって、言うたやないか。

虎さん どういうことでんの

ご隠居 どっかにうまい話はころがっとらんか?、うまいもうけ話はないか、うまいこといかんかなあって、おまはんらの口癖やないか。

 わし等はいんねんというような言葉を聞いたら、過去に自分がしてきたことが、今におこっているように思い勝ちや。

 せやけどもっと大事なことは、今の自分の思いが、明日の自分を作っているということや。牛馬になりたなかったら、うまい話ばかり追いかけんと、教祖のひながたしっかり思い出して通らせていただく努力することやな。

教祖のひながたは今の話と正反対やろ。

会長となって十四年 167年3月

先日私が会長となって初めて教会に来られた方と少し話をした。その方は新神殿を見、こうせい寮として使わせていただいている新教職舎を見、先日買わせて頂いた隣地駐車場を見て、「会長就任何年目ですか」と尋ねられた。「十四年になります」と答えたら、「そんな短い間にいろいろ普請をされて・・・。お幸せですね」と言ってくださった。

会長になって十四年、親神様、教祖のご守護は言うまでもないが、熱心な信者さんのお陰でいろいろと普請をさせていただいた。本当にありがたいことだ。自分の事を考えても、容姿についてはかなり主観の差があるかもしれないが美人の嫁さんをもらい、これもかなり主観の相違があるかもしれないが子供達もそれぞれなりに元気で素直な子に育っているように思う。このことも本当にありがたいことだと思う。

そのまま喜んでいればそれでいいのだが、ふと思ってしまったことがある。もし、教職舎や神殿が前のままで、隣地も買収していなかったなら、その人は「お幸せですね」とそう言ってくれただろうか。その人がそう言ってくれなくても、お前は今と同じように幸せだ、ありがたいと思えるだろうか。

もし崩れかけた神殿で信者さんもほとんど無く、想像するのも恐ろしいが、今以上に器量が悪い嫁さんで、言うことの聞かない子供達であったとしても、本当に喜べるのだろうか。自分の幸せだと思っているものを一つ一つ消していっても、それでも自分は幸せだと思えるだろうか。そう考えながら一つ一つ消していくと、自分という人間が何を幸せと思っているのかが、自然にわかってくる。自分が幸せの根拠と考えているものが、実は自分とは本当は何の関係もなかったということがちょとずつ見えてくる。

それはちょうどダンプカーに乗って道ゆく人を見て、自分はちょっとえらくなったように見えてしまう感覚と似ているかもしれない。人を上から見て幸せだとカン違いしているだけなのだ。ダンプカーを降りればその感覚はあっという間に消し飛んでしまうのに、まるで自分までもがちょっと成人したと思っているのではないだろうか。そのダンプカーが、お金や地位や名誉といったものだったり、ましてやそれが教会の立派さというようなものである場合には、それに乗っている自分になかなか気づかないこともあるのではないか。

そんな時、自分が今幸せだと思っている根拠を一つずつ消していけば、あなたのダンプカーが見えるかもしれない。

そう考えたら、会長になって十四年、私はダンプカーをいっぱい買っただけなのかも知れない。お前のダンプカーがなくなっても、お前は今幸せだと思うだろうか。そう教祖に問われているような気がする。

自分が幸せの目標としたり、根拠としているものの多くが実は、自分とは何の関係もない物で、頼りのないものであることに気づかせようと、教祖のひながたの最初は、それを捨てることに専心されたのではなかったのか。幸せの根拠や目的をダンプカーにするのではなく、そのダンプカーを降りて、自分の足で歩いて初めて、自分が本当に幸せだと言えるのだと、ひながたは教えてくれているのではないだろうか。

会長となって十四年、やっとそんな基本的なことに気づくことが出来て、やっぱり会長をさせていただいて幸せだと、ちょっとだけ思えてきた。

巻 頭 言   捨てたもんじゃない 167年 6月

凶悪な事件が続き、騒然とした雰囲気の中で一年の半分が過ぎようとしている。景気は少し回復したと言う人もあるが、庶民の実感には、まだ程遠い。
梅雨に入り、申し訳ない言い方ながら(天候の不足は神への不足とお聞かせいただくが)、少々暑苦しくなってきた。しかしながら、新聞では長崎の小学生の殺人事件をはじめとする何とも背筋が寒くなるような事件が続く。凶悪事件の増加と低年齢化、年金問題に代表される将来への不安。オレオレ詐欺に代表される、人の不安に付け込むような卑劣な犯罪。私達は何ともいえない不安感の中で毎日の生活に追われている。追われているから、時はそれこそ矢のように過ぎていく。もう今年も半分が終わる。
「いったい何がどうなっているのでしょう、神様はどうお思いでしょうか」と、先日ある信者さんに聞かれたが、何がどうなっているか、神様がどう思われているか、それこそ神ならぬ身の分かりようもない話であるが、一つだけ思っていることがある。私達の何ともいえない不安感の原因についてだ。
私達のこの何ともいえない不安感の原因の一つに、この世界を肯定できなくなってきていることが、あげられるのではないかと思う。
先日少子化の問題についてのニュースで、ある女性が、「こんな世の中で子供を産むことの不安」について語っていた。
子供に「人には親切に」と教えるかわりに、「人を見たら泥棒と思え」とばかり教えなければならないつらさを、ある若い奥さんに聞いたこともある。
信仰をしていながら、教えを聞きながら、そんな言葉に、同感を覚えてしまいそうになる昨今である。
しかしこの世界以外に私達が陽気ぐらしをする世界はない。私達は、天国や極楽が、死後の世界やどこか遠いところにあるのではなく、この世界にあり、「神は人間が陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しみたい」と思し召されてこの世界と人間を創造されたとお聞かせいただく。 
私達の教えにあるのは、限りない現実肯定と、現実改革である。
地球という宇宙の奇跡の中で、天と地を親として生まれてきた人間。地と天という大自然の、それこそ一つ狂っても私達は、生存さえ出来ないのだ。この自然の絶妙さを当たり前と思うのではなく、自然への感謝をもち、人間は陽気に楽しく暮らすためにこの世界に生まれてきたのであり、そのためにこの世界があるのだという強い思いが現実肯定であり、そしてこの地球で私達人間だけが、本能だけではない、心の自由を許されていることの責任の重さ、先ほどの女性たちの意見で言うならば、子供を産むことさえも躊躇するような世界にしたのも、子供に「人を見たら泥棒と思え」としか教えられないような社会にしたのも、他ならぬ私達自身であるということを、もう一度しっかり考え、陽気ぐらしの世界へ変わるために努力をすることが、現実改革ということなのだと思う。
 しかし、いくら神が「陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しみたい」と思われたとしても、ただ能天気に待ってさえいれば、陽気ぐらしがこの世界に実現するということではない。それは一に「心の自由用」を許された人間の努力にかかっているのだ。
それはまずこの世界を良しと受けることが第一ではないか。そしてその受け取り方をお見せいただいたのが教祖のひながたなのだと思う。
この現実の世界は不信に溢れ、「人を見たら泥棒と思え」と、ひたすら人を疑うことを教えなければならない世の中なのかも知れない。正直者が馬鹿を見て、人の不幸につけこんでも少しでも金を儲けるのが勝ちなのかもしれない。そうではないと言いながら、それがまるで負け犬の遠吠えのようにしか思われない時代。今ほど、そして日本ほど私達の教えが必要な時と場所はないと思う。
教祖は私達から見れば、不幸でしかないところへひたすら落ちられた。現実を否定して彼岸に走りたくなるような境遇へと自らを落とされていった。家の財産を施していったこと一つを考えても、それだけで世の中を厭う動機になるであろうし、子供を失うこと以上の悲しみはないだろう。 
教祖のひながたには、人間としての悲しみをそれこそすべて内包しているといってもいいぐらいだ。
教祖は五十年の道すがらの間、「人をたすけるのが真の誠」と、私達に人間の本当の喜びは、物や形を得ることではなく、人をたすけること、人が喜ぶこと以上の喜びはないのだと手を変え品を変えてお聞かせいただいた。
この世がこんな世であるからこそ、何回泥棒に会っても、なおかつ人をたすけるのが真の誠」という言葉を実行できることの凄さがさらに輝くのだ。こんな世の中であるからこそ、こんな世の中に生き続けながら、しかし凛として生きることの素晴らしさがひときわ大きく光るのだと思う。それがひながただと思う。
私達が感動するのは、そんな生き方を見たり聞いたりした時ではないだろうか。
金をいくら儲けたという話を聞いても、うらやましくなるのが落ちで、私達は感動をしない。
私達が何に感動するかを考えた時、私は世の中って、人間って捨てたものじゃないと思ったりする。
教祖のひながたは、この時代にあって自信を持って、もう一つの生き方を通ることの大切さを教えてくれているのだ。

巻 頭 言     二人の借家人       167年 7月

 

ある大家さんから、もう五十年ほど家を借りている二人の男がいる。仮にその二人をAとBという名前にしておこう。Aの家もBの家も隣同士で、同じような間取りだ。少し日当たりも悪く、最初からそう立派な家でもなかった。それにもう五十年も借りているので、ところどころだいぶ痛んできた。

 Aはそれでも「住めば都」とこまめに掃除をして、花なども植えてこぎれいにして、人が来たら「こんなところへようこそ」と歓待するので、来た客も居心地がいいのか、いろんな人がいろんなものを持って、よく訪ねてくる。家賃も「家を貸してもらっているのだから当たり前」と、毎月欠かさず大家さんの家に持って行く。

 Bは、この家に最初から不満があったようで、夏がくれば暑い、冬がくれば寒い、やれ日当たりが悪い、立て付けが悪い、間取りがどうとか、終始文句を言っている。そんな調子だから、愚痴を聞くのが嫌で人々は用事以外誰も立ち寄らない。家賃も、こんな家を貸して家賃まで取ろうとはと、毎月滞るどころかめったに払わない。

そこで質問です。もしあなたが大家さんだったら、AとBどちらの人に家を貸したいですか?

 おそらくよっぽどのへそ曲がりでない限り、Aのような人に家を貸したいと思うに違いない。

 そしてもう一つ質問です。身体を神様からお借りしている借家人のあなたは、どちらのタイプですか?

 

巻頭言  Aさんに      167年 8月

Aさん、ご出産間近ですね。をびや許しのお御供は、もう届きましたか。「をびや許し」というのは、安産のご守護を教祖からいただくもので、この「をびや許し」をいただくと誰でも願いどおりに安産の御守護をいただけるのです。

私達の信仰は願いどおりではなく、心どおりとお聞かせいただきます。でも「をびや」(出産)だけは願いどおり、この「をびや許し」を疑わず神様にもたれさえすれば、何をしても何を食べてもだいじょうぶ(教祖の明治時代は産婦の食事等にもいろいろと古い習慣が残っていたのです)とお聞かせいただくのです。

私の三人の子供も「をびや許し」をいただき無事安産のご守護をいただきました。特に三人目は予定日を八日も伸ばしていただきました。ちょうど平成二年の二月十四日が予定日でしたが、父親との冗談のような会話の中で、二並びの二月二二日のほうが良かろうとのことになり、その日に出産をお願いしました。予定日を過ぎて二十日に病院に行った妻に、のんきすぎるとお医者さんは怒ったそうですが、おかげさまでちょうど二十二日に出産させていただきました。

父親はみかぐら歌の「はなしのたねになるほどに」という歌から「は」の字をとって晴徳という名前をつけてくれました。自慢することの少ない次男にとっても、二並びの誕生日は大きな自慢になっているようです。

出産は、「女の大厄」といわれ、命がけだった昔と違い、今はそう心配することなく赤ちゃんが授かります。

ですから、最近の若いご夫婦に「をびや許し」をお勧めしても、安産のお守りかなんかと勘違いして、もう他でいただきましたという人もおられます。

妊娠されたというお話を聞いたとき、ご両親には「をびや許し」のことはお話したのですが、私もなんとなく遠方でおられることでもあり、余り強引に薦めてもという気もしてそのままになってしまいました。

でもせめて直接手紙でも書かせていただけばよかったと反省して、今ごろになってこの文を書いています。

それは、「をびや許し」というものに込められた神様の思いが、ただ単に安産を守護するというだけではないと思ったからです。「をびや許し」と、許しという言葉が何故つくのかなあと考えてみたとき、子供を与えていただくのを許していただくという意味なのかと私は思います。

そうそう、この与えていただくという言葉はもちろんですが、「さずかる」という言葉も今では死語に近くなってきたようですね。子供をつくるだとか、できたと最近は何気なく言いますが、やっぱり子供は作ったり、できたりするものではなく授かるものだと思うのです。

作ったという割には思い通りの顔にもできず、育てたという割には願い通りの性格には育たないのが子供です。

ですからさずかりものであり、あずかりものなのです。さずかりものだから、許しという言葉が出てくるのだと思うのです。せっかくあなたに育てることをお許しいただいた子供です。子育てをしっかり楽しんで下さい。

それともう一つ、子供はよく病気になるものです。病院へ行く前に、是非おさづけの理を取り次がせてもらってくださいね。そういえば、まだおさづけの理をいただいていませんでしたね。是非別席を運ばせていただきましょう。

感謝・慎み・たすけあい」
あるいは、「不足・ぜいたく・けなしあい」について        167年 9月

教会の駐車場に、陽気ぐらしのキーワードとして、「感謝・慎み・たすけあい」という、大きな看板を立ててあるので、ご覧になった方も多いと思う。教会本部が作られたもので、どこへ掲げようか迷っていたが、ちょうど駐車場を買わせていただいたので、その一番端に立ててある。これにはちょっとエピソードがあって、隣の商工会より駐車場を使わせて欲しいという申し入れがあり、役員さんたちと話し合ったとき、あんなでかい「たすけあい」の看板が立ってるのに、むげに断りにくいですなという話になった。
 教会本部から下げ渡されたので、これが天理教の基本的な生き方ということになるのであろう。先日その看板を見ながら、自分はどの程度当てはまるのか。又この反対は何だろうと考えてみた。
 辞書がないので、我流で考えてみた。
感謝の反対は、不足か、不平不満か、いずれにせよ、今の自分の姿を肯定的に受け入れることが出来なければ、何かに感謝するという気持ちは湧いてこないように思う。

 つつしみの反対は、ぜいたくというところだろうか。もっと精神的な意味合いを考えてみると、高ぶるとか、高慢といった面もあるかもしれない。
 たすけあいの反対は、意外と難しい気がする。直接的な反対語がなかなか浮かんでこないので、(いいように言えば、私はそれだけたすけあいの精神が多いのではないかという意味で) 何かちょっとうれしかった。たすけあいの反対がちょっと思い浮かばないので、たすけあいの反対として連想するものを考えれば、殺し合い、殴り合い、ちょっとやわらかく、けなしあい、足のひっぱりあいぐらいが一番妥当だろうか。
「感謝・つつしみ・たすけあい」か、「不足・ぜいたく・けなしあい」か、日常生活でどちらのほうが、自分に近いかを考えれば、みんなこんな看板をかけているなんて、えらい勇気があるのだなあと思う。

お前の場合はどうかって?

看板はスローガンであり、目標であって、それはしばしば掛け声だけで終わってしまう場合が多いことは、歴史が証明していると言ってしまうと、ちょっとさびしいなと、思っているのが現状です。

巻頭言 お前たちにちょっと言っておきたいことがある」      167年 10月   

 

先日、本当に久しぶりに出直した父の夢を見た。 

夢の中での父は、白い着物を着て布団に横たわっている。教会の行事の関係で、翌日が遷霊祭になったので、人々も帰り、ざわついていた部屋が、父と私ともう一人の三人だけになった時、父親が「うーん」と言う声を出して、少し身体を動かした。驚いた私が「お父ちゃん、まだ生きてるの?」と、父親を抱き起こすと、「こんな白いもの着とられるか、黒いもの出せ」と言う。私が「おつとめ衣け?」と、ちょうど下にあったおつとめ着を父親に着せだすと、父親は臨終の時の話をしだした。夢の中では、娘の瑞恵が出直しに立ち会っていたようで、「瑞恵がな、わしが死んだのがわかっているのに、何ぼでも話をしてくれてなあ・・・。」と、うれしそうに話し出した。そして、ちょっと言葉を切って、

「お前たちにちょっと言っておきたいことがある」と言った。これはしっかり聞かせていただかねばならない、意識を集中しなければと、頭の中で考えたとたん、そこで目が覚めた。言っておきたいことの一つは、「お前も頑張っているなあ・・・。」だと、信じてはいるが、やはり聞かせて欲しかったと思う。

おまえだけではなく、お前たちと父は言っていたので、今月の巻頭言にこのことを書くことにした。

その夢を見た日は来客があって、最近高齢の方の出直しも続き、おつとめの参拝者が少なからず減少してきたというような、ちょっと悲観的な話をしていた。父がおつとめ衣を着せろと出てきたので、わしもおつとめに出てやろうなどという能天気な話ではない。前真柱様がお入り込み下さる大教会の秋季大祭に父も会わせていただくつもりで、おつとめ衣なのかと思ったりもするが、そんな単純なことでもないと思う。

おつとめで思い起こすのは、初代真柱の「命捨ててもという心の者のみ、おつとめをせよ」との言葉の中でつとめられた明治二十年一月二十六日のおつとめである。

父のおつとめ衣を出せとの言葉は、教会の現状や、信者さんの実情の方にばかり目がいって、お前は一番大事なことを忘れているということを教えてくれたのだと思う。

それは、信仰をしているのは誰か、そして何のために信仰しているのかということである。

信仰をしているのは、当たり前だが私である。そして世界中で信仰をしているのは私しかいない、ということだ。変なことを書くようだが、それが大事な点だと私は思う。私と神様と言う垂直な関係の中で考えれば、私以外に信仰者はいないということであり、それゆえ只問われているのは、私の信仰だけなのである。それは私だけではなく、誰もが同じことで、たとえばあなたと神様という垂直な関係の中に、会長であっても私の入る余地は無い。

そう考えたら、何のために信仰しているのかも、自ずと答えが出て来る。私と神様しかいない信仰の地平で私にできることは、私がどれだけ神様の思いを具現しているかということを、ひたすら見つめ、考え、実行することしかない。

それが、私のできることの全てであり、そして私にしかできないことでもある。その時点においては、他人の信仰や、まして参拝者の増減は、何の関係もない。そんな信仰の原点を、父は夢に出て教えてくれたように思う。