巻頭言 バトンタッチ
私は本が好きで、その中で心にかかる文章を抜書きしています。そんなノートが何冊もたまりました。(といってもある人に言わせると、私が死んだらただの紙くずだそうですが、)たまに読み返してみると、今もなるほどと思うものもあれば、この文のどこが琴線にかかったのかと思うものもあります。
先日随分久しぶりに古い読書録を見ていたら、こんな言葉が抜書きしてありました。
「近頃わからぬことばかり
親が二十で、子が一つ、十九の違いと答えたら
大間違いであるそうな
子供ができての親じゃもの、親が一つで、子も一つ」
おそらく子供が生まれたときか、小さい時に読んだものだと思います。自戒の意味なのか、誰かに言いたかったのかは今となっては分かりませんが、子育ての中で心にかかった言葉なのだと思います。
その親業も既に二十四年目、熟練工といわれてもおかしくない年月になりましたが、今も次々と起きてくる難問に四苦八苦しています。
子供たちも上の二人は既に成人し、一番下も今年成人式を迎え、あの可愛かった子供たちもいっぱしの口をきくようになりました。でも成人した子供たちの話を聞いていると、彼らは彼らなりに自分の人生を歩き始めているのだなと親バカではありますが、頼もしくも思うこともあり、私たちはこうして人生をバトンタッチしていくのだなあとしみじみと思います。
私は教会長ですので、多くの人の人生を見る機会が、普通の人より多いように思います。親に抱かれて参拝し、少し大きくなって少年会の行事や、学生会の行事に参加するようになり、やがて就職し、結婚をし、子供を授かり、だんだん高齢になりやがて出直していくという、人の人生の最初から最後までを家族の次に近い位置から見ることも多いのです。
特に自分の年齢も上がり、今では信者さんのほとんどが青年時代から知っている人になりました。(余談ですが、私も会長に就任してから既に二十年近くになります。恐ろしいことに、結婚二十年未満の奥さんや、二十歳以下の子供さんは、三名之川の会長は私しか知らないという不幸を、生まれながらにして背負っているということになります。)
そんな信者さん方を見ていると、人はいろいろな時にいろいろなものをバトンタッチしていくように思います。結婚で子供を結婚相手に、退職で仕事を後輩に、望んで、人に譲る時もあれば、望まなくても渡さざるを得ない時もあります。
三名之川は今年、創立百周年を迎えます。
私たちは親から信仰というバトンを渡されました。上手く受け継いだものもいれば、落としそうになっている人もいるかもしれません。
そして今度は私たちがバトンを渡す番です。
それが実の子であれ、信仰の理の子であれ、その時がもう一度自分の信仰を謙虚に振り返り、一から始めるときなのではないかと思います。
渡すべき子供ができた時、初めて私たちは親になるのですから、「親が一つで子も一つ」なのに違いないと思うのです。
巻頭言 与えられた役割
先月風邪をひきました。十八日の鷲家分教会のおつとめの役割だけを必死につとめた後、教会へ帰り、準備は大丈夫だろうかなあと思いながら、どうしても起きられず、十九日の月次祭準備のひのきしんは休ませていただき、二十日の月次祭開始直前の九時半頃、ようようおつとめ着をつけて神殿に出ました。その時、皆さん方のおかげで、月次祭の献饌の準備も、その他の用意も全てできていました。
「ああ、ありがたいなあ。自分がいなくても皆さんが全部準備してくださって・・。」と、とてもありがたく感じながら、それと共に、「そうか、自分は神様から教会長という役割を、今与えられているだけなんだ。」という思いもあわせて沸いてきたのです。
教会の月次祭は、会長が必要ですが、もし会長がいなければ、誰かがかわりに月次祭の準備をし、祭典も執り行ってくれます。自分がいなくても、別に進んでいくのです。
少し飛躍し、極端な言い方をお許しいただけるならば、私が死んでも、世界は変わらず進んでいくということです。中島みゆきさんの「永久欠番」的に言うならば「街は回ってゆく 人、一人消えた日も」ということなのです。
世界はあなたがいなくても変わらないということは、残念ながら事実です。私は大事な人をたくさん亡くしましたが、それにもかかわらず、この世界はかわらず続いてきました。
私さえ生きている限り、この世界は続くのです。
でも私が死んだら、この世界は確実に終わります。そしてそれは比喩的な意味ではありません。当たり前といえば当たり前のことですが、私が死ねば私以外の人の世界がいくら続こうが、世界は滅びるのです。あなたが死ねばあなたにとっての世界が滅びるのとそれは同じことです。
そう考えれば、今私が生きている世界は、私のためだけに神様が準備をしてくれた世界なのです。この地球も、いや宇宙全体も、私の周りの全ての人々は皆、私のために神様が用意してくださったものなのです。
私は今この世界で、三名之川分教会長という役割と、樋口冨美代の夫、瑞恵、和徳、晴徳という三人の子供の父親という役割、そしてそのほかにも信者さんをはじめ、色々な人とのかかわりの中で、一つの役割を与えられています。
先ほども書きましたが、その役割は私が生きている間は誰にも代われないものではありますが、私が死ねば、人はそれなりにやっていくものです。
生きていると言うことは、魂を磨くためにその人にとって役割を与えられているということなのだと思うのです。
その役割は、神様が陽気ぐらしをするために、準備してくださったものではありますが、その役割を最善を尽くしてつとめるかどうかは、私次第なのです。
その役割を自分は、本当にどれだけ一生懸命つとめてきたか、せっかく、私だけのために神様が準備してくださった世界を、無為に過ごしてきたのではないかというい大きな反省が、二日間この世界からリタイアしていた、私の結論でした。
巻頭言 与えられた役割 その二
先月号で私は、今私が生きている世界は、私のためだけに神様が準備をしてくれたものであり、いろいろな人との関わりの中で幾つかの役割を与えられていると書きました。
私たちがこの世界に生を受けて、一番最初に与えられる役割は、子供と言う役割です。私でいうならば、樋口金徳、カネ子の四番目の子ども、次男としての役割です。
それと同じように人はみんな誰かの子供としての役割を与えられて生まれてきます。
そういえばこんな言葉を聞いたことがあります。
「子供はね、三歳までに、もう親に恩は返してるんだって。三歳までの子供は可愛いだろ。あの可愛さは何にも変えられない。だからさ、その可愛さで親に一生分の恩返ししてるっていうわけさ」 沢木耕太郎 246
いるだけで周りの人を幸せにするような、私たちだってそんな子供時代があったのでしょう(笑)。
神様は「人間は、陽気暮らしをするためにこの世界に生まれてきた」と、お聞かせいただきました。陽気暮らしとは人も自分も楽しむ世界です。だから何も出来ない子どもの時には、いるだけで人を幸せにしてくれる力を与えてくれています。
大きくなれば「何にも変えられない可愛さ」は、消えていき、その代わりに少しずつ役割が増えてきます。
成人すれば、仕事上での立場も出来、結婚し、親という立場もできてきます。
そしてだんだん年をとれば、今度はその与えられていた役割が一つずつ少なくなっていくのです。定年になれば、仕事上の役割は消えてしまいます。その頃になると私のように両親が死に、子どもとしての役割が無くなってしまう人もいるでしょう。また妻や夫を亡くし、妻や夫としての役割を無くしてしまう人もいるでしょう。そして老年になれば誰でも、働いて人の役に立つことは出来にくくなります。
それでもたった一つだけ残る役割があります。
神様が何も出来ない子どもに与えてくださった役割です。
いるだけで周りの人を幸せにするようなそんな役割です。
神様は「三歳心を定め」と、お聞かせいただきました。
小さい時に神様から与えてもらった、いるだけで人を幸せにする力は、大きくなるにつれて失われます。何も知らない無垢な心は、現実社会の中で汚れ、ほこりにまみれることもあったかも知れません。でも逆に人間の汚さも醜さも知った後だからこそ、人生の中で様々な役割によって培い、様々な苦労の中で経験した後でこそ、なおも輝きを失わない人間の本性というものを見つけることが出来るのだと思います。
教祖は、「山の仙人ではなく、里の仙人」とも、お聞かせいただきました。世俗を離れて心を磨くのではなく、世俗の中でこそ本当は心が磨かれるのだということだと思います。
何もしらない三歳の心ではなく、いろいろな経験を経たあとで三歳の心を見つけることが、私たちの最初で最後の役割のような気がします。
巻頭言 不思議なたすけ 172年 四月
先日、ある人と話をしていて、不思議な助けとはなんだろうかという話になりました。奇跡的な御守護が真っ先にあげられるでしょう。でもそれ以外にもあるように思います。
先日教会の夕づとめに拝読している教祖伝逸話篇に次のようなお話が載っていました。
こかん様が出直された時のお話です。
こかん様は教祖の末娘で、若い神様とも呼ばれ、教祖の代わりに神様の言葉を取り次がれることもあったほどですが、遂にお亡くなりになるのです。(そのことについてはいろいろな経緯があるのですが、煩雑になるので今は書きません)
お葬式も終わったその後の話が書かれています。
四三 それでよかろう
「明治八年九月二十七日(陰暦八月二十八日)、この日は、こかんの出直した日である。庄屋敷村の人々は、病中には見舞い、容態が変わったと言うては駆け付け、葬式の日は、朝早くから手伝いに駈せ参じた。
その翌日、後仕舞の膳についた一同は、こかん生前の思い出を語り、教祖のお言葉を思い、話し合ううちに、「ほんまに、わし等は、今まで、神様を疑うていて申し訳なかった。」 と、中には涙を流す者さえあった。
その時、列席していたお屋敷に勤める先輩が、「あなた方も、一つ、講を結んで下さったら、どうですか。」 と、言った。そこで、村人達は、「わし等も、村方で講を結ばして頂こうやないか。」 と、相談がまとまった。
その由を、教祖に申し上げると、教祖は、大層お喜び下された。そこで、講名を、何んと付けたらよかろう、という事になったが、農家の人々ばかりで、よい考えもない。そのうち、誰言うともなく、「天の神様の地元だから、天の元、天元講としては、どうだろう。」とのことに、一同、「それがよい。」 という事になり、この旨を教祖に伺うと、
「それでよかろう。」
と、仰せられ、御自分の召しておられた赤衣の羽織を脱いで、
「これを、信心のめどにして、お祀りしなされ。」
と、お下げ下された。こうして、天元講が出来、その後は、誰が講元ということもなく、毎月、日を定めて、赤衣を持ち廻わって講勤めを始めたのである。」
天元分教会創立の経緯です。
漠然と読めば、ああそうか、天元分教会はそうして出来たのかというだけの話です。私もそんなふうに読み流していました。
天理教の講の多くは、病気を不思議に助けられた人が一生懸命布教をして信者さんが増え、講を結ぶことになるのが一般的です。
しかしこの場合は、講を結ぼうとしたのはお葬式の翌日です。しかもそのお葬式は、若い神様として教祖の代わりに神様のお言葉も取り次がれた末娘こかん様のお葬式です。そして講を結んだ人々は、豪農であった中山家が、教祖の神がかりによって、だんだんといろいろなものを施して、貧のどん底に落ちていかれるのを何より間近で見ていた人々です。
そんな人々が講を結ぼうという気持ちになるという事実が、不思議な御守護というものが一般的に言う奇跡だけではないということを改めて考えさせてくれるように思います。
先日テレビで聞いた、タイガー・ウッズの話が、心に残っています。
競争相手のボールが入ると同点となり、サドンデスで勝敗を決めなければならなくなるとき、ウッズは競争相手のボールに『ボールよ、はいれ』と祈るそうなのです。
私はゴルフをしたことがないので野球に置き換えて考えてみれば、九回裏2アウト満塁、点数は六対二で先攻の自分のチームのリード、バッターの打ったボールはぐんぐん伸びてレフト最深部へ、さあ、入れと祈るか、入るなと祈るか、皆さんはどちらですか。
私ならどうするだろう。ゴルフにしろ野球にしろ、まず絶対入るなと祈るだろう。
私は自分の利益のために人の不幸を祈るタイプなのです。
そんなタイプだとは薄々気がついていましたが、いざ現実を突きつけられると、ちょっと寂しく悲しく思っています。
ゴルフと野球は違うとか、そんなことでそこまで考える必要はないというお慰めをありがとうございます。でも、入るなと祈るのは、相手の不幸を祈ることに違いはありません。
他人の不幸は蜜の味と申します。そんな言葉があるぐらいですから、入るなと祈るタイプも大勢おられるのではないかとは思いますが、私は信仰者です。しかも「人をたすけて我が身たすかる」とお聞かせいただく、天理教の教会長です。
かなりまずいのではないかと反省しています。
インターネットで調べた中に次のような言葉がありました。
『タイガーは競争相手に応援する立場と態度を取り、自己中心的な欲に絡まれた「嫉妬心」で、競争者に悪い結果を期待するのではないのだ。
それには意味がある。もし相手を否定すると、自分も否定する思考回路ができる。物事を考えるにはいいが、実際に行動するときは自分に自信を持って行動しなければ、結果がでない。だから、否定的思考回路を元(肯定的プラス思考に思考回路を作る)に戻す動作がいる。それから自分のプレーに集中するとなると、心の切り替えと言う動作が増えてリズムが狂うのだ。
だから相手を肯定し自分も肯定するスタンスをつくっておけば、勝ち負けのリズムでプレーするのでなく、いつものリズムで自然にプレーができるのだ。
もちろん結果はイメージどおりとなる。
他人の喜びを応援することは、自分のリズムを崩さない唯一の運をつかむ成功法則だ。
人生も仕事もゴルフもみな同じだ。
自分の都合から発想するのでなく、また勝ち負けにこだわる行動をすることでもない。
自分の前にいる仕事する人、ゴルフする人を応援し、喜ばすことを考え祈り、行動することが運をつかむ成功法則だ。(大阪石材という石屋さんのhpから。石屋さんだけに少し硬いですが・・・。)』
『道に世間あり、世間に道あり』というお言葉を、思い出しました。
巻頭言 人間関係(ある人への手紙から)
人間は人と人の間で生きなければならないから、人間と書くという話を聞いたことがあります。
人間は一人では生きていけないから、人という字は支えあっているのですという話もよく聞く話です。
確かにその通りです。
人間は、人と人との間で生きていかなければなりませんが、人と人の間で生きていくというのは、本当はしんどいことです。人と人との関係の中に、人としてのほとんどの悩みがあります。人の悩みを考えれば、そのことはよくわかります。
病気以外の悩みは、みんな人間関係です。
自分を良く見てもらいたいとか、友達とうまくやりたいとか、そんな人間関係に疲れて、人は悩み、心を傷つけます。人との関係に疲れて不登校や引きこもり、うつ病になってしまうときもあります。
勝ち組や負け組みと言う言葉は、人と人との間で生きていく時に、他人と自分を比較しその比較の中で優劣を決める中で生まれる言葉です。
人との関係があなたの中の全てになっているとき、比較の中だけの優劣が、自分の全てになってしまいます。比較の中で劣っていると思うと、自分の全てが否定されたような気持ちになります。
人間は人と人の間で生きなければなりませんから、確かに人間関係は大きな比重を占めますが、人間関係に悩んでいる時は、一度その関係を離れてみることが大事だと思います。
あなたが生きているという事実と、人間関係とは関係ないという原点に戻ることだと思うのです。
当たり前の話ですが、あなたは友人のだれそれによって命を与えられたのではありません。友人がいなければあなたが死んでしまうということでもありません。そこからもう一度再出発したらいいと思うのです。
あなたは誰によって命を与えられたのでしょうか。
命を与えられたのは神様によってなのです。
あなたはまだそんなに信仰がないのですから、神様を自然という言葉に変えた方が分かりやすいかもしれません。
命は大いなる自然の営みの中で与えられたものです。
人も自然の生物の一つです。
草や木や、魚や鳥や、犬や猫と同じ生き物の一つだということです。
生き物はみんなそれぞれが与えられた生を精一杯生きているだけです。
畑に並んだ大根は、俺のほうがでかいと、隣の大根と競っているとは思えません。
人と人との関係に疲れた時は、自分は自然の一部だと、そんなふうに考えたらどうでしょうか。
人間は一人では生きていけないと言いますが、草や木が一人で生きているように、本当は一人で生きてもいいのです。
友だちも、あなたの周りの人も絶対に必要というわけではありません。あなたは一人で生きていけるのです。
そう考えた方が楽な場合は、そう考えたらいいのです。
友だちが一人もいなくったって、充分人は生きていけるのですから。
でも一つだけ、あなたが生まれるために必要だった人がいます。あなたの両親です。
人間関係には縦の関係と横の関係があります。友人や、学校の先生、職場の上司や同僚、みんな年の差はあっても、横の関係です。
でも両親や祖父母、子どもや孫とは縦の関係です。縦の関係の人とは、その人がいなければあなたが生まれていないか、あなたがいなければその人が生まれていないという関係です。そんな縦の関係は、横の関係のように簡単に切り捨てるわけにはいかないように思います。
あなたがあなたの両親の子どもであることを、あなたは偶然と呼ぶかもしれませんが、私たちはそれを「いんねん」といいます。「いんねん」とは、あなたとあなたの両親の心の成長のために神様がわざとそうしてくださったことなのです。
話は少し変わりますが前に「人工でない自然のものを一日に十分間見ることは、あなたの脳と身体にとても大事なことだ」という話を聞いて、実行しているとあなたは言ってましたね。
人間関係でも横の関係は、あなたや周りの人がつくっていくものですから人工のものです。でも縦の関係は、言うならばあなたがどうすることも出来ませんから、自然のものといえるかもしれません。
ちょうど一日に十分間、あなたが自然の景色を眺めるのと同じように、ちょっとの時間でいいですから、あなたの縦の関係を見つめ直すことが、とても大事なことのように思います。
ちょっと強引な結論かもしれませんが、遠回りに見えて意外とこれがあなたの悩みを解決する一番早道の方法ではないかとも思っています。
巻頭言 いんねんについて 172年 7月
先月の巻頭言についてある方からメールをいただきました。お許しを頂いてその人のメールを掲載します。
『司馬遼太郎が講演で「日本社会の世間とはキリスト教社会における神のようなもの」と述べているように、「人からどう見られているか」「人からどう思われているか」という世間意識が暮らしの物差しになっていることが多いのでしょう。ただし、「人間関係」の基盤になっているのは「親子関係」であることは御承知の通りで、それだけを取り立てて「いんねん」とおっしゃるのは問題の本質を避けておられるのではないでしょうか。殺人事件の約半数は親子関係をはじめとした「身内の犯行」であることからも、人間関係の悩みの根底に親子関係の歪みがあります。これは「いんねん」で解けるものではありません。』
これは、先月の巻頭言の『あなたがあなたの両親の子どもであることを、あなたは偶然と呼ぶかもしれませんが、私たちはそれを「いんねん」といいます。「いんねん」とは、あなたとあなたの両親の心の成長のために神様がわざとそうしてくださったことなのです。』という文についてのお話だと思いますが、少し説明不足だったと思いますので、「いんねん」についてもう少し書いてみたいと思います。
「いんねん」という考え方は、信仰が無ければ荒唐無稽な話に聞こえるかもしれませんので、まず天理教の考え方について少し説明させていただきます。もちろんあくまでも私の意見ですので、天理教の公式の見解ではありません(誰も公式見解とは思っていないと思いますが念の為)。
私は天理教を信仰しており、人間は陽気ぐらしをするために生まれてきたと信じています。いんねん(元のいんねん)とはその陽気ぐらしをするために生まれてきたことを、指す言葉です。陽気ぐらしとはただ単に裕福になるとか、病気をしないとか、死なないとかそういったものではありません。それは教祖のひながたを見れば一目瞭然です。死ぬことも生きることです。出直すという言葉通り、私たちは一人ではなく集団で、親が子となり、子が親となりというお言葉のように、何代も生まれ変わりながら、少しずつ成長しているのだと思います。陽気ぐらしとは、その成長の過程の全てに、陽気ぐらしをさせてやりたいという神の思いが込められていることを信じるという生き方であり、その神の思いを探る一つの方法が「いんねん」という悟り方なのだと思います。
私もそうでしたが、「いんねん」という言葉をよく、こういうことをしたからこうなったというような、因果応報的に使うことがあります。また逆に「いんねん」という言葉を、現実を改変する努力を放棄し、こうなっても仕方が無いというようなあきらめの境地への免罪符のように使う人もあります。「いんねん」とは決してそういうものではありません。
このことをまず頭に入れていただき、文意に添って言えば、『人間関係の悩みの根底に親子関係の歪みがある』ということは、私もその通りだと思います。また家庭内暴力を受けた子どもが、親になって、負の連鎖のように、同じように暴力を振るう家庭をつくりだすのも少なくないことを考えても、その歪みが大変根の深いことも事実です。
子どもは親を選べません。どんな親の子になるのかは、子どもにとって全く選ぶことの出来ないものです。それと同じように例えば病気や死など、自分にとってまさに理不尽としか思えないような出来事が人生には多いのです。自己責任論が最近は流行のようですが、人生は、自己責任を問えないことのほうが多いような気がします。
自己責任ではないのに、例えば病気になれば、やっぱり苦しむのは自分や家族です。こんな親をこんな子をと言っても、問題が起これば悩み苦しむのはやはり当事者です。こんな理不尽なことはないと思っても、やはり自分に起こってきたことは自分が解決するしかないのです。
それでも、一人で持つには重過ぎる荷もあります。その時、その荷を神様と分けて持つのが、「いんねん」という思い方なのだと思うのです。
本当に自己責任と思われることでも、人はなかなか自己責任とは思えないものです。まして親子関係の歪みなどの自己責任といえないものを背負わなければならない時は、本当にしんどいものです。
もちろんそこから逃げることも必要ですが、逃げられない時もあります。その時、これは神様が自分達に与えられた試練であり、自分達の成長のために神様がわざとそうしているのだと思えたとき、初めてそのことに対して正面から向き合おうという気になるような気がします。(妻のそれこそ理不尽な身上を通して、私はそう考えるようになりました。)
正面から向かおうとするかどうかは本人次第です。それと同じように、「いんねん」とはその人が自覚するものであり、人から言われるものではないということは、いんねんを考える上でとても大事なことだと思います。
いんねんとは、その言葉で臭いものに蓋をするためにあるのではありません。逆にその臭いものの「におい」の根源を探すための方法なのだと思います。
説明になっていないと痛烈な批判が来るような気もしますが、今回は紙面がつきました。
巻頭言 一枚の写真 172年 11月
九月二十日、教会創立百周年の記念祭を賑やかに勤めさせていただいた。祭典後の挨拶の後、教会の祖霊舎の先人たちの遺徳を偲ぼうと祭文を読ませていただくつもりだったが、時間が延びたので割愛させていただいた。少し気にはなったが、毎月霊祭も執行させていただいているしと、いつの間にかそのことも忘れていた。
十月七日の三丹生の秋季大祭の後、三丹生の二代会長夫人から一枚の写真を預かった。父親の最初の奥さん、スヱさんの写真だった。鷲三須分教会の須という字がスエさんの須からとったというように、鷲三須の教会史によると、「古く大正年代の中頃、母親の病気平癒を願って入信した東スヱは、深く教理に感動して、年若き女の身で単身布教を志し、京都府木津町の製糸工場に就職した。当時は、全く悲惨そのものであった女工員を信仰に導き、教校別科を修了する者等数々の御守護を頂いた。その後、大阪に転住して布教所を開設し、こかん様を自らの信仰の目標として専らたすけ一条に丹精していたが、不幸にも三十三歳の若さで出直したのである。」と書かれており、父との結婚前から熱心に布教されていたようだ。スヱさんは、昭和八年父親と結婚して、翌年には長女綾代も生まれたが夭折、スヱさんも昭和十二年に出直している。だからその人のことを直接知っている人は、教会ではもう誰もいなくなった。そんな人の写真を、しかも百周年の後で預かったのは、なにか神様の思いがあるような気がして、十月の秋季大祭の後、改めて祖霊舎にお礼の祭文をあげさせて頂いた。教会にはスヱさんをはじめ、そんな方が随分おられる。教会に住み込まれた方や、布教に出られた方もおられるし、私が会長になってから亡くなった信者さん方でも、随分熱心な方がおられた。私が覚えているだけでも両手でも足らない。そんな方も出直され、代が変わり月日が経てば自然に忘れ去られていく。そう思ってしまうのは、それはそれで仕方のないことだと思う。
しかし、百周年が終わった直後、スヱさんの写真が私の許へ届いたのは、誰が忘れても神様は忘れていないという一つの証のような気がする。
鷲家分教会の妻の身上で願い出て、いただいた「おさしづ」の一節に次のような言葉がある。
「道の為そふとふ理をつくしはこんでこんな事とさらにおもふやない、ゆうやない。これをむねにしいかり治め此の道はまんご末代の道。」そして「おさしづ」は、「人間一代とおもたらなんのたよりもない。身上なやみふじゆの理は、まだまださきうまれかはりとゆうたる。」と続く。
私たちは何度も生まれ変わって、今の私になったとお聞かせいただく。そして今生も様々な節を通し成人するために生まれ、いずれ出直していく。それは誰にも逃れることのできない運命だ。
しかししてきたことは、出直しと共に消えていくのではない。今月の祭文の思いにも書いているように、「消えたつもりの一日が、一月が、一年が積み重なってあなたという人が出来上がってきた」のと同じように、あなたが出直しても、あなたの今の一生は消えるのではなく、あなたの魂に積み重なるのです。
巻頭言 神様の領域 172年12月
毎年この時期になると必ず出てくる言葉があります。
「一年はあっという間だなあ」という言葉です。何故一年が早くなるのかと、巻頭言でこじつけの文章を書いたことも一度ならずあります。そして今回もまた、一つ思いついたのです。なぜ一年が早くなるのか、それは一年ごとに死が近くなるからです。距離÷時間ですから、一年三百六十五日という時間が変わらなければ、生きてる距離が短くなっているのですから、感じる速さは早くなります。これは前にも書きましたね。
本題はそこからで、年をとる毎に一年が早くなっています。今年一年を振り返っても、本当に一年三百六十五日経ったのかと思ってしまいます。まるで一月が一日のようです。
この調子でいくともうじき一年が一日ぐらいに感じるようになるかもしれません。
私が「あっ」と思ったのはそこなのです。教祖は人間の一生は、神様の一日やとお聞かせくだされたそうです。
そのお話でいけば、一年が一月ぐらいに感じられるようになり、ついで一年が一日のように感じられたら仙人の域です。そして一生が一日のように感じられたら、神様・仏様の域なのかもしれません。(だんだん仏様に近づいているという現実の話は冗談として)。
十二月の「祭文の思い」の中で「一年の終わりに」という文章を書きました。「今年も一年の終わりの月を迎え本当に一年はあっという間だと思ってしまうが、過ぎ去った日々は消えるわけではない。それは自分に積み重なっていくのだ。そんなあなただけの経験を積み重ね、あなたという人が出来上がってきたのです。」大要、そのような意味だったと思います。
その一年の終わりが、一生の終わりにでも同じことだと思うのです。「今年、一生の終わりの年を迎え本当に一生はあっという間だとおもってしまうが、過ぎ去った日々は消えるわけではない。それは自分に積み重なっていくのだ。そんなあなただけの経験を積み重ね、あなたという人が出来上がってきたのです。あなたの今生は、今終わるかもしれませんが、あなたの一生はきえるわけではありません。あなただけが考え、経験し、行ってきたことはあなたの魂に刻み込まれて、また生まれ変わるのです。」
一日が短くなったとお嘆きになられております皆さん。
時間を計る尺度は、秒、分、時、日、月、年と幾つもありますが、その「年」の尺度さえ短くなったなら、一生という尺度で考えてみたらどうでしょうか。
ほのかに神様の領域が見えるかも知れませんよ。
師走の忙しいときや、特にお正月に読んでくださっている方には誠に申し訳ありませんが、先人も「正月(門松)は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」などと言っておられるのですから、まあお許し下さい。