174年のカントウゲン(関東言)

巻頭言 蝶のはばたき   174年 1月

『人生には自信満々の時もあれば、少し落ち込んでしまう時もあります。落ち込んだ時私は「ブラジルの蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす()」という言葉を思い出します。もしあなたが年齢を重ね昔のように元気な身体ではないとしても、事情や身上で心がふさぎがちであったとしてもブラジルでの蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻をおこすように、あなたの笑顔が身も知らぬ人を幸せにするかも知れないのです。だからにっこり笑って誕生日をお祝いいたします。誕生日おめでとうございます。』

今年の誕生カードの原案です。

去年、今年のカレンダーと誕生カードを同時につくりました。今年のカレンダーの写真は、二十年前の私の会長就任奉告祭の記念写真を使うことにしましたが、それだけ昔になると亡くなった方も多くいるし、写っている自分達も二十年は年をとっています。それを見ているとどうもテンションが低くなってきました。そしてその低いテンションのまま誕生日カードを作っていたので、このような低いテンションの文面になってしまいました。

 次の日その文面を読み返し、誕生日にこんな文面の誕生カードをもらって嬉しいかどうかという、根本的な疑問にぶち当たり、かなり文面はかえましたが、蝶の羽ばたき云々の話はそのまま入れてあります。

 この蝶の羽ばたきの話、バタフライ効果というのは、ウィキぺディアから引用しますと、次のようなお話です。

「バタフライ効果(バタフライこうか butterfly effect)とは、カオス力学系において、通常なら無視してしまうような極めて小さな差が、やがては無視できない大きな差となる現象のことを指す。カオス理論を端的に表現した思考実験の一つ、あるいは比喩である」と書かれています。

この表現はエドワード・ローレンツが一九七二年にアメリカ科学振興協会でおこなった講演のタイトル『予測可能性-ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか』に由来する言葉で、初期条件のわずかな差が時間と共に拡大して結果に大きな違いをもたらすことがあり、それは予測不能であるということの極めて詩的な表現で、その内容から人生観や世界観を語る中でも使われることが多いようで、そんな意味から私も、あなたの笑顔が見ず知らずの人を幸せにするかも知れないと書いたのです。

そのことを私たちは何よりも教祖から教えられているのです。

今大教会神殿の屋根葺き替え普請が始まりました。三名之川として私は一千枚の瓦を少なくとも用立てさせていただきたいと思っています。この瓦一枚がどんなに大きな何かになっていくかを楽しみに、どうぞよろしくお願いいたします。ここにもってくるのはちょっと強引過ぎたかと反省しながら、今月の巻頭言を終わります。 


巻頭言   災害ユートピア    174年2月

「災害ユートピア」という言葉をご存じですか。

災害とユートピアという一見全く反対の事態のようですが、地震などの大きな災害の直後に現れる被災した人々が、たすけあう一種のユートピア状態のことを言うのだそうです。

阪神大震災の直後神戸をはじめとする被災地で、黙々と人々が助け合い、励まし合い、連帯が生まれた姿は、日本の民度の高さとして紹介されましたが、それは世界中の災害現場で見られることであり、よく災害直後に報道される略奪や暴動の多くは一部的なものであり、災害後の政府の対応や略奪暴動をニュースとして強調したいマスコミの報道姿勢にも問題があるようで、世界中のどの国で起った大災害にも、災害ユートピアとも言うべきこの現象は見られるそうです。

「人間が陽気暮らしをするのを見て神も共に楽しみたい」と人間をおはじめ下さったと聞かせていただく私たちから見れば、思いもかけない天災で茫然自失となりながらも、人間本来の助け合いの精神がそんな時にこそ出てくるのだと思い、とても勇気をもらいます。

このような人々がたすけあう状況は災害後百時間後ぐらいに現れ、千時間後ぐらいに消えてしまうことが多いそうですが、このような「災害ユートピア」が現出する原因について、社会学者、チャールス・フリッツは、日常生活において人間が抱える問題の多くは、人びとが現在ではなく過去や未来のことを思いわずらうことから派生するのであり、災害は、その瞬間ごと、その日ごとに注意力を集中しなければならないので、過去や未来にかかわる気苦労や抑圧や不安から一時的な解放をもたらすのではないかと述べています。フリッツが記述する精神状態は、一つの達観というか、悟りの状態なのかもしれません。

突然起った自然のどうしょうもない猛威の前に、人は決して免れ得ない死と命のはかなさを見せ付けられるのです。物への執着も、未来への不安も、結局は死んでいく私の独りよがりの妄想に過ぎないと思うことによって初めて人はそのことから自由になるのでしょう。そして「陽気暮らしをするために生まれてきた」という魂の本来の輝きが、ユートピアとして発動されるような気がします。

災害によって現れたユートピアも、ライフラインが復興し被災者が元の生活に少しずつ戻るようになる千時間ぐらいに少しずつ消えていくのも、原初の自分、陽気ぐらしをするために生まれてきた自分が、自由に許されている心の使い方によって本来の自分の魂が隠されていく姿と酷似しているように思います。色々なことを考えさせられる話です。


巻頭言 お見舞いの手紙      174年 4月

    これは先月の十八日に、仙台の八木部内の教会に出したお見舞いの手紙を少し加筆訂正したものです。

「前略、地震から十日近く経ちますが、その後いかがでしょうか。様子をお尋ねしなくてはならないと思いながら、教会の方々は無事とお聞かせいただいたので、お忙しいときに電話しても返って邪魔になるかと思っている間に時間が経ってしまい、電話連絡する機会を逸してしまいました。

お尋ねもせずに誠に申し訳ございませんでした。(中略)

おぢば(天理)では震災直後の十二日から三日間お願いとめが勤められました。十三日は本当にたくさんの人でしたと日曜日に参拝した信者さんに教えられました。私も十四日の日に参拝させて頂きましたが、本当に大勢の人が参拝に来られ、おつとめが勤められました。

東日本大震災は、三万人以上の死者・安否不明者を出しながら、まだその被害の全貌をつかみきれているとはいえません。

人には、それぞれの人にとって、かけがえのない人がいるものです。自分にとってかけがえのない孫を最近与えていただいた私は、かけがえのないものを失う人の悲しみを思うとき、その悲しみの大きさに言葉を失います。三万人という膨大な人の後ろに、かけがえのない人を失ったその何倍もの人の悲しみと絶望があります。

私の両脇のご婦人は泣きながらおつとめを勤めています。そこかしこから嗚咽が聞こえます。

私も辛い気持ちで押しつぶされそうになりながら参拝をし、おつとめをつとめました。ところがその重く辛くしんどい気持ちがお願いとめを終わって教祖殿から戻るときには、少し楽になっているのを発見しました。

ただの自己満足かもしれません。でも私は、祈ることの不思議を見せていただいたように思っています。

息子は今大学生ですが、彼の話によると、学生は今も午後九時から集まれる者はおぢばで、おぢばにいけない者たちもそれぞれの場所でお願いのおつとめを続けているそうです。

今日も震災のすさまじさと避難生活の困難を物語る映像が流されています。私たちは何もできず、ただ皆様の大変さを思い、その悲しみが少しでも軽くなるよう祈ることしか出来ません。まだ原発も色々心配です。まだまだ寒さも厳しいように思いますが、どうかご自愛いただきますようお願いいたします。  以上取り急ぎ、お詫びとお見舞いを込めて。     草々」         


巻頭言 母性の発達或いは味について   174年 10月

三月の大震災以降、巻頭言が書けませんでした。今月は意を決して書こうと思いましたが、震災のことはなかなか自分の中でまとまりません。いずれ自分の思いを書かせていただきたいとは思っていますが、まだまだ無理なようなので、今月は最近ビックリした私の変化について書いてみたいと思います。

それは私の中の母性の目覚めについてなのです。といっても、私が今はやりの同性愛に目覚めたなどということではもちろんありません。

母性が、女の人だけの特権ではなく育まれてくるのだということを実感したということです。一昨年のおぢばがえり大会でお話をしてくださった先生が、十年ほど前に奥様を亡くされ、子供たちの世話をしていると母親としての喜びを感じることができるようになったというお話をしてくださいましたが、そんな馬鹿なと思っていた私が、いそいそと世話をする喜びに先日初めて目覚めたのです。

先月の月次祭に参拝に来られなかったといって、夜に教会に参拝された方がおられ、食事がまだというので、月次祭の昼の弁当が余っていたのでそれを食べて帰ればということになりました。その方は随分遠慮されていたのですが、結局は食事を食べ始められました。私は自然と味噌汁を温めたり、お茶を出したりしています。以前ならまったく考えもしないことですが、自分でも怖いほど腰が軽く、何とか喜んでもらいたいと本当にかいがいしく働く自分がいるのです。その人は「会長さんにそんなんしてもらったら・・・」と恐縮されるのですが、何かこちらはいそいそとします。後で考えてみて、あれが母性の目覚めということなのかもしれないと思ったのです。

教祖の「この家に来たものは一人も喜ばさずには帰されん」という思いが乗り移ったような、それは本当に自分でも不思議なくらいの母性の目覚めでした。

人はどのような環境にあってもそれなりに慣れてくるということが、実感として最近よくわかるようになりました。妻が身上となって、最近は料理(といってもほとんどレパートリーはないが)や洗濯もするようになると、それはそれでなかなか楽しいものだと思います。まあ手がかじかむ季節は、ごめんこうむりたいですが、特に洗濯物を干すのは、とても気に入っています。パッとタオルを広げて干す時、何か心までパッと広がるように思います。晴天でさっと乾く時はとても気持ちがいいが、ほとんど昼は外出しているので、今日は天気が良いと外に干しても、昼ごろから曇ってきたりすると気が気ではありません。だから結局屋根の下に干して、夜に取り入れるころには湿っているというようなことも多いのですが、料理や洗濯をしていると、今まで味合わなかった気持ちになり、新しい体験をしてとても得したような気がします。自分がそんなことをするなんて思いもしなかったのですが、それなりに慣れ、意外と楽しくやっています。

前にも書きましたが教祖は、中山家が人々に施し、だんだんと貧乏になっていくとき、『貧に落ち切れ。貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。』とおっしゃられました。難儀なる者の気持ちでも心でもなく、味というお言葉をそのときお使いになったのです。

味という言葉は大変含蓄のある言葉です。教祖のおっしゃるように、「味が分かる」ためには実際に食べてみるしかないのです。味は経験して食べてみなければ、いくら人から聞いても分かりません。以前、三十年前に飲んだスープの味が忘れられないのでその店を探してほしいというテレビ番組を見たことがありますが、探し出してそのスープを飲んだ依頼者は「ああこの味や」と即座に言いました。しかしそれを見ている私は、どんなに説明を聞いても自分が味わっていないその味は分かりません。しかし逆に三十年たっても、一度覚えた味は忘れないものなのです。ああこの味やとすぐに分かるのも味なのです。もう一つ味というものは不思議なもので、小さいときには苦さとか辛さというような味は分からないのです。成長しなければ分からない味があるのです。 

父性や母性も最初から持っているのではなく、赤ちゃんを授かり育てるという体験を味わって生まれてくるものなのだと思います。

子育ては本当に大変なことです。小さい時には、苦さや辛さという味を受け付けないのと同じように、子育ても苦さや辛さがわかるような大人になって初めて味わえるようなものなのかもしれません。

そしてそれは人生の全てにあてはまることだとも思います。

良いことも悪いことも、人生に起ってくる全てのことは、神様が私に新しい味を教えてくれているのだと思い、食わず嫌いはやめて、まずはその味を体験することから始めましょう。

そうしたら私の母性の発見のように、思わぬ新しい地平があなたの前に開けるのではないかと思うのです。


年相応(としそうおう)  174年11月

孫が一歳になります。しっかりしてきましたねと言われると嬉しいように、子供の時の年齢は少し上に見られるほど嬉しいものです。三つの子に、「まだ三つですか、しっかりしているからもう五歳ぐらいかと思いましたわ」というのは、これは間違いなく誉め言葉です。ところが、三十歳の人に「まだ三十歳ですか、しっかりしてはるから、もう五十歳ぐらいに見えますわ」というのは、これは誉め言葉ではありません。

実年齢より上を言って喜んでもらえるのは何歳まででしょうか。孫が帰ってしまった寂しさの余韻の中で巻頭言を書きかけると、本当にくだらない疑問にぶち当たります。

小学生なんかでも、まだまだ「三年生ですか、五年生位に見えますね。」なんて、年上に見られるほど嬉しいものだと思います。中高生は大体背伸びしたがるものです。私たちの青春時代には、タバコや酒が大人の象徴で、私は昨年やっと背伸びの一つであったタバコをやめることができました。

二十歳を超えると、だんだん実年齢より高く見られるより、低く見られるほうが嬉しくなります。それでも昔は精神年齢が低いと若く見られることを悪口に使えたものですが、今では精神年齢さえ若く見られるほうが嬉しい人が多くなったようです。

二十歳を過ぎると、体の成長はほぼ止まってしまいます。どうもそれと時を同じくするように、年齢を高く見られることも嫌になるような気がします。体の成長が終われば、老化しかありません。でも昔は、こんなに齢を重ねることを嫌がったのでしょうか。私が小さい頃には還暦は大きな節目でしたし、米寿の人の手形を玄関に貼ってあったことも覚えています。老人に対しての敬意も今よりはありました。

今は誰もが、若く見られることを喜びます。その原因の一つは、齢を重ねることへの敬意の喪失でしょう。誰もが齢をとることを何か忌み嫌われるものとして考えているようです。

でも、それは本当は肉体についてだけなのです。精神はまだまだ成長するということを忘れているのです。そういえば昔、論語の、「吾(われ)十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず。」という言葉をよく聞いたような気がします。今は論語自体がはやってないような気もしますが、それはそれぞれの年齢のあるべき姿、年相応を教えているような気がします。

それはさておき、私は「みなの長屋」というホームページで「ご隠居さん」を標榜していますが、最近私たちが「隠居」だとか「年相応」というような言葉を忘れ、年をとるということのマイナスイメージしか持ってないような気がしてなりません。そしてそれは精神の成長を忘れてしまっている風潮の大きな特徴であるような気がするのです。

おふでさきのお言葉の中に

「にち/\にすむしわかりしむねのうち 

せゑぢんしたいみへてくるぞや (六号一五)

日々に澄むしわかりし胸のうち・成人次第見えてくるぞや
というお言葉があります。

 私たちの精神が成長してきたら見えてくる世界があるとお聞かせいただくのです。私は十年ごとに新しい地平を見せていただいています。伝えることは難しいことですが、おそらくこの年齢にならなければ判らなかったことのように思います。

 皮膚や肉体の老化に一喜一憂することも、年をとることの楽しみの一つなのかもしれませんが、そのことばかりに心を奪われず、その年齢にならなければ見せていただけないものをしっかりと見つける、年に相応する、その年齢に相応(ふさわ)しい何かを見つけることもしてみたらどうかなあと、考えている今日この頃です。

 だって、一歳の孫の行動力と好奇心に勝てるのは、年齢しかないのですから・・・・。