175年のカントウゲン(関東言)


176年 5月

巻頭言 記念祭を終えて 

 大教会の百二十周年記念祭が三月三十一日、盛大に勤められました。皆様方には昨年の神殿屋根葺き替えの御供えと、引き続いての今年の記念祭と、いろいろとお力添えを頂き、まことにありがとうございました。

 当日は真柱様ご到着の時には少し雨が降りましたが、その後は天気も回復し無事賑やかに記念祭を終えることが出来ました。大教会長様は真柱様をお送りになってお帰りになった当日の夜に残っていた人々に「真柱様ご到着の時の雨は私の不徳のせいであり、皆様方にご迷惑をかけ申し訳なかった」と述べられた後、涙まじりにお礼を述べられた。「ほんまや」とつっこみを入れながら、ちょうど二十年前、同じ言葉を聞いた事を思い出した。おぼろげな記憶をたどり、そのときの文章を探し出して、読み返したとき、同じ不徳という言葉を聞いた自分の今と二十年前の信仰を見比べたとき、二十年前の方がまだしもましではなかったかと大いに反省した。自戒の意味を込めて二十年前の巻頭言を再録します。

 三十日の天気    立教一五六年 六月

 大教会創立百周年記念祭が、大勢の参拝者でにぎやかに執り行われた。
 当日の心配は天候のことであった。二十四日の週間天気予報では二十七日ぐらいに低気圧が通り、三十日はくもりということであった。前日のひのきしんの時の天気予報では、二十七日通過の低気圧が遅れ、二十九日夕方から雨が降り始め、午前中は雨が残るということであったが、それがだんだん伸びて、夕方から降るはずの雨が、二十九日は結局降らなかった。お陰で、最終の準備は滞りなくできた。

 そして当日、午前四時起床、神殿掃除をしているとき、激しい雨が降って来た。雨は朝づとめの最中も降り続き、まさに本降りの様相を示していた。あの朝、大教会長さんが、朝づとめの後、「この雨は、私の不徳のいたすかぎりである。皆様方にまことにまことに申し訳無く思っている。ここにいる皆様方だけでも、部内の信者さんがたにおわびしていたと、お伝え願いたい」とお話しくだされた。その率直なお話を感動しながらきかせていただきながら、私はもしこの雨が止んだなら、まさに会長さんの徳の力であると思っていた。
 その雨が八時前にはピタリと止んだ。そしてその日一日雨は降らなかった。午後、桜井の方で雨が降ったそうである。しかし数キロと離れていない大教会は一滴の雨も降らず、真柱ご一行のお帰り、後片付けもスムーズにさせていただくことが出来た。まさに不思議であった。『不思議が神である』との御神言を待つまでもなく、あの日の天候に神のお働きを感じたのは私だけではないと思う。そして雨が、朝降っていたのは、大教会長さんの不徳などではさらさらなく、私の不徳であったのだと強く思った。その不徳を全て大教会長さんが一人お引き受けくださったとき、雨はやんだのである。 神様はあの天候で何を私達に教えようとされていたのだろうか。さまざまな悟りがあると思う。私はこう思った。
 そしてもうひとつ。あるがままをもっとしっかり喜べということをお教えくださったようにも思う。あの日、雨は止んだが、風は強かった。朝から雨が降っていなくて、前日から晴天が続いていたならば、あの風に「えらい強い風が吹いて難儀やなあ」ぐらいの不足の心が出て来たと思う。しかし雨という最悪の状態をのがれさせていただいたことで、風ぐらい何とも思わなかった。若い教会長同士で今日はどんなことがあっても不足心は沸いてこないなと言っていたぐらいであった。
 神様は人間に『心の自由用』をお与えくださった。『心の自由用』の一つは想像する力だと思う。しかし私達の想像する力は以外とたよりない。三十日の天気をとってみても、実際にあのとき、雨が止んだから喜べたのであるが、晴天のとき、雨を想像して喜ぶことは出来にくい。
 それは一つ天気だけにかかわらない。私達が実際に生きていくうえで悩みのある時、もっとつらい状態を想像して今を喜ぶということは難しいことだし、またそういった状態に陥っている他の人を思いやるということは、もっと難しい。 今を喜ぶということは決して現状で我慢するということではない。
 天気への不足は神様への不足となるとお聞かせいただくように、人間の力で動かしようのないことを、いろいろ悩んでみても仕方がないのである。それよりもそのことによってお教えいただいている神意を探す努力をさせていただくことである。そしてそれを自分の責任として引き受けることである。そうすればあの三十日のようなめづらしい御守護をいただけるのである。『難儀さそう困らそうという親はあるまい』との神様のお言葉どおり、神様が望まれているのはそのことに違いないのだから。

巻頭言 れ

176年 8月

  れ

 

ママ

ここに

かんがるーがいるよ

 

最近、一日毎に四時間近い読書の時間を与えて頂くことになった。ベッドで横になって読書をし、一時間毎の看護婦さんの血圧測定さえ煩わしくなるほど没頭しているときもあれば、読むのに疲れ仰向けで読んだ内容を反芻する時もある。どちらにせよ、読書という趣味のおかげで退屈などころか、その時間が楽しみになっている。

 先日は、北村薫著の「詩歌の待ち伏せ」という本を読み、「れ」という詩に出会った。この詩は、三歳の子供の詩で、私も他でも読んだことがあったが、子供ってすごいなぐらいで終わっていた。

 この「れ」という詩が、別の雑誌で子供のたわごととして嘲笑されていたらしく、北村さんは次のように書いている。

「『VOW』という本があるそうです。

写真や言葉や、とにかく何でも、身の回りの「ヘンなもの」を投稿するという趣向の本だそうです。

 たとえば、「なぞの幼稚園」という看板の写真。「?」と思ったら、「はなぞの幼稚園」の「は」が落ちていた。そういうたぐいの投稿を集めた本らしい。

そこに、どこかでこの詩を見つけた人が、これはおもしろいと、おもしろ半分に投稿したらしい。

 三歳の子の作品だそうです。 編集者は、詩の定義を説明しています。「まだ字を知らない幼児が口にしたことを、親が書きとめたものも詩として受けつけている」

 ですから、この「れ」も立派な詩なのです。

 でも、問題はこの後からのことです。

投稿した人の言葉。「オーストラリアにでも住んでいらっしゃるのでしょうか?」

編集者のコメント。「タ、タイトルが『れ』。凄いな。れ。しかもただの子供のたわごとだしなあ。れ。」

 ここには悪意とまでは言いませんが、明らかに、からかいや嘲笑があります。

 北村薫は、その大人の不真面目と鈍感を、やんわりと批判しています。

「何をいっているのだろうと思いました。《オーストラリア》などという言葉がどうして出て来るのか、《タイトルが「れ」》であることに、なぜ驚くのか、分かりませんでした。

いうまでもありません。この《カンガルー》は本物ではない。ここに並ぶ言葉を見て、素直に思い浮かぶのは、どういう情景でしょう。

 《れ》に関してなら、わたしは、ひらがなを書いた四角い幼児用の札を思い浮かべました。それを使って、お母さんと文字遊びをしている場面です。勿論、絵本を見ているのでもいい。ひらがなの《れ》の字を見た坊やが、小さな指でそれを指し、言ったに違いない。

「ママ、ここにカンガルーがいるよ」

前にちょこんと突き出された手、膨らんだお腹の袋、右に長く伸びた尻尾。まさに《れ》という形は《カンガルー》そのものです。この言葉を読めば、幼な子の口の動きが見え、自分の発見を、大好きなお母さんに伝える喜びが伝わって来ます。我が子を見つめる母の瞳も浮かんで来ます。

 《三歳》という年齢が書かれていました。書き留めたのは当然《ママ》ということになります。となれば、そうせずにはいられなかった心の動きまで、手に取るように分かります。

 理屈は必要ない。見た瞬間に、こう見えてしまう。

 詩句をどう受け取るかは自由です。しかし、この場合に限るなら、別の解釈は無理でしょう。」と、書いている。さらに次のように書かれています。

「高みに立って、笑ってやろうと身構えてしまえば、人の心は見えなくなります」
「幼児の詩などは、一般の詩以上に、鑑賞者次第で値打ちが決まるところがあります。そこに宝物を見つけようと思うからこそ、幼い言葉が輝き出すのです。その照り返しが読む者を豊かにしてくれます」
 れという詩に親と子の何とも言えない情景まで感じられる人と、子供のたわごととしか思えない人との違いは感じる力の違いです。

最近、信仰もその違いが大きく作用しているような気がしています。わかる人にはわかるし、わからない人にはわからないのです。

わかるようになることが成人で、わからない人に伝えようとするのがにをいがけということになるのでしょうね。

そう考えればにをいという言葉は本当に言い得て妙ですね。

神様の言葉ですから当たり前ですが・・・。

 

 

巻頭言 聞いて、聞いて  176年9月

先月の巻頭言で、「れ」という詩について書いた。

「れ、ママここにカンガルーがいるよ」という詩を引用し、幼児が《れ》という文字の中にカンガルーを発見した喜びを、大好きなお母さんに伝える喜びが伝わって来ると書いた。

今月婦人会のおつとめの後、あいさつに立って、本当に二分ぐらいの挨拶しかできなかった時、そのことを思いだした。私は、月次祭であれ、婦人会であれ、話をさせて頂くときに思っていることは、話すとき現在自分が感動していることを話させていただきたいということである。紋切り型に教理を伝えたり、時旬の動きを伝えるのではなく、教理や時旬の動きの中で、自分が考え、体験し、感動したこと不思議と思うことを伝えたいと思っている。

言うならばちょうど「れ」という文字にカンガルーがいると思った幼児のように、自分が発見して「聞いて、聞いて」と誰かに話したくて仕方がないということを話すことが一番大事だと思っている。その「聞いて聞いて」という発見した喜びが、人に伝わるもととなると思う。

それが、誠に申し訳ないことに、今月の婦人会では二分にも満たない話しか出来ないということは、「聞いて、聞いて」という思いがないということだ。

自分の毎日に感動が無いということになる。

日常の些事に追われているということや、年をとったということも確かにあるかもしれない。体調に左右されていることも大きいと思う。

しかしじっと考えてみると、一番大きな原因は、動かないからだと思う。旬に乗り遅れているからだと思う。

昨年の諭達発布から、今年の大教会への諭達巡教、全教会巡教と本部からのいろいろなお話が続き、今年は教祖百三十年祭三年千日の一年目の年であることは、少し耳鳴りがして耳が遠くなった私でも聞いてはいる。

聞いてはいるけれど、「聞いて、聞いて」と新しい発見をした幼児のような喜びの心で、人に伝える思いがないというのは、百三十年祭に向かう活動を何一つ自分はしていないからだと思う。「聞いて、聞いて」という発見の喜びは、その中に入って何かをしなければ生まれてこないのだ。そういう意味で、何もしていないからだと思う。

 信仰とは結局は自分の問題だ。自分が今の時旬をこのようなものだと感じ、そのような時旬にふさわしい心の向きになることが大切なのだと思う。

教祖伝逸話篇の中で、いくつもの教祖との力比べのお話が残されているが、すべてはまず人間の方が力を入れるのである。

こちらが力を入れさえすれば、神様は、その心を受けて大きな力で返して下さると、お聞かせいただくのだから。

そう思い返して巻頭言を書いていたら、早速神様から今うれしい便りが届いた。詳しくは書けないけれど、力さえ入れたら神様からの強い返信をいただいた。ありがたいことである。

 

巻頭言 証拠信心     176年 12月

教祖百三十年祭三年千日活動の一年目の年が終わろうとしている。

先日修理巡教に来て下さった本部員増野先生は、大要次のようにお話しいただいた。

「年祭とは、言うならば教祖がたすけのバーゲンセールをしてくださっているようなものや。

教祖は、人間が陽気ぐらしをするのを見て神もともに楽しみたいという神様の人間創造の目的を実現するためにこの世界に現れた。その神様の思いをわからせ、信仰に導くためには証拠を見せなければならない。私たちの信仰は証拠信心というように、神様の不思議を見せて人々を信仰に導いてきた。

その証拠が言うまでもなく「たすける」ということであり、教祖は、病んでいる人、困っている人を何とか助けたいとこの世界に現れてくださった。

教祖の年祭は、そのたすけの思いを人間がしっかりと受けて通らせていただく旬や。

旬だからこそ、たとえばおさづけでも千回通わせて頂かねばならんところを百回・二百回で助けてもらえるようなことになり、助けてもらいたい人から言うなら、必ず助けてくれる旬がこの旬なのや。」とお聞かせいただいた。さらに先生は、「証拠信心と言うたからには、必ず証拠をお見せ頂くのや。信仰の程度によって確かにお見せ頂く証拠は違うけれども、必ず見せてくださる旬ということをしっかり心において通っていただきたい。」と続けられた。

人はいろいろと身上のお手入れを戴く。教会長や役員、信者と未信者、それぞれの信仰の成人の度合いによって神様の思いは違って来る。未信者の人にひのきしんやお尽くしの話は、幼児に数学を教えるようなものだし、逆に教会長や役員が一から信仰を説かれるようでは情けない。それぞれの信仰に応じた神様の思いがあり、悟り方があり反省がある。

でもいずれにせよ今は旬である。たすけてやりたいという親の思いにまずは溶け込むことだと思う。

おたすけは周囲に心を配ることから始まる。身上・事情に苦しむ人、悩む人があれば、先ずは、その治まりを願い、進んで声を掛け、たすけの手を差し伸べよう。」と諭達でお聞かせいただくように、周りにそんな方がおられればまず教会へお知らせいただきたいと思う。

教会では、もう二十年余り前から九日毎のお願いづとめを勤めている。いろいろとおたすけに行くのが難しいことがあるならまずその人のたすかりを願うために、共に教会で祈らせていただきたいと思う。

 また事情・身上の方は、その事情や身上がなかった時に自分はそのことをどれだけ喜んでいただろうかとまず考えて頂きたいと思う。次にその事情・身上があっても、まだまだいっぱい喜べることがないだろうかと考えて頂きたいと思う。そう考えて喜べる心になったら、神様はこの旬に本当に不思議珍しい証拠をお見せ頂くと思う。