177年のカントウゲン(関東言)

巻頭言 新年あいさつ 177年一月  

 新年あけましておめでとうございます。

昨年はいろいろとありがとうございました。

本年もよろしくお願い申し上げます。

昨年は大教会の百二十周年記念祭が三月三十一日、盛大に勤められました。皆様方には一昨年の大教会の神殿屋根葺き替え、引き続いて昨年の記念祭と、いろいろとお力添えを頂き、まことにありがとうございました。

また私事ではありますが、昨年六月より透析をさせていただくようになり、信者の皆様方には多大なご心配をかけると共に、信者さん宅の月毎のおつとめについては子供が代わって行かせていただく日も増えてご迷惑をおかけいたしております。誠に申し訳なく心苦しく思っています。

反面、なってきたこと起こってきたことを前向きに受け止め、その中で神意を探す努力をさせていただく事の大事さを再認識してもいます。

本年は、立教百七十九年一月二十六日に教祖百三十年祭を迎える、三年千日二年目の年、教祖の年祭にふさわしい心で今年こそは通らせていただきたいと思っています。

天理時報の元日号の第一面に「教祖から託されているおたすけがきっとある」という言葉がありました。私には私にしかできない教祖から与えられたおたすけがあるということです。その言葉に本当に教祖の思いを感じさせていただきました。

今は亡き宮崎伸一郎先生が、大教会のおやさと大会においでくださりお話し下さった中に、自身のがん体験をお話し下さりながら、「自分ががんになった時、新聞で目に行くのはまず死亡欄であり、ああ、誰でも死ぬのかと、その欄を見ながら思ったものです。」というお話がありました。死というものが身近になっている時は、死という言葉に引き付けられます。昨年来私の心にかかっているのもそのことで、透析中に読んでいる本の多くもその関係の本です。

先生のお話を時々カーステレオで聞きながら、明るい外からは家の中の暗さが見えない」と言う言葉を思い出しました。明るい日中の外の光をいっぱいに浴びているときは、暗い家の中は見えないのと同じように、自分も元気な時は病んだり死ににいく人の気持ちも本当の意味でわからないものなのです。人との死別の悲しみや、苦しみについて書かれている本を読むにつれ、自分が宗教家であるにもかかわらず、死というものや、死の悲しみに対してあまりにも無頓着であったと思い知りました。

天理教は「陽気ぐらし」と標榜するように、この現実の世界で陽気に暮らすことを目標としています。それ故に一般的な雰囲気として、死とか病気は「陽気ぐらし」とは対極のものとして敬遠しがちです。また若さや健康はそのことがあることを忘れてしまいます。でも身上になると病気や死にとりつかれてしまいます。そのときにこそ、どのように思うべきか、どのように通ろうとすべきかを、悲しみや辛さに沿った心の通り方を考えねばならないのではないかと思うようになりました。

そしてまずは死別の苦しみを癒すような何かを作ろうと昨年の末に一つの小冊子を試作しました。そしていずれは、出直しを迎える人の心のたすけになるようなものを作りたいと思うようになりました。

そんな時に新年最初の天理時報が郵送されました。その第一面に書かれていた言葉が、「教祖から託されているおたすけがきっとある」という言葉でした。

私がしようと思っていたことが、教祖に託されているのかどうかはわかりませんが、その言葉に私は大きな後押しを戴きました。

その言葉を、私だけではなく、三名之川につながる全ての信者の合言葉にしていただきたいと思います。あなたにしか出来ないおたすけを教祖は必ず準備くださっている、そのことをしっかりと探すことを今年の一年の目標としてお互い勤めさせて頂きたいと思います。

あなたにしかできないおたすけとは、私は究極的には、あなたが自分でたすかっていくことではないかと思っています。私たちは自分の痛みをすべて人に伝えることはできません。自分の痛みを人に伝えることが出来ないのと同じように、自分が感じたことのほとんども、人に伝えることはできないのです。自分が感じたこと、自分が会得したことそのほとんどを持って私たちは次の世界に行くしかないのです。

そう考えた時、私たちはこの世界で経験したこと感じたことのすべては、自分のためにしてきたことなのだということがわかるのです。

そのことがわかることが、自分にしかできないおたすけを見つけるということなのだと最近思うようになりました。そう考えれば、きっとずいぶん楽になる人もいるのだと思います。

今年一年も、教祖の暖かいふところの中で、生きていることを実感しながら過ごせるよう、共に願いながら、今年の年頭あいさつとさせていただきます。


巻頭言 還暦       177年2月

 今月二月三日、六十回目の誕生日を迎えました。遂に還暦という年になりました。還暦というぐらいだから悟りを開くのではないかと楽しみにしていましたが、ちょっと情けないぐらい変化がありません。 

私が子供の頃の六十歳は何もかもわかっている「大人」という感じの人が多かったように思いますが、今の自分から考えてみますと、あれはそのようなポーズをしていただけなのかもしれませんね。いやいや失礼なことを申し上げました。自分の至らなさを人にまで広げてはいけませんね。

 論語では、六十は耳順と申します。どのような意見も素直に聞けるようになる年だそうです。さてどうでしょうか。人の意見を素直に聞いているか、かえって意固地に自分の意見を押し通すか、好々爺になるか、ならないか今が分かれ道かもしれません。

孔子は、四十にして惑わず、五十にして天命を知るというように、十五、三十、四十、五十、六十、七十と、それぞれの年代に、感じ見えてくるものがあるのだと教えました。

信仰的にも年限の理という言葉もあるように、それぞれが年限を重ねていくことによって、見えてくるものがあるのではないかと思います。それを見つけることが年をとるということの大きな目的だと思うのです。

自分が年寄りになってきたからいうのではないのですが、私たちは、年をとったということにもっと敬意をはらうべきではないかと思うのです。若者に年寄りを敬えという前に、まず自分が私たち年寄りが、もっと年寄りであることに喜びと誇りを持つことなのだと思います。今は若いということに大きな価値を見出しています。美魔女という言葉がもてはやされていますが、少し前まではもっと別の言い方で揶揄されていたことだってあるのです。(私はもちろん美魔女という言い方の方が好きですが・・・。)

話が逸れてしまいました。年をとるということに喜びと誇りを持てと言う話でしたね。

それぞれの年代にならなければわからない何かが見えていた人が多かったから、昔の老人はあんなに貫禄があったのではないかなあと、密かに思っています。

今年六十回目の桜を見る予定です。六十回も桜を見ることが出来た私が、せいぜい二十回や三十回しか見たことのない者と同じはずがないではないですか。

巻頭言 よふぼくの集い  177年3月

 

教祖百三十年祭を二年後に迎える今年、よふぼく・信者があらためて心を一つに歩んでいくことを誓い合う「よふぼくの集い」が、三月から六月にかけて開催されます。

よふぼくとは、おさづけの理を戴いた人たちのことです。

私は信者さんがおさづけを戴かれた時には必ず教祖殿で、「今までは自分の喜びが第一の目的であった自分の生き方を、人が喜ぶのを見る喜びの方がもっと嬉しいと思えるような生き方、つまりは人をたすける喜びを第一の喜びだと思える人になりますと、今日誓ったのですよ。」と申し上げている。

自分がたすかりたいから、人をたすけたいという人生の大転換が、おさづけを戴くということだと私は思っている。だからこそそのいただいた「おさづけの理」は、自分に取り次ぐことはできず、人にしか取り次げないのだ。

人間には、白人もいれば黒人もいる、黄色人種もいる。キリスト教の信者もいれば、イスラム教の信者もいる。日本人もいればアメリカ人もいる。韓国人もいれば、中国人もいる。いろいろな人間がおり、いろいろな分け方があるが、神様から見た最終的な分け方は、よふぼくである人と未だよふぼくでない人との二種類の人間しかいないのではないかと思う。

神様は、お望み下さる世界中の人々が助け合って仲良く暮らす「よふきぐらし」世界建設にあずかる人々のことを、真柱、とうりょう、よふぼくなど建設の用具に例えられた。

別席を運び、おさづけの理を戴いた人々のことをよふぼくと呼ぶ。

よふぼくとは、よふきぐらし世界建設のための欠かせない用材であるよふぼく(用木)なのだ。

私たちよふぼくは、神様から人を助けるための道具である「おさづけの理」を授かりました。

しかしながら、そのことを忘れず、使えば使うほど値打ちの出てくる「おさづけの理」をいつも使わせていただき、取り次いでいる人はそんなにいないのではないかと思います。

そんな私たちのために、もう一度よふぼくとしての通り方、生き方を再確認してほしいと、全国各地の様々な会場で「よふぼくの集い」が開催されています。

どうぞこの旬に、是非お近くの会場を探して、参加していただきたいと思います。


巻頭言 天理臨     177年4月

 

「天理臨」という言葉を聞いたことがありますか。    

私もほん最近聞いたばかりなのですが、JRや近鉄のいろいろな団体列車の中で、天理教の大祭月で運用される臨時列車のことを特に天理臨時を略して「天理臨」と呼ぶそうです。

その中には毎月の二十六日に運行される京都や大阪からの近鉄電車も含まれます。教祖百年祭までの年祭では、様々な地方から「天理臨」が運行されたようですが、だんだんと車や他の交通手段に押され減少し、今は大祭月と誕生祭に運行されている青森からのJRの天理臨が数少ない「天理臨」として有名で、撮り鉄(鉄道マニアで写真や動画を撮るのが趣味の人、昨今一部マニアの行き過ぎた撮影が問題になっていることもあるよう)たちにも人気があるようです。

と言っても私は鉄道に対して何の知識もないのでよくわからないがネットで調べてみると、DD51という気動車と、それに牽引されたブルートレインと言われた青い列車が両方とも珍しいようです。

実は娘の義父夫婦が青森の教会なので大祭月はその列車で来るそうです。京都にいる娘夫婦は京都駅で停車する時間にいつも両親とあっていたそうですが、最近京都駅での「撮り鉄」が、大変増えており、以前はほとんどいなかったのに、この四月には百名近い撮り鉄の人がおり、怖いぐらいだったそうだ。

父母とは列車の中で面会するので、前回は撮り鉄の人たちに「なんで中に乗れるのか」と詰問状態になったそうだ。

そんな列車の中はどうかと言えば、あまり詳しいことはわからないようだが、教会別に乗っており、そういえば以前ネットでも、「天理臨の乗客から乗って飲んでいこうと誘われ、大人の事情が許せば乗っていきたかった」なんていうコメントがあったが、内部はなかなかの酒盛り状態だそうだ。

遠く青森から一昼夜をかけて遥かおぢばまで、そんな人の事を思うと、車で一時間の私は本当に申し訳ない思いになる。

最近は青森まで新幹線が開通していつまで「天理臨」が続くかは微妙なようだが、酒の飲めない私だが、次回の「天理臨」にはお酒の一本も差し入れしたいと思っている。


巻頭言 見つつ観ざりき  177年7月

 先日、白内障の手術をしました。手術後に眼帯を外した時、少し大げさですが、こんなにも世界はくっきりと美しいのだと改めて感じました。 

でも世界は、もとからくっきりと美しいものなのです。ただ自分がそれを見る力がなかっただけなのです。

そういえば今ちょうど睡蓮の花が、一輪咲いています。本当に美しい花です。美しい花を見ると、『美しい「花」がある。「花」の美しさと言うようなものは無い』(小林秀雄 当麻)という有名な一節を思い出します。

最近、素晴らしさ、美しさを得るためには二つの方法があることがわかってきました。神様からの、還暦のお祝いなのかもしれません。

一つは、単純にそれを得るためには何らかの値(あたい)が必要なものです。豊かな生活や、健康な老後というような素晴らしさは、お金という値や、健康という値が必要です。数式を解いたり、漢詩を理解するためには、勉強するという値が必要です。

もう一つは、値は必要ありません。お金も、健康も、勉強も必要ありません。ただ必要なものは美しさ、素晴らしさを感じ、見つける力だけです。美しさはもともとその中にあるのです。ただそれを白内障の自分が見つけられなかったのと同じように、その中にある素晴らしさ、美しさを見つけさえすればいいのです。音楽や美術品などを素晴らしいと感じるためには、自分の中にそれを美しいと感じる力が必要です。それを美しいと感じさえすれば、その美しさを説明することは不要です。 

それが「美しい「花」がある。「花」の美しさと言うようなものは無い」ということなのかと思います。

私の好きな短歌に、「か黝葉(ぐろば)にしづみて匂ふ夏霞若かる我は見つつ観ざりき」という歌があります。かぐろばとは緑が濃く深くなった葉のことで、夏の濃くなった緑の葉にかすみがかかった美しい光景を、若かった私は見ていたけれども観ていなかった、というような意味でしょうか。作者の北原白秋は、この時晩年でほぼ失明していたそうです。

私も、若かった頃ずいぶんいろんなものを見過ごしてきました。喜ばなかった、本当は喜ぶべき思い出が、どうしてあの時そうしなかったのかという、悔恨とうずくような寂しさと共に思いだされます。

そんな悔恨を思い出し、一つ一つ積み重ねていくと見なかったものが観えてくるような気がします。

巻頭言 いるという不思議 177年 十月

「この世界は、いつ出来たのか知っていますか。そしていつ滅びるか知っていますか。」

神殿講話でこんなふうに聞くことがある。

世界が出来たのは、元始まりの話から、九億九萬九九九九年に立教百七十七年だからと足した年を言ってみたり、ビッグバンが起きたのは、百三十七億年前だからと、おっしゃる方もいる。では滅びるのはいつですかと聞くと、わからないとおっしゃる方がほとんどだ。私は知っている。

世界ができたのは一九五四年二月三日、滅びるのはまだはっきりわからないけれど、そんなに遠くではないと思う。

もうお気づきだと思うが、一九五四年二月三日は私の誕生日だ。

本当に当たり前の話だと言えば当たり前の話だが、私が生まれなかったら私にとってこの世界はないのだ。

そして私が死ぬ時私にとってこの世界は私と一緒に消えていくことになる。

これも当たり前のことだが、もちろん他の人から見たら、一九五四年二月三日は、樋口孝徳という人の誕生日に過ぎないし、私が死んでも私にとっての世界は消えるが、ほかの人にとっては私が死んだに過ぎない。しかし私にとってはそうではない。私と共に、私の周りの人どころか世界中の人々を道連れに私は死んでいくのだ。

まさに世界は私のためにあるのである。

「そうか、世界は私のためにあるのか。」

何年か前にそのことに思い当たった時に、とても感激したのを覚えている。

この美しい世界が、そして私の周りの人々もみな私のためにあるのだ。それは何のために、私が楽しく陽気に暮らせるように神様が、私だけのために用意してくれたのがこの世界なのだ。そうすれば私は何をしたらいいのだろうか。何ができるだろうか。この美しい世界も、両親をはじめとする素晴らしい人たちも私が生まれた時にすでに私のために存在していたというなら、私が出来ることはまずそのことに感謝をすることではないだろうか。

それなのに自分は、そのことに何の感謝もせずに生きてきた。

今この世界に私がいるということの不思議に本当に気づくことができれば、世界はもっと大きく美しく見えるだろう。

 

巻頭言 当たり前のこと 177年 11月

勉強を一生懸命すると、私の成績は上がる。スポーツをして身体を鍛えれば、体力は私につく。そしてその学力や体力は、私以外の誰にもつかない。当たり前のことである。やったらやった分、全部か何パーセントかはわからないが、必ずその人の身に附くのである。そしてやらなければ身に附かないのである。人が必死で運動をしているのを見ても、一生懸命勉強していると聞いても、その人が見たり聞いたりしているだけではその人に体力も知力もつかない。これは誰が考えてもわかることである。体力と知力は、自分が行わねば決して附かないのである。

そんなことはわかっていると言うのならば、話は何も難しいことを言おうとしているのではない。

人生とは何のためにあるのかということである。

言い換えれば、私が一生懸命頑張って生きてきたこの人生で経験したすべては、どこに何をつけるのだろうか。

わかりにくいことを言っているのはわかっているのだけど、勉強という経験や、運動という体験が必ずその人に知力や体力をつけることになるのであるなら、自分の人生を生きてきたというそのことも、自分の何かに力をつけることになるのだと思う。

そして自分の人生が終わりに近づいてきたある時に、それがわかる瞬間が本当は誰にでもあるはずなのだと思っている。

人生には、様々な出来事が起こりうる。自己責任という言葉があるが、自己責任として片づけられない不幸も現実には起こる。どんなに頑張っていても、何ともいえない厳しい結果が起こってくることもある。

結果的には悲しみだけの人生だとしても、そんな人生を通ってきたから、その人生に何の意味もないということは決してないと思うのだ。通ってきた人生が辛い哀しいだけの人生に思えても、人生の終わりのある日に、どうしてもわからなかったジグソーパズルの破片が次々と納まっていくように、「ああ、このことがわかるために人生はあったのだ」とわかることが必ずあるような気がする。

その時自分が生きてきたという意味も、不思議なように明らかに自分の眼前に表出するだろう。

ただそれを見つけることが難しいのは、それはあなただけの答えであり、あなたが見つけるしかないからなのだと思う。

巻頭言 あなたに伝えたい   樋口孝徳 11月

先日読んだある本にこんなことが書いてあった。

『「僕たちが幼児の時に母語を習得するのは親たちが語りかける言葉が「自分あてのコード化されたメッセージだ」ということを理解できているからです』。

親が何を言っているのか小さい赤ちゃんは何もわからないが、それを自分だけに、自分に向かって言われていることはわかるのです。あなたに伝えたいという親の思いだけをしっかりと受け取るからこそ、そのわけのわからない音が言葉というものであり、コミニケーションの道具だとだんだん理解していくのでしょう。

先日孫が帰ってきたとき、ひたすら生後まだ半年の孫に「ゆうま、おじいちゃんですよ」とばかり話しかけていたじじバカ状態の私は、確かに孫に向かって、ひたすら孫に向かってあなたを全身で愛していますよと伝えていたのだなあと得心したのでした。

小さな子供たちは、あなたを愛しています。あなたが必要なのですという親たちの声を聴きながら、だんだんと成熟していくのです。

そう考えながらふと「成人」という言葉を思いだしました。今は「成人の旬」だそうです。(他人事のような書き振りですみません)

小さい子供が「あなたを愛している、あなたに伝えたいのだ」という親の思いで少しずつ成熟していくのと同じように、成人も「あなたに伝えたい」という親(神様)の思いを感じることからはじまるのだと思います。神様はこの旬にひたすら私たち一人ひとりに声をかけてくれているのではないでしょうか。

その声は、事情や身上、また他のはっきりとわからない何かかもしれません。でも確かにあなただけに、あなたのことを思っているよと声をかけてくださっているのだと思うのです。

何を言いたいのか、なぜ自分なのか、自分はどうすればよいのか、それは自分にとってどんな意味があるのか、そんなことは一つもわからないかもしれません、でも神様が声をかけているのは、誰でもない、あなたに声をかけているのだというその思いはわかるのではないでしょうか。

それが自分にかけられているのだということさえわかれば、ちょうど乳児のあなたがそうしたのと同じように、にっこり微笑んで親の顔を見つめることから始めましょう。いつか親の思いがわかる時が来るはずですから・・・。