巻頭言   成人の証明      181年1月

 あけおめ・ことよろ

 そう言えば成人の年齢を十八歳にしようとする政府案が出るとニュースで知りました。それに対して呉服業界が、十八歳になると大学入試と重なるので、振袖の売り上げに影響すると反対しているそうです。政府の決める成人の年齢がどのような基準で引き下げられようとしているのか私にはよくわかりませんが、いわゆる大人としての年齢が十八歳であろうが二十歳であろうが、身体が一人前の大人になった年齢というぐらいの意味で、本当の意味での大人、成人の年齢を決めるものではないことは言うまでもありません。
 その人が肉体的に大人か子供かは容姿を見ればすぐにわかることですが、精神的に成人しているかどうかを見るのは、大変難しいことで、老年になっても心は子供のような人も意外と近くにいるような気がします。
 天理教ではよく「成人の旬」という言葉を使いますから、何歳になったからと言って成人しているわけではないということはわかります。そしてそれはもちろん身体の成人を意味しているのではなく、心の成人を意味しているからということになりますが、果たして心の成人とはどのようなことを言うのでしょうか。
 心の成人と身体の成人とは大きな違いがあります。身体の成人は、自然になっていくものです。時というものが必要ですが、時さえかければ人は次第に大人になっていくのです。そして残念ながらそうなりたくないと言っても、必ず人は成長し大人になり、やがて年をとり老人となります。
 それに反して心の成人は、年限が来れば自然になるものではありません。心の成人は、まず自分の中に成人したいという強い気持ちが湧かなければなりません。身体は成人していても、心の成人が止まったままの人がいるのも、心の成人には成人したいという気持ちが必要なのですから、これでいいと思った時から心の成人は止まります。しかも心の成人は、それによって目に見えた何かを得るというものではありません。たとえば成人したからと言ってお金が儲かるわけでも幸運に巡り会うわけでもなく、普通に考えたら損をする事のほうが多いのかもしれません。教祖のひながたを世間のものさしで量ってみればそれはよくわかることです。
 しかし、成人することによって今まで見えなかった世界が現前に開けるかもしれません。それは成人したものだけが見える世界があるということです。
 私たちの祖父母の時代、「おやさま」という言葉がもっと日常の会話の中に出てきていたように記憶しています。それは会長家族だけではなく、信者さんの間にも頻繁に出てきました。「教祖のおかげ」「教祖に申し訳ない」というような言葉が日常の言葉として使われていました。そこには教祖へのゆるぎない尊敬と憧憬の念がありました。
 心の成人は目標が必要です。ああなりたいという成人の目標がなければ、成人しようという気持ちが湧いてこないからです。

祖父母の時代、教祖はまだ現実にあった人もあり、教祖への思いも私たちの時代よりずっと強かったように思います。その教祖への深い思いが人々の成人を促していたように思います。
 それが今の私たちにどれだけあるか、教祖が現身を隠されて一三〇年余り、教祖のひながたをしっかりと辿りたいという強い思いが自分の中にどれだけあるかをもう一度問わなければなりません。
 成人するためには今まで自分が使っていたものさしと違うものさしがあるということを知り、その新しいものさし絵雄使えるようにならなければなりません。
教祖伝逸話篇三一「天の定規」で教祖は次のように言われました。

『世界の人が皆、真っ直ぐやと思うている事でも、天の定規にあてたら、皆、狂いがありますのやで』と

 その天の定規というのは、人の喜びが自分の喜びになるような親の心になるという考え方です。神様の考える結構と人間の考える結構には鮮やかな違いがあります。

 三九 もっと結構  『ある日のこと、西浦弥平がお屋敷からもどって、夜遅く就寝したところ、夜中に、床下でコトコトと音がする。「これは怪しい。」 と思って、そっと起きてのぞいてみると、一人の男が、「アッ」と言って、闇の中へ逃げてしまった。後には、大切な品々を包んだ大風呂敷が残っていた 弥平は、大層喜んで、その翌朝早速、お詣りして、「お蔭で、結講でございました。」 と、教祖に心からお礼申し上げた。すると、教祖は、「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか。」と、仰せになった。弥平は、そのお言葉に深い感銘を覚えた、という。』  

 成人の軌跡は成人したものにしか見えないものです。
 身体の成人の時も同じです。幼児は自分が小学生になり中学生になり、疾風怒濤というべき青春時代を過ぎて大人になるのだということが分かりません。私たちにそれが分かるのはそんな時代を自分が経験したからです。経験した事後にしかどのような軌跡を通って成人したかということは分からないのです。
 それは「心の成人」も同じことのように思います。成人の道中ではどのように自分が成人しているかはなかなかわからないものです。 ですから成人して初めて次のように思えるのです。
 二人三人寄れば皆皆話し、今までは、わしはこんな心で居た、俺はこんな心使うて来た、と皆んなめん/\の心通り、言わしてみせる。明治二十年四月三日
 今まで私はこんな心で居た、俺はこんな心を使ってきたというのは、成人して振り返って初めて言える言葉なのです。
 成人の証明とは、このことが言えるかどうかではないかと思います。
 自分の心を振り返ってみて、今までこのお道の話を聞くまでは、「金があること、高い地位にあること、豪華な家に住んでいること、高い服を着ていることを端的に誇らしく思い、能力がある人間が優雅に暮らし、無能で非力な人間たちが路傍で飢えているのは自己責任であり、能力のある人間が高い格付けを受け、無能な人間が軽んじられ、侮られるは適切な効果の結果であり、それは社会的フェアネス」なのだと考えていたが、そうではなく「お屋敷に居る者は、よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、と思うたら、居られん屋敷やで。よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、とさえ思わなかったら、何不自由ない屋敷やで。これが、世界の長者屋敷やで」。(七八 長者屋敷)という教祖の考え方を、自らの生き方としようとして努力して来たものを、成人と言うのだと思います。
 そのような成人を今年も一歩一歩歩んでいきたいと思います。


巻頭言
   ものさし       181年2月

 先日成人の証明を二枚に渡って書きましたが、先日もっとわかりやすい言葉で書かれた文章を読みました。それは内田樹先生のこんな文章です。

 『成熟するとは要するに「さまざまな価値や意味を考量できる多様なものさしを使いこなせる」ということである。

そのような「複数のものさしの使いこなし」は「単一のものさし」をあてがって万象を考量しようとする「オレ様」的態度とはついに無縁のものである。

 子どもは最初一つの「ものさし」しか持っていない。

 生理的に快か不快か、それだけである。

それ以外の「ものさし」はひとつずつ自作するしかない。

 現実原則についてフロイトが言ったように、「短期的には生理的に不快であるが、少し長いスパンで考えると、安定的に高い快をもたらすもの」を考量できるようになると「次のものさし」が手に入る。それを空間的・時間的に拡大してゆく。 

 そして、やがて「自分にとっては不快であるが、同時的に存在する多くの人々に安定的に高い快をもたらすもの」や「自分が死んだあとに未来の人々に安定的に高い快をもたらすもの」を「自分の快」に算入できるようになる。

それが「だいぶ大人になった」ということである』

 そういう意味で言うならば、今私が一番よく使っている「ものさし」は、「自分にとって損か得か」という「ものさし」です。買物をするとき、買った価格以上に効果があれば、得であり、効果がなければ損をしたというふうに考えます。ただ商品を買う時に使えばその「ものさし」は有用な「ものさし」ですが、その考えを買い物だけではなく、人生のあらゆる場面で使ってしまいます。

 他のものさしをお前は知らないのかと言えばそうでもありません。教祖のひながたというものさしを微かに知ってはおりますが、その天の定規といわれる「ものさし」を使っているとはなかなか言えません。知ってはいるが使おうとしないのは、私が通常使っている「損か得か」というものさしとはま正反対だからです。どろぼうと鉢合わせして、泥棒がびっくりして逃げた時、教祖に「おかげで助かりました」と言う人に、「欲しい人にもろてもろたらもっとよかったのに」とおっしゃられた教祖のものさしは、今の自分のものさしでは測りきれません。

 そんな教祖のものさしを使えた人が私の近くにもいました。私の祖父母です。教祖の教えに感激し、三名之川の教会(当時はこの場所ではなく狭い家を間借りしていました)に、移ってきました。祖父母は米屋と金貸しをしていましたが、天理教の話を聞いて、米屋をたたみ、借金をすべて棒引きにしました。とても貧乏でいよいよ食べる米も無くなったそうです。その時祖父母は天理教を止めたのではなく、「今日から教祖のひながた(教祖が生きられた人生)の百分の一でも真似事ができる」と喜んだそうです。

 残念ながらいくら身近に例があるからと言って同じものさしを使えるわけではありません。

 でも私の使っているものさしと違うものさしがあるというのを知っているだけで、(まだ自分は使うことが出来なくても・・・)ちょっと違うのではないかとも思います。

 『子どもは「子どもには見えないものが見えている人、子どもには理解できない理路がわかっている人」を想定しない限り、子どものレベルから技け出すことができない』そうですから。


巻頭言   額に汗して      樋口孝徳

 私が会長になって何年かして大学の後輩という人が教会へ訪ねてきたことがある。

 大学の後輩と言っても、直接の知り合いではなく、大学の卒業者名簿か何かを調べてきたようで、彼は、「先輩に一度お会いしたくてやってきました」という。最初は「暇な時間に大学の先輩を尋ね歩いているんです」というから変わった人もいるもんだと思いながら、わざわざ大阪から、草深いこの田舎にまで来てくれたことに敬意を表して話を聞くことにしたが、大学の話もそこそこに、結局自分の勤めている会社が「金」を扱う会社で、これから金は上がるから金を買えという話になった。

 買うお金がないと言うと、こんな立派な家にすんでいるのだから、無いはずはないでしょうと反論する。無いのは事実だし、有ったとしてもそれは教会のお金であり、私自身のお金ではないといってもなかなか引き下がらない。

 二時間近く話をしていただろうか。執拗に食い下がる彼に、大学の後輩といっても無理なものは無理だからと言うと、「金はこれから絶対に上がります。絶対に儲けることができます。先輩はお金が欲しくないのですか」と大きな声で叫んだ。

 「お金は額に汗して働いて得る物であって、それ以外のお金は、別に欲しくない」と言うと、絶句した。これ以上何を言っても仕方がないと思ったのか、「帰ります」と言ってそそくさと帰ってしまった。

 それから金は三倍近く高くなった。あの後輩は嘘は言ってなかったということになる。お金があったら、買っておけばよかったと秘かにほぞを噛む思いも無いことはないが、お金は額に汗して働いて得るものだとの思いは今もある。

 バブルのころからだったろうか。テレビでお金持ちのお嬢さんや、息子たちが話題になり、その豪邸や暮らしぶりが放送されるようになった。親や祖父母が犯罪を犯してもその子に何の罪もないのと同じように、自分が働いたものならまだしも、親や祖父母がお金持ちだからといって、その子に何の価値もないことは自明なことなのに、恥ずかしげもなく自慢をするようになった。それは日本人の価値観が変わっていく過渡期だったのかもしれない。

 株や土地に狂奔したバブルがはじけたのは、平成三年ごろ、今から三十年近く前であるが、田舎に暮らしていた私達にはほとんどバブルの余波も余慶も得ることはなかったけれど、それ以後の不景気の影響はもろにかぶってきた。

 そしてもっと重要な影響は、額に汗して働くと言った勤労に対する素朴な信頼感、人に影響されず自らの価値観をしっかり持っていた人々の勤労への思いが揺らいできたことではないかと思う。

 今またビットコインで、儲けたとか損したという話が出てくる。額に汗することも無く、才覚でお金儲けができることを誰も怪しまず、誰もがあやかりたいと思ってしまう時代だ。

 教祖は『はたらくとはハタハタ(まわりのもの)を楽にするから働くというのやで』とお聞かせいただいた。(先祖は農民で武士ではないけれど)「武士は食わねど高楊枝」と言う。

 教会はその旗をしっかりと握っていつまでも振り続けていたいと思う。