巻頭言   成人の証明      181年1月

 あけおめ・ことよろ

 そう言えば成人の年齢を十八歳にしようとする政府案が出るとニュースで知りました。それに対して呉服業界が、十八歳になると大学入試と重なるので、振袖の売り上げに影響すると反対しているそうです。政府の決める成人の年齢がどのような基準で引き下げられようとしているのか私にはよくわかりませんが、いわゆる大人としての年齢が十八歳であろうが二十歳であろうが、身体が一人前の大人になった年齢というぐらいの意味で、本当の意味での大人、成人の年齢を決めるものではないことは言うまでもありません。
 その人が肉体的に大人か子供かは容姿を見ればすぐにわかることですが、精神的に成人しているかどうかを見るのは、大変難しいことで、老年になっても心は子供のような人も意外と近くにいるような気がします。
 天理教ではよく「成人の旬」という言葉を使いますから、何歳になったからと言って成人しているわけではないということはわかります。そしてそれはもちろん身体の成人を意味しているのではなく、心の成人を意味しているからということになりますが、果たして心の成人とはどのようなことを言うのでしょうか。
 心の成人と身体の成人とは大きな違いがあります。身体の成人は、自然になっていくものです。時というものが必要ですが、時さえかければ人は次第に大人になっていくのです。そして残念ながらそうなりたくないと言っても、必ず人は成長し大人になり、やがて年をとり老人となります。
 それに反して心の成人は、年限が来れば自然になるものではありません。心の成人は、まず自分の中に成人したいという強い気持ちが湧かなければなりません。身体は成人していても、心の成人が止まったままの人がいるのも、心の成人には成人したいという気持ちが必要なのですから、これでいいと思った時から心の成人は止まります。しかも心の成人は、それによって目に見えた何かを得るというものではありません。たとえば成人したからと言ってお金が儲かるわけでも幸運に巡り会うわけでもなく、普通に考えたら損をする事のほうが多いのかもしれません。教祖のひながたを世間のものさしで量ってみればそれはよくわかることです。
 しかし、成人することによって今まで見えなかった世界が現前に開けるかもしれません。それは成人したものだけが見える世界があるということです。
 私たちの祖父母の時代、「おやさま」という言葉がもっと日常の会話の中に出てきていたように記憶しています。それは会長家族だけではなく、信者さんの間にも頻繁に出てきました。「教祖のおかげ」「教祖に申し訳ない」というような言葉が日常の言葉として使われていました。そこには教祖へのゆるぎない尊敬と憧憬の念がありました。
 心の成人は目標が必要です。ああなりたいという成人の目標がなければ、成人しようという気持ちが湧いてこないからです。

祖父母の時代、教祖はまだ現実にあった人もあり、教祖への思いも私たちの時代よりずっと強かったように思います。その教祖への深い思いが人々の成人を促していたように思います。
 それが今の私たちにどれだけあるか、教祖が現身を隠されて一三〇年余り、教祖のひながたをしっかりと辿りたいという強い思いが自分の中にどれだけあるかをもう一度問わなければなりません。
 成人するためには今まで自分が使っていたものさしと違うものさしがあるということを知り、その新しいものさし絵雄使えるようにならなければなりません。
教祖伝逸話篇三一「天の定規」で教祖は次のように言われました。

『世界の人が皆、真っ直ぐやと思うている事でも、天の定規にあてたら、皆、狂いがありますのやで』と

 その天の定規というのは、人の喜びが自分の喜びになるような親の心になるという考え方です。神様の考える結構と人間の考える結構には鮮やかな違いがあります。

 三九 もっと結構  『ある日のこと、西浦弥平がお屋敷からもどって、夜遅く就寝したところ、夜中に、床下でコトコトと音がする。「これは怪しい。」 と思って、そっと起きてのぞいてみると、一人の男が、「アッ」と言って、闇の中へ逃げてしまった。後には、大切な品々を包んだ大風呂敷が残っていた 弥平は、大層喜んで、その翌朝早速、お詣りして、「お蔭で、結講でございました。」 と、教祖に心からお礼申し上げた。すると、教祖は、「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか。」と、仰せになった。弥平は、そのお言葉に深い感銘を覚えた、という。』  

 成人の軌跡は成人したものにしか見えないものです。
 身体の成人の時も同じです。幼児は自分が小学生になり中学生になり、疾風怒濤というべき青春時代を過ぎて大人になるのだということが分かりません。私たちにそれが分かるのはそんな時代を自分が経験したからです。経験した事後にしかどのような軌跡を通って成人したかということは分からないのです。
 それは「心の成人」も同じことのように思います。成人の道中ではどのように自分が成人しているかはなかなかわからないものです。 ですから成人して初めて次のように思えるのです。
 二人三人寄れば皆皆話し、今までは、わしはこんな心で居た、俺はこんな心使うて来た、と皆んなめん/\の心通り、言わしてみせる。明治二十年四月三日
 今まで私はこんな心で居た、俺はこんな心を使ってきたというのは、成人して振り返って初めて言える言葉なのです。
 成人の証明とは、このことが言えるかどうかではないかと思います。
 自分の心を振り返ってみて、今までこのお道の話を聞くまでは、「金があること、高い地位にあること、豪華な家に住んでいること、高い服を着ていることを端的に誇らしく思い、能力がある人間が優雅に暮らし、無能で非力な人間たちが路傍で飢えているのは自己責任であり、能力のある人間が高い格付けを受け、無能な人間が軽んじられ、侮られるは適切な効果の結果であり、それは社会的フェアネス」なのだと考えていたが、そうではなく「お屋敷に居る者は、よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、と思うたら、居られん屋敷やで。よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、とさえ思わなかったら、何不自由ない屋敷やで。これが、世界の長者屋敷やで」。(七八 長者屋敷)という教祖の考え方を、自らの生き方としようとして努力して来たものを、成人と言うのだと思います。
 そのような成人を今年も一歩一歩歩んでいきたいと思います。


巻頭言
   ものさし       181年2月

 先日成人の証明を二枚に渡って書きましたが、先日もっとわかりやすい言葉で書かれた文章を読みました。それは内田樹先生のこんな文章です。

 『成熟するとは要するに「さまざまな価値や意味を考量できる多様なものさしを使いこなせる」ということである。

そのような「複数のものさしの使いこなし」は「単一のものさし」をあてがって万象を考量しようとする「オレ様」的態度とはついに無縁のものである。

 子どもは最初一つの「ものさし」しか持っていない。

 生理的に快か不快か、それだけである。

それ以外の「ものさし」はひとつずつ自作するしかない。

 現実原則についてフロイトが言ったように、「短期的には生理的に不快であるが、少し長いスパンで考えると、安定的に高い快をもたらすもの」を考量できるようになると「次のものさし」が手に入る。それを空間的・時間的に拡大してゆく。 

 そして、やがて「自分にとっては不快であるが、同時的に存在する多くの人々に安定的に高い快をもたらすもの」や「自分が死んだあとに未来の人々に安定的に高い快をもたらすもの」を「自分の快」に算入できるようになる。

それが「だいぶ大人になった」ということである』

 そういう意味で言うならば、今私が一番よく使っている「ものさし」は、「自分にとって損か得か」という「ものさし」です。買物をするとき、買った価格以上に効果があれば、得であり、効果がなければ損をしたというふうに考えます。ただ商品を買う時に使えばその「ものさし」は有用な「ものさし」ですが、その考えを買い物だけではなく、人生のあらゆる場面で使ってしまいます。

 他のものさしをお前は知らないのかと言えばそうでもありません。教祖のひながたというものさしを微かに知ってはおりますが、その天の定規といわれる「ものさし」を使っているとはなかなか言えません。知ってはいるが使おうとしないのは、私が通常使っている「損か得か」というものさしとはま正反対だからです。どろぼうと鉢合わせして、泥棒がびっくりして逃げた時、教祖に「おかげで助かりました」と言う人に、「欲しい人にもろてもろたらもっとよかったのに」とおっしゃられた教祖のものさしは、今の自分のものさしでは測りきれません。

 そんな教祖のものさしを使えた人が私の近くにもいました。私の祖父母です。教祖の教えに感激し、三名之川の教会(当時はこの場所ではなく狭い家を間借りしていました)に、移ってきました。祖父母は米屋と金貸しをしていましたが、天理教の話を聞いて、米屋をたたみ、借金をすべて棒引きにしました。とても貧乏でいよいよ食べる米も無くなったそうです。その時祖父母は天理教を止めたのではなく、「今日から教祖のひながた(教祖が生きられた人生)の百分の一でも真似事ができる」と喜んだそうです。

 残念ながらいくら身近に例があるからと言って同じものさしを使えるわけではありません。

 でも私の使っているものさしと違うものさしがあるというのを知っているだけで、(まだ自分は使うことが出来なくても・・・)ちょっと違うのではないかとも思います。

 『子どもは「子どもには見えないものが見えている人、子どもには理解できない理路がわかっている人」を想定しない限り、子どものレベルから技け出すことができない』そうですから。


巻頭言   額に汗して      3月

 私が会長になって何年かして大学の後輩という人が教会へ訪ねてきたことがある。

 大学の後輩と言っても、直接の知り合いではなく、大学の卒業者名簿か何かを調べてきたようで、彼は、「先輩に一度お会いしたくてやってきました」という。最初は「暇な時間に大学の先輩を尋ね歩いているんです」というから変わった人もいるもんだと思いながら、わざわざ大阪から、草深いこの田舎にまで来てくれたことに敬意を表して話を聞くことにしたが、大学の話もそこそこに、結局自分の勤めている会社が「金」を扱う会社で、これから金は上がるから金を買えという話になった。

 買うお金がないと言うと、こんな立派な家にすんでいるのだから、無いはずはないでしょうと反論する。無いのは事実だし、有ったとしてもそれは教会のお金であり、私自身のお金ではないといってもなかなか引き下がらない。

 二時間近く話をしていただろうか。執拗に食い下がる彼に、大学の後輩といっても無理なものは無理だからと言うと、「金はこれから絶対に上がります。絶対に儲けることができます。先輩はお金が欲しくないのですか」と大きな声で叫んだ。

 「お金は額に汗して働いて得る物であって、それ以外のお金は、別に欲しくない」と言うと、絶句した。これ以上何を言っても仕方がないと思ったのか、「帰ります」と言ってそそくさと帰ってしまった。

 それから金は三倍近く高くなった。あの後輩は嘘は言ってなかったということになる。お金があったら、買っておけばよかったと秘かにほぞを噛む思いも無いことはないが、お金は額に汗して働いて得るものだとの思いは今もある。

 バブルのころからだったろうか。テレビでお金持ちのお嬢さんや、息子たちが話題になり、その豪邸や暮らしぶりが放送されるようになった。親や祖父母が犯罪を犯してもその子に何の罪もないのと同じように、自分が働いたものならまだしも、親や祖父母がお金持ちだからといって、その子に何の価値もないことは自明なことなのに、恥ずかしげもなく自慢をするようになった。それは日本人の価値観が変わっていく過渡期だったのかもしれない。

 株や土地に狂奔したバブルがはじけたのは、平成三年ごろ、今から三十年近く前であるが、田舎に暮らしていた私達にはほとんどバブルの余波も余慶も得ることはなかったけれど、それ以後の不景気の影響はもろにかぶってきた。

 そしてもっと重要な影響は、額に汗して働くと言った勤労に対する素朴な信頼感、人に影響されず自らの価値観をしっかり持っていた人々の勤労への思いが揺らいできたことではないかと思う。

 今またビットコインで、儲けたとか損したという話が出てくる。額に汗することも無く、才覚でお金儲けができることを誰も怪しまず、誰もがあやかりたいと思ってしまう時代だ。

 教祖は『はたらくとはハタハタ(まわりのもの)を楽にするから働くというのやで』とお聞かせいただいた。(先祖は農民で武士ではないけれど)「武士は食わねど高楊枝」と言う。

 教会はその旗をしっかりと握っていつまでも振り続けていたいと思う。



巻頭言   少年会総会        4月

 

 三月三十一日に今年の少年会総会、第四十一回総会が終わった。

 今年も当教会からも大勢の人たちが参加して、賑やかにつとめさせていただいた。

 第一回総会の時、ちょうど学校を卒業して初めての総会のひのきしんに出させていただいた。当時は午後のお楽しみ行事は外のステージで、ひのきしんで舞台をつくったことを覚えている。大教会の五代会長がお元気で見回りに来られ、梅の木の根元に杭打ちをしていたので、「もう少し杭を離せ」と言われたことを懐かしく思いだす。後で思い入れのある梅の木だったとお伺いした。

 木の杭を打って、その横に丸太をバンセンでくくり、縦横に丸太を交差させながら舞台をつくった。今考えれば素人たちの素人普請で、よく大丈夫だったと思うが、鼓笛隊がステージ上で演奏しても壊れなかったので、お互い怖いもの知らずだったと思う。

 そんなことを思いだしながらおつとめに唱和していると、少年会の子供たちの顔が様々な顔に変っていった。

 卒業して鷲家に帰った四十年ぐらい前の最初に少年会活動を始めたころは、教会の近所の子供達も大勢連れて総会に参加した。そのころは、午後のアトラクションで人形劇を何年にもわたり上演したこともあった。

 三名之川へ来て子供たちが小学生になった頃は、子供達の友達も何人もおつとめ総会に参加してくれた。みんな大きくなって、今の少年会の参加者はほとんど、その子供たちの時代だ。

 少年会のおつとめには参加してくれたが、それ以後ほとんど交流のない子供達も多い。それでも小さい時に教会のおつとめを経験するということは、神様から見たらもちろんのこと、その子にとっても大事な思い出になる。

 子供の時におつとめに出ているのと、大人になってから初めておつとめに出るのは、おつとめというハードルの高さも違うように思う。最近の総出のおつとめには、少年会総会のおつとめに出てくれた子供たちが、出させてもらうようになった。中には、婦人会のおつとめや教会の夕づとめに参拝してくれる子もいる。

 本当にありがたいことだと思う。 


巻頭言   それはそれ、これはこれ  5月

 十二年ほど前に隣地の駐車場を買わせていただいた。それまでも時々いろいろな人の車が置いてあったことがあったのだが、買わせていただいた後でも、時々誰のかわからない自動車が停められていることが以前よくあった。それを見ると、小さい私は、何か心がざわつくような気がしていた。そんな時ある信者さんが、「会長さん、勝手に停めるなと一回言わなあきませんで」と言ってくれた。本当は我が意を得たりというところであったが、そこは会長、次のような話をした。

 教祖の御逸話の中に、泥棒に入られた信者さんが、夜中にふと目が覚め、泥棒と鉢合わせをして泥棒が驚いて、盗んだ荷物を置いて逃げたという話がある。そのお礼を言おうと翌日教祖の御前で、『お蔭で、結講でございました。』と、教祖に心からお礼申し上げた。すると、教祖は、『ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか』と、仰せになった。というお話がある。そのお話を思いだして、「私も、車を置きたい人に置いてもろたらもっと結構というような気持ちにならなあきませんなあ」と思ってますと、信者さんに話をした。するとその信者さんが、ニコッと笑って「会長さん、それはそれ、これはこれでっせ」と私に言ってくれたことがある。けだし名言であると今も思う。教祖のひながたはそれはそれで大変ありがたいものだと思うが、私たちが生きていく上でそんなことを言っておれない時もある。だから「それはそれ、これはこれと」峻別しなければならない時もあると、彼は言外に、におわせているのだと思う。もう十年以上前の話になるが、別に信者さんに悪気があるわけではなく、またそんな信者さんがおってくれるおかげで、私のようなものでも会長然としておられるのではあるが、それでもその言葉が、教祖が私に向けて言ってくれた言葉のような気がする。

 今天理教の勢いがなくなってきたという話を、私たちはよく聞くようになった。その一番大きな原因が、私たちの信仰が「それはそれ、これはこれ」になってきたからなのではないかと思う。教祖御在世中から、昭和初期まで教祖に直接教えられた人やその人々の周りにいた人たちが生きていた。そして昭和の終わりぐらいまでは、教祖という存在が実際にあったものとしての存在感を持っていた人々がまだこの世に生きていた。その時はまだ私達信仰者の全てにとって、「教祖のひながたが私たちの生きる手本だった」と思う。そして今、「それはそれ、これはこれ」と教理と現実の生き方が違うことを怪しまない人がだんだん増えてきた。

 お前もその一人どころか、おまえがその代表なんだよ。教祖は寂しそうに私に話してくださった。

 その反論を私はまだできずにいる・・・・。

巻頭言  今もおてんとうさまは見ている6月

 子供の頃、「うそつきは泥棒の始まり」と、よく言い合ったような気がします。子供同士の他愛のない話の中で、話を盛ったり誇張したり、また子供にとって理解できない話になると、「そんなんうそや。うそつきは泥棒のはじまりなんやで」などと子供同士言い合っていました。

 そんな他愛もない嘘をよくお互いについていたような気がしますが、その嘘をいけないことだと教える「おてんとうさまは見ている」というような世間知も確かに存在していました。

 でもいったい今はどうなっているのでしょうか。大の大人がうそのつきあいをしています。

 今テレビで騒がれているのは、政治的には「森友問題と加計学園問題」これはテレビ局もいろんな忖度が必要なようで、テレビの報道は、どちらがうそをついているとは明言していません。どちらがうそをついているのかテレビの報道がほぼ断言しているのが「日本大学アメフト」問題、こちらはそんなに忖度も必要ないのか日大のアメフト元監督が悪者のようです。そしてテレビの話題は、今「紀州のドンファン不審死」問題が花盛りです。果たして犯人は誰なのでしょうか。(移ろいやすいテレビの世界ですからこれをお読みくださる頃には、全てがずいぶん過去の話題になっている気もしますが・・・)

 このいずれもが、どちらかがうそをついているのです。ちょっと落ち着いて考えれば、どちらがうそをついているのは一目瞭然なのに、隠し通せると思っているのでしょうか。

 加計問題に至っては「私がうそをついたようです」などと無意識に嘘をついてしまう人まで出てくる始末です。

 「無理が通れば道理が引っ込む」という諺もありますから、嘘をつき続けていれば、時間が経って人々は忘れると思っているのかもしれません。まさかばれなければいいと思っているのではないでしょうが、「美しい国日本」がいつの間にか、さもしい国になっていくだけではすまないような気がします。

 私たちは人間には魂があるとお聞かせいただいています。嘘はその魂に大きな影響を与えるのではないでしょうか。

 おふでさきをひも解けば、うそに対して次のようなお言葉がすぐに思い浮かびます。

 これからハうそをゆうたらそのものが

     うそになるのもこれがしよちか   12112 

 月日にハうそとついしよこれきらい 

     このさきなるわ月日しりぞく    12113 

 いま「忖度」(そんたく)という言う言葉も話題になっていますが、辞書で調べると忖度(そんたく)とは、「他人の気持ちを推し量ること、推察」となっており、別に悪いことではありません。ですから今テレビで使われている忖度は、追従(ついしょう)「こびへつらうこと」という意味のほうが近いように思います。

 神様が「その先なるは月日しりぞく」とまでおっしゃている「うそとついしょう」にまみれながら、私たちは毎日そのテレビの洗礼を受けています。

 私や息子たちは、加計問題や日大問題などが出てくると、「もう飽いた、見たくない」とテレビのチャンネルをすぐに変えてしまう、うつろいやすい視聴者の代表格です。

 ですからそれは、私の心にあまり影響を与えていないかに見えます。しかし本当にそうだろうかと、思わずにはいられません。心は見たくないと拒否していますが、この世の中の風潮が、大気汚染が人々の身体を壊すのと同じように、日本全体を覆って、私たちの魂を毎日毎日汚しているのではないかと危惧するのです。

 私たちが子供の頃よく言い合った「うそつきは泥棒の始まり」という言葉も「おてんとうさまが見ている」という言葉も、死語に近い言葉になってしまいました。誰もそんなことを信じなくなったのかもしれません。私たちをいつも見ていてくれたおてんとうさまがいなくなり、うそをつくというハードルがこんなに軽くなってしまった今、私たちはこれからどんな世界に向かおうというのでしょうか。

 自分を律するものが自分しかいないのであれば、自分の快・不快を自分の行動基準にする人を責めるわけにはいきません。私たちは何をしても許されると考える、魂の汚れた人をそこかしこに見かけるようになりました。遂には人を殺したいから、人を殺しましたという人さえ現れるようになりました。

 宗教は、私たちを律するものが、私たち以外にあるということを教えるものです。今こそ本当に宗教の必要な時代なのです。本当の宗教の必要な時代です。

 私たちは「教祖のひながた」を、教祖の生き方を今こそ声高に掲げるべき時なのだと思います。

 

巻頭言  今もおてんとうさまは見ている②                  七月

 七月五日から八日にかけて、天の底が破れたかのような大雨が降り、西日本各地に甚大な被害を出しました。

 亡くなられた方には衷心より哀悼の意を表します。

 毎年この時期に必ずこのような大雨被害が起こるようになってきました。私たちが子供の頃、梅雨というのは雨が降り続きじめじめしているというイメージはありましたが、あまり昨今のような豪雨のイメージはなかったように思います。
 それが最近は、毎年豪雨被害が出ます。
 天の底が破れたような大雨が続き、刻々と増水する川を見ていると、人間は本当に何もできないのだということがよくわかります。
 私たちの暮らしの結果が温暖化という気候変化を呼び、その気候変化の結果が、毎年のように起こる豪雨被害となっています。それは、先ず川に近い人や山に近い人に悲劇として表れています。その人が悪いわけではなくたまたまそこに住んでいただけの悲劇です。でもその悲劇の原因は、私たちが作ったものです。
 先月私は「今もおてんとうさまが見ている」という文を書き、世の中の嘘の蔓延に警鐘を鳴らしました。偉そうなことを言うようですが、嘘をついてもばれなければいいのだという考え方が蔓延することによって、その人だけではなく私たちの魂をも汚しているのではないかと書きました。その汚れはまず心の弱い人を汚染していきます。自分を律するものが自分しかいないのであれば、自分の快・不快を自分の行動基準にする人を責めるわけにはいきません。私たちは自分の快・不快を基準に、何をしても許されると考える、魂の汚れた人をそこかしこに見かけるようになりました。

 この文章を知ってますか。

「きのうまで全然出来てなかったこと、これまで毎日やってきたことを なおします」

「これまでどんだけあほみたいに遊んだか、遊ぶってあほみたいだからやめる。もう絶対絶対 やらないからね。絶対 約束します」

 遊び呆けていたあほな高校生が、大学受験で心を入れ替え、しっかり勉強しますという言葉ではありません。 五歳の女の子の、お父さんとお母さんに対する命がけのまさに命がけの哀訴の言葉です。
「あしたはもっともっと できるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします ほんとうにもう おなじことはしません ゆるして」

「きのうまでぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことを なおします」

「これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめる もうぜったいぜったい やらないからね ぜったい やくそくします」私の孫も同じような年です。でもこんな文章は書けないでしょう。

 この哀訴のメモも空しく、彼女は亡くなってしまいました。

 無職の父親(33)と母親(25)は、今年一月下旬頃から女児に十分な食事を与えず、栄養失調状態に陥らせ、暴行を加えて虐待。五歳児の平均体重は約二〇キロだが、死亡時は約十二キロまで衰弱していたそうです。嘔吐するなどしたにもかかわらず、二人は虐待の発覚を恐れたため、病院へ連れて行くことをしなかったので、女児は敗血症で死亡したそうです。

 こどもによって、無私の愛を経験できる人もいれば、邪魔者にしか感じない人もいるのです。

 私たちは、地球という惑星に、太陽の恵みと水と空気と地面から生える様々な恵みの恩恵によって生かされています。

 それを当たり前と思うか、何と不思議なことと思うかで生きるということに対しての意味は大きく変わります。それはどんな時も同じことです。
 私たちの豊かな生活が地球の温暖化を招き、それが異常気象を招いているのであれば、温暖化を止めるのは私たちの責任です。それと同じように私たちの心が自分さえよければという心に汚染され、そのことによって幼児への虐待が進んでいるのだとすれば、それを止めるのも私達しかいないはずです。

 今日は大雨が止んで、暑いぐらいの日の光が、すべてを照らしています。自然は何も言いません。でも聞く耳さえあれば、いろんなことを教えてくれるのだと思います。

 七月八日 雨が止んで洗濯物が乾いていきます。

巻頭言  後ろから拝む181年8月                  
  『「おつくし(お供え)の話を人に聞いていただくには、その人に後ろ姿を拝まれるようになってからである」という、ある先生から聞いた言葉が忘れられない。

 その話を聞いて、自分を後ろから拝んでくれる人が何人いるか指折り数えてみたことがある。私も教会長の端くれだから、前から礼をしてくれる人は何人かいるが、後ろから頭を下げてくれそうな人は、片手どころか一人も見当たらなかった。

 後ろから頭を下げてもらうにはどうしたらいいのだろうか。

 おもしろいことを経験した。おさづけに行かせていただいた時のことである。その家は神様を祭っておられるので、講社祭りにはいつも行かせていただいているが、家人とは、玄関先で別れていた。ある時、おさづけの理の取り次ぎに行かせていただいた帰り、玄関先で別れ、家を出て角を曲がるとき何げなく振り返ったら、いつもは玄関先で別れていた家人が、門を出て深々と頭を下げてくださっていた。

 前から頭を下げていただくのはそう難しい事ではない。地位や力が上になれば、人は簡単に頭を下げる。しかしそれは、その人に頭を下げているのではなく、その人のもっている地位や、力、お金に頭を下げているだけである。そうはわかっていても、それに慣れてしまうとそれが自分自身に対して頭を下げてくれているかのように錯覚する。

 それに対して後ろから拝まれるために必要なものは、相手に対する底無しの親切であり、誠真実である。言うなれば、人が前から頭を下げる場合は目に見えるものに対して頭を下げるのであり、後ろからの場合は目に見えないものに対して頭を下げてくれているのである。前から頭を下げてくれる人と、後ろから頭を下げてくれる人の数を数えてみると、どちらがより難しいかは言うまでもないだろう。

 ある時もっと大切なことに気がついた。果たして自分が後ろから拝める人は何人いるかということだ。後ろから拝めるような人は余りいないものである。それがさも当然のように思っていたが、よく考えてみると、人を後ろから拝めないということは、自分のほうが上だと思っている、高慢以外の何物でもない。「無条件に尊敬できる人なんてそんなにいないもんやな」と豪語してきたが、それは自分の高慢さを自慢していただけに過ぎないと、やっと気がつくことができた。

 それに前から頭を下げてもらうのも、後ろから頭を下げてもらうのも、これは人任せである。自分ががんばった結果であるとしても所詮人任せである。相手の人が頭を下げてくれなければ仕方がないのである。いうなれば自分にはどうしようもないことである。 

 しかし自分が後ろから頭を下げられる人を一人でも多くつくっていくのは、これは自分ができることである。

 人生の価値というのはいろいろな計り方がある。どれだけ名刺の横に肩書があるかということを、人生の目的にするような人も多いように思う。しかし、一生のうちでどれだけの人を後ろから拝めるようになるか、その人を今からどれだけ増やせるかが、一生の目的になるような人生を、私は送りたいと思う。』立教百五十五年三月

 二十六年前の私の文章です。久しぶりに古い教会報の巻頭言の中からこの文章を見つけました。偉そうなことを書いています。

 二十五年前の自分と今の自分、少しは変わったでしょうか。

 会長を二十五年以上もさせていただき、大教会の役員先生にまでしていただき、前から頭を下げてくれる人も少しは増えたかもしれませんが、それと引き換えに高慢の度合いが激しくなっただけなのではないかと危惧しています。

 でも会長を二十五年以上も勤めさせていただいたおかげで、こんな高慢な私でも、信者さんの後ろ姿には自然に頭が下がるようになりました。

 毎日日参をされる方、いつも率先してひのきしんをしてくださる方、こんな私を会長さんと慕ってくださる方、そんな皆さんのおかげで、こんな私でも会長をつとめさせていただいています。

 そして皆さんのおかげで、後ろから拝める人が随分増えたような気がします。決して忖度でもごますりでもありません。私のようなものを会長さんと言ってくださるのはみなさん以外はないのですから・・・。