巻頭言  私が天理教です 一八二年 一月

 新年明けましておめでとうございます。

 今年はいよいよ年号が変わり、皇太子が天皇に即位されます。 

 天皇としての最後の誕生日の会見を拝見しましたが、天皇陛下の誠実で真摯な生き方に改めて打たれたのは、私だけではないと思います。

 「沖縄は,先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め,私は皇后と共に十一回訪問を重ね,その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは,これからも変わることはありません。

 そうした中で平成の時代に入り,戦後五十年,六十年,七十年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ,また,我が国の戦後の平和と繁栄が,このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず,戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに,心から安堵しています。」と、戦後の歩みと沖縄について述べられました。

 そんなお話を聞きながら、「ノブレス・オブリージュ」という言葉を思いだしました。欧米に育まれた「ノブレス・オブリージュ」という観念は、フランスが起源で、王族や貴族に課せられた義務を意味する言葉です。当時の貴族には多くの特権も与えられましたが、彼らには戦争となれば率先して最前線に立って命懸けで戦う義務も課せられました。「ノブレス・オブリージュ」は、「人の上に立ち権力を持つ者には、その代価として身を挺してでも果たすべき重責がある」と解釈されます。

 私は右翼でも左翼でもない、なかよく(中翼)ですというつまらない洒落を昔いってましたが、天皇陛下の言葉を聞きながら、身を挺して果たすべき重責を果たされている人の姿を見たように思います。そして上に立つ人がそうであるからこそ、あの首相を頭にいただきながらも、日本はまだ曲がりなりにも治まっているのだとも思いました。

 おさしづには次のような言葉があります。「狂うてはならん。一人狂えば皆狂う。一つ龍頭という、龍頭が狂うたら皆狂うで。狂わずして、日々嬉しい/\通れば、理が回りて来る。なれど、こんな事では/\と言うてすれば、こんな事が回りて来る。」(明治三十四年七月十五日)という有名なおさしづです。

 教え諭す立場にあるものの心の持ち方を、端的にお話し下さっています。教会長として何もかも喜んでいるか、起ってきたいろいろなことを自分の責任として受けているかどうか、改めて反省しなければならないと思います。

 古いユダヤ教の聖典『タルムード』には、「世界の調和的存続はわずか三十六人の義人、すなわち、神の摂理を実行する人たちによって支えられている」という言い伝えが遺されています。どの時代の世界の成否も、本当に正しい人間が三十六人いるかどうかにかかっているのです。たった三十六人です。消えてしまいそうなぐらい少ない人数です。それでも三十六人さえいれば、世界が道徳的に成り立つことが保障されているのです。 

 三十六人と言えば、おふでさきの次のような言葉との符号が意味深い気がします。

   一寸したるつとめなるとハをもうなよ 

    三十六人にんがほしいで    十号 二十六

 二代真柱様は、天理教とはどういう教えですかと聞かれたら、「私が天理教です。と言えるようになりたいものやなあ」と、しみじみと仰せになったといいます。

 本当にそう言えるようになりたいと思います。

 

 

今月の名句・名歌

 五行詩という新しい形態の詩です。条件は五行になっている事だけだそうです。季語もありません。

 

○体とまた/心さえ/親子より/深く知りあう  

 男と女なのだ          草壁焔太

○そんなに/自分自身に/しがみつくなよ/

 よく見れば もうぼろぎれだ   草壁焔太

○それは/生きる醍醐味/つらい今日が

 昨日になって/夢見た明日が今日になる 三隅美奈子

○一人の中で/二つの心臓が/リズムを合わせてる/

 十月だけの/二重奏       兼子利英子

○「ママ」/幼いころのままの表情で 

 私を見上げている/今日/「母」になった娘 

                 永田和美

○「長寿を讃えるは/老いの苦しみを知らぬ者の

 たわごとなり」/米寿祝いの席

 /母のことばに凍りつく           

                 鮫島龍三郎

○たいしたことなど/なにもできない/だから 

 たった一つの/心を磨けばよい  草壁焔太

巻頭言  前人未到の世界 一八一年 二月

 私は天理時報に掲載される中島みゆきさんのコラムを愛読しているが、とくに前々回のコラムにはとても考えさせられた。「人生は台形のように 急な登り坂と、平坦なしばらくと、急な下り坂。はてこの下り坂がなんのためにあるのか、そこが問題だ。こんな下り坂いっそ、無くてもよかったんじゃないのか。生きれば生きるほど、悲しくつらくなるだけならば、悲しくつらくなるために生はあるという答えになる。そんなはずはない。ここにはきっと何かある。この下り坂には、何か仕掛けがある」

 ここ十年ぐらい私も老いの意味を考えている。さすが中島みゆきさんだなと、みゆきさんファンの私は一人ごちしているが、老いについて、最初に分かったとても大切なことがある。自分が老いなければ、老いについてなど考えもしないということである。当たり前のことだが、私は最近「ある年齢に達しなければわからないことがある」とよく言っているのだが、老いなどはその典型的な例だと思う。老いというのは自分が経験しなければわからないものであり、そこにどんな仕掛けがあるのかも、私達老いている者しか分からないことなのだと思う。

 戦後すぐの日本人の平均年齢は、五十歳を少し超えたところだった。加山雄三の『若大将シリーズ』という映画が1960年代から70年代にかけて何本も撮られたが、その映画のリバイバルで、若大将の友達が、父親が死んだという話をして「七十四歳だから年に不足はないけれど・・」と言っているのを聞いたことがある。七十年代はまだようやく男性の平均寿命が七十歳を越えたぐらいの時である。だから七十四歳で死んだら年に不足はないのである。それから私たちは急速に高齢化になり、今の平均寿命は、男性は81.09女性は87.26になるそうだ。七〇代で出直せば年に大いに不足ありということになる。

 日本が世界の平均寿命の最高を更新しているということは、世界で初めて日本人が、前人未到の世界を歩いているということであり、少し大げさに言えば、私たちは人類史上初めて老いというのを経験していることになる。

 大層な物言いになったが、この下り坂の仕掛けと意味を解くのは、老人のつとめなのだと思う。私のつとめであり、老人である貴方のつとめなのだと思う。

 私が中島みゆきさんのファンであることは周知の事実だと思うが、「下り坂の、何か仕掛け」をどう歌にしてくれるかを今から楽しみにしている。

 そう言えば、「傾斜」という歌がありましたね。三〇歳の頃の作品です。さすがです。

今月の名句・名歌

 傾斜      中島みゆき

傾斜一〇度の坂道を

腰の曲がった老婆が 少しずつのぼってゆく

紫色の風呂敷包みは

また少しまた少し 重くなったようだ

彼女の自慢だった足は

うすい草履の上で 横すべり横すべり

のぼれども のぼれども

どこへも着きはしない そんな気がしてくるようだ

※冬から春へと坂を降り 夏から夜へと坂を降り

愛から冬へと人づたい

のぼりの傾斜は けわしくなるばかり※

 

としをとるのはステキなことです そうじゃないですか

忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか

悲しい記憶の数ばかり

飽和の量より増えたなら

忘れるよりほかないじゃありませんか

息が苦しいのは きっと彼女が

出がけにしめた帯がきつすぎたのだろう

息子が彼女に邪険にするのは

きっと彼女が女房に似ているからだろう

あの子にどれだけやさしくしたかと

思い出すほど あの子は他人でもない

みせつけがましいと言われて

抜きすぎた白髪の残りはあと少し

誰かの娘が坂を降り 誰かの女が坂を降り

愛から夜へと人づたい

のぼりの傾斜は けわしくなるばかり

 

としをとるのはステキなことです そうじゃないですか

忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか

悲しい記憶の数ばかり

飽和の量より増えたなら

忘れるよりほかないじゃありませんか

 

巻頭言  あかんぼがいる  一八二年 三月

 『先日待望の第一子である長女を授けていただきました。予定日は、一月三十日だったのですが、陣痛が来たのかなと思って、病院に行って「まだですので、帰って下さい」という空振りを、二回経験しました。そんな時、会長である父から、「早く産まれるようにおさづけを取り次ぐ」と言われました。「希望の日があるか」と聞かれたので、「元気に産まれてくれるだけで十分です」と答えると、父は熱心におさづけを取り次いでくれました。 それからしばらくした二月二日の夜九時ごろ、本陣痛が起こり病院に向かいました。深夜十二時ごろにから娩室に入り、二月三日朝五時ちょうどに元気な女の子を授けていただきました。「をびやゆるし」のおかげで、初産としてはとてもスムーズな出産で、母子ともに元気にさせていただいています。奇しくも二月三日は父の誕生日。あの時のおさづけは、無事に産まれてくるようにとお願いしてくれていたのと同時に、おじいちゃんの心通りの守護を見せていただいたありがたい日になりました。』

 引用したのは、和徳が書いた大教会機関誌「天明」の編集後記です。おかげさまで、女の子の孫を授かりました。いろいろと心づくししていただき、本当にありがとうございました。

 赤ちゃんが生まれる前に、「産気づいて病院に行くときは、夜中でもお父さんに知らせようか」と聞くので、「親に迷惑をかけないように」と釘を刺しておきましたが、二月三日の朝六時前に和徳から電話がかかってきたので、「これから病院に行くのか」と聞いたら、「無事女の子ができました」と言われ、「いつの間にや、何とじいちゃん孝行の孫か」と、びっくりしました。

 体重は、二千八百グラム。結和菜(ゆいな)と名付けました。ゴッドファーザー・ドン・タカノリーネです。

 今までの孫とは違い、一緒に住んでいると、愛おしさもひとしおです。と、一応言っておきます。

 にんけんもこ共かわいであろをがな 

   それをふもをてしやんしてくれ  (十四 34)

「這えば立て、立てば歩めの親心」とよく言いますが、人間をおつくり下さった神様の思いが、孫を見ていると余計に心に沁みます。その神様の思いを、忘れないようにしたいと思います。

 まだ目も見えないそうですが、声は聞こえているというので、彼女の耳元で、「おじいちゃんですよ。おじいちゃんを大事にしましょうね」と、今から洗脳しています。

 「じじい、臭い。あっちに行け」と言われないように、

 

今月の名句・名歌

 

あかんぼがいる 谷川俊太郎

 

いつもの新年と どこかちがうと思ったら

今年はあかんぼがいる

 

あかんぼがあくびする

びっくりする

あかんぼがしゃっくりする

ほとほと感心する

 

あかんぼは 私の子の子だから

よく考えてみると孫である

つまり私は祖父というものである

祖父というものは

もっと立派なものかと思っていたが

そうではないとわかった

 

あかんぼがあらぬ方を見て 眉をしかめる

へどもどする

何か落ち度があったのではないか

私に限らず おとなの世界は落ち度だらけである

 

ときどきあかんぼが笑ってくれると

安心する

ようし見てろ

おれだって立派なよぼよぼじいさんになってみせるぞ

 

あかんぼよ

お前さんは何になるのか

妖女になるのか貞女になるのか

それとも烈女になるのか天女になるのか

 

どれも今は はやらない

 

だがお前もいつかは ばあさんになる

それは信じられぬほど すばらしいこと

 

うそだと思ったら

ずうっと生きてってごらん

 

うろたえたり居直ったり

げらげら笑ったりめそめそ泣いたり

ぼんやりしたりしゃかりきになったり

 

そのちっちゃなおっぱいが ふくらんで

まあるくなって ぴちぴちになって

やがてゆっくりしぼむまで