みなの長屋信仰談義 みかぐらうた物語

みかぐらうた物語 2




みなのながや信仰談義  十八 

   この信仰談義は教典を中心にした教理を、みなの長屋に住む長く天理教を信仰している物知り顔のご隠居さん、信仰しはじめの熊さん、無信仰の虎さんの三人の会話を通してできるだけ分かりやすく?したものです。

虎さん 暑うなってきましたな。

ご隠居 そやなあ、地球温暖化のえいきょうかなあ。

熊さん 地球は男でしたんか。

ご隠居 まさか、「地球おんだっか。」というんやないやろな。

熊さん なんでわかりますの。

虎さん こんなあほ、かまわんときましょ。

ご隠居 地球温暖化というのは、この母なる地球が人間が排出した二酸化炭素の影響で年々暖かくなってる現象なんや。

虎さん ほれみい。ご隠居さん母なる地球て言うてるやろ。地球はオンと違う。メンにきまっとる。

ご隠居 もう何でもええわ。今月は三下り目や。

 

第三章        みかぐらうた物語 D

あなたは再び、母親なるいざなみのみこと(白蛇)の体内から産み下ろされて、この世に生を享けます。第二回目の人生の始まりです。

第一回目、初めてこの世に産み下ろされた時と同じように、あなたは五分から生まれました。

そして、あなたの兄弟姉妹も第一回目の時とまったく同じ数で、九億九万九千九百九十九人でした。

さらに驚くべきことに、寿命も第一回目の時と同じで、あなたは兄弟姉妹と共に仲良く三寸五分まで成人してから、九十九歳で出直すのでした。

(考察)

第一回目の人生では、三寸まで成人して九十九歳で出直しました。

この度、第二回目の人生では、同じ九十九歳まで生きて三寸五分まで成人したのです

出直しというのは、一からやり直すということです。ここでは、五分からの再出発という訳です。

人間が成長する時、わずかでも進歩した時、その前には必ず一からやり直そうと思って努力した日があるのではないでしょうか。

三下り目

 一ッ ひのもとしよやしきの

    つとめのばしよハよのもとや

(通釈)日の本庄屋敷の、つとめする場所こそ、この世の元である

(物語)母親なるいざなみのみことは、おぢばで言いました。

「あなたたちは、ここで生まれたのです。ここがあなたたちのふるさとですよ」。ここは、母親なるいざなみのみことの体内、つまりお日様の元であるから「日の元」という所。

そして、ここはみんなが生まれた屋敷だから「生屋敷」と言うのだと、一番上の一番男前のお兄さんが親切に教えてくれました。その横で、歌の大好きなとても声の良い二番目のお兄さんが、楽しそうに歌を歌っていました。

その歌に合わせるようにして、その他のお兄さんたち、お姉さんたちがとても自由に気持ち良さそうに踊っていました。

それを見て、お母さんがにっこりほほ笑んでおられました。

あなたは、何とも言えない幸福を感じた瞬間でした。

お兄さんやお姉さんは、これを「おつとめ」と呼んでいました。

二ッ ふしぎなつとめばしよハ

    たれにたのみはかけねども

(通釈)不思議なつとめ場所の普請は、誰に頼みはかけないけれども

(物語)あなたは、この「おつとめ」が大好きでした。

第一回目の人生では、天の恵みへの感謝の気持ちを身体一杯に現わした踊りをみんなで踊れる公共の場所を作ろうと普請にかかったのに、突然の嵐が来て、すべて潰されてしまった悲しい思い出があります。あなたの前生のかすかな記憶でした。

三ッ みなせかいがよりあうて

       でけたちきたるがこれふしぎ

(通釈)世界の人々が皆、寄り合って、出来上がってくるのが、まことに不思議なことである。

(物語)母親なるいざなみのみことは言いました。

「おつとめをしなさい」

あなたは、その言葉にとても素直に「はい」と答えました。

そして気が付けば、みんなが普請に働いています。

材木を切って運んでいる人、大工道具を使って作業している人、設計図を書いている人、そして指図をしている人、みんな役割が決まっていました。間もなく、不思議な普請は完成しました。もちろん、ここはみんなが「おつとめ」をさせて頂く場所です。

「つとめ場所」と名付けられました。

四ッ ようようここまでついてきた

        じつのたすけハこれからや

(通釈)ようやくここまで随いて来た。真実のたすけはこれからである。

(物語)あなたは、お兄さんとお姉さんに「おつとめ」の歌と踊りを一生懸命に習いました。ちゃんと覚えるまで九十日かかりました。

これでやっとあなたも、木の香漂う真新しい「つとめ場所」でお兄さんやお姉さんと共に「おつとめ」ができることをとても幸せに思いました。

五ッ いつもわらわれそしられて

        めづらしたすけをするほどに

(通釈)何時も笑われそしられて、珍しいたすけをするであろう

(物語)あなたは、まだ「おつとめ」を知らない兄弟姉妹に声をかけてあげることにしました。

はじめに声をかけたのが、自分から数えて百六十四番目にあたる真面目な弟でした。弟は足が痛くて歩けなかったのですが、「おつとめ」を一緒にさせて頂くようになってから、不思議にも三日目で歩けるようになりました。

弟も喜んでいました。そして、あなたに感謝しています。

あなたは感動しました。こんなに素晴らしいことはないと思いました。これこそ、人間の最高の幸福であると感じました。

あなたは、次にあなたから数えて三十五番目のお兄さんに声をかけました。そのお兄さんは身体がとても元気で、どこも悪いところがありませんでした。

少し眼の吊り上ったそのお兄さんは、あなたに、

「そんなことしても、面白くない。やめろ、やめろ!」

と、とても邪魔くさそうな態度で言いました。

それを聞いていた何人かのお兄さんやお姉さんが、あなたを見てくすくすと笑っていました。あなたはかなりショックを受けて落ち込みました。

そんなある日、あなたのすぐ下の妹が台所でみんなのために料理をしていて、大火傷をしてしまいました。瀕死の重傷です。あなたは他の兄弟姉妹と共に、妹をたすけて欲しい一心で「おつとめ」をして母親なるいざなみのみことにお願いしました。

いざなみのみことは、

「かわいそうに、たすけてやろう」

と仰せになり、妹は奇跡的に一命を取り留めました。

まことに不思議な出来事でした。

六ッ むりなねがひはしてくれな                                  

        ひとすぢごころになりてこい

(通釈)無理な願いはしてくれるな。一すじ心になって随いて来い

(物語)あなたは「おつとめ」で何でもたすかることを知りました。あなたは、自分のことも含めていろいろなことをお願いして、「おつとめ」をしました。

すると、母親なるいざなみのみことは、

「ひとすぢ心になりてこい」

と仰せになったきりで、お願い事を聞いてもらえませんでした。

あなたはこの時、「ひとすぢ心」の意味さえよくわかりませんでした。

七ッ なんでもこれからひとすじに

    かみにもたれてゆきまする

(通釈)何でもこれから一すじ心で、神にもたれてまいります。

(物語)自分から数えて八番目の少し小太りのお姉さんがニコニコしながら教えてくれました。

「人間が願うことは、すべて無理な願いなのよ。だから人間思案を捨てて、ただひたすら混じりっ気のない真っ直ぐな心になって、神様について行けば良いのよ」

それから「人間思案」ということについて、お姉さんの何時間にも及ぶ長い説明を聞いて、要するに人間思案とは、人間がああもしたいこうもしたいと思う勝手気ままな心なのかと得心したのでした。

すなわち、ああもしたい、こうもしたいと思う心を捨てて、神様一すじにもたれて生きていけば良いと悟ることができました。

 八ッ やむほどつらいことハない

        わしもこれからひのきしん 

(通釈)病むほど辛いことはない。私もこれからひのきしんを(させていただきます)

(物語)あなたから数えて十四番目のお姉さんは容姿端麗で、しかもとても素晴らしい信仰者でした。

そのお姉さんから聞かせて頂いたのは、「かしもの、かりもの」のお話でした。「朝起きて、眼が見える、耳が聞こえる、手足が動く。こんなありがたいことはない。こうして眼が見えるのは、今まで眼が見えなかった人が眼が見えるようになった瞬間と同じ喜びを常にお与え下されているのです。何とありがたいことか。こうして耳が聞こえるのは、今まで耳が聞こえなかった人が耳が聞こえるようになった瞬間と同じ喜びを常にお与え下されているのです。何とありがたいことか」

「身体の温みも身体の中にある水気も、つく息はく息、何から何まで、神様が守って下さっている。一度、病気になったら自分の体であるにもかかわらず、自由がかないません。人間にとって、これほど辛いことはない。人間のこの身体は、自分のもののようで自分のものではありません。この身体は、神様から人間ひとり一人に貸し与えられたものです。この身体を借りていることを喜び、病んだ時のことを思えば健康に守って頂いていることがどれほどありがたいことかわかりません。さあ、ひのきしんさせて頂きましょう」

そして、付け加えるように

「日々常々、何事につけ、親神様の恵を切に感じる時、感謝の喜びは、自らその態度や行為にあらわれる。これをひのきしんというのですよ」

と教えて下さいました。

九ッ ここまでしんじんしたけれど

    もとのかみとハしらなんだ

(通釈)ここまで信心してきたけれども、元の神とは知らなかった

(物語)あなたはお兄さんやお姉さんに教えられながら、いろいろなことがわかってきました。そして、気が付きました。そして、改めて思いました。

自分は人間であるが、自分の親は神であるということ。

親である神様が、私たち人間を創って下さったのだということ。自分は、神の子「人間」であるということ。

「親神天理王命様」こそ、人間をお創り下さった元の神であるということを。

十ド このたびあらわれた

        じつのかみにはさうゐない

(通釈)ついに、この度、表に現れた、この神こそ、実の神に相違ない

(物語)そしてさらに、「親神天理王命様」という神が母親なるいざなみのみことの体内に入り込んで、私たちが今まで知らなかった真実を教えてくれているのだということ。

そして、「親神天理王命様」が私たちの日常を御守護下されている真実の神であるということに確信を覚えたのでした。

 

みなのながや信仰談義  十九 

   この信仰談義は教典を中心にした教理を、みなの長屋に住む長く天理教を信仰し ている物知り顔のご隠居さん、信仰しはじめの熊さん、無信仰の虎さんの三人の会話を通してできるだけ分かりやすく?したものです。

虎さん 先月の地球オンだっかというやつ、あれ評判ワルおましたで。

ご隠居 なんでや。おもろかったがな。

熊さん 親父ギャグの典型やそうですわ。

隠居  親父ギャグやて?。それじゃおばんギャグや、子供ギャグてあるんか。

熊さん そんなんワシらにおこらはっても・・・。

虎さん 今月からホームページを公開して、ワシらも出ているんやさかい、ご隠居さん抑えておさえて・・・。

ご隠居 せやったな、ほんだらもう一度あれ言うとかなあかんな。『みかぐら歌物語は、中元精進(仮名)さんの好意で掲載いたしておりますが、内容についての抗議はこちらに言わないでください。』

虎さん 誰にいうてますねん。

ご隠居 本部にきまっとるやろが・・・。

虎さん だれがそんなもん言うて来ますかいな。

それでは今月は四下り目です。

 

第三章        みかぐらうた物語 E

第二回目の人生(三下り目)で、あなたは「月日親神」「天理王命」が元の神、実の神であるということを悟り、三寸五分まで成人して九十九歳でみんなと共に出直しました。

さあ、これから第三回目の人生の始まりです。

第一回目、第二回目と同様に、あなたがた九億九万九千九百九十九人の兄弟姉妹は、一様に五分から生まれて九十九年経って四寸まで成人します。

その時、母親なるいざなみのみことは、

「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」

と仰せられて、にっこり笑うて身を隠された。

そして、あなたがた九億九万九千九百九十九人の兄弟姉妹たちは、「お母さん」と叫びながら、母親の後を慕うて一人残らず出直してしまったのでした。

 

四下り目

 一ッ ひとがないごといはうと

    かみがみているきをしずめ

(通釈)

人がどんなことを言おうとも、神が見抜き見通している。気を鎮めよ

(物語)

あなたは「おつとめ」が大好きでした。

それは、「おつとめ」をさせて頂くと、自分がとても優しい気持ちになれるからでした。

だから、多くの兄弟姉妹にも「おつとめ」の素晴らしさを伝えようと努力していました。

ところが、中にはそれをあまり好ましく思わない兄弟姉妹たちもおりました。

その兄弟姉妹たちは、あなたに対する嫉妬心や猜疑心から、あなたやあなたの仲間に嫌がらせをしたり、悪口を言ったりするのでした。

例えばこんなことがありました。

あなたが困っている人をたすけようと一生懸命に働いているのにもかかわらず、彼らはあなたに、

「どうせ、何か下心があってやっているのに違いない」

などと悪口を言います。

さらに、はじめて会った兄弟に何度も、水をかけられたり、石を投げられたりしました。

あなたは、自分の親切心がなぜ受け入れてもらえないのかと悩んだり、彼らの嫌がらせや悪口にたいへん腹が立ちました。

そんなあなたを母親なる神であるいざなみのみことは

「神が見ているから、気を鎮めなさい」

といつも慰めてくれるのでした。

あなたは、その言葉を聞いて、また心を倒さず人だすけの勇気を取り戻すのでした。

 

 二ッ ふたりのこころををさめいよ

    なにかのこともあらわれる

(通釈)

ふたりの心を治めて通れよ。何事もみな神の守護があらわれてくる

(物語)

あなたのひたむきな人だすけに心を打たれた一人の女性が現れました。

彼女はとても清楚な女性でした。あなたは今生、男性に生まれて、はじめて恋心というものを知りました。

あなたは彼女と心をひとつに合わせたら、とても陽気になれます。

そして、あなたはいつしか、喜び事も、楽しみ事も、そして辛い事も、悲しい事も、どんな事でも二人の事ととして彼女と分かち合いながら生きていきたいと思うようになりました。

これが、夫婦という人間関係のはじまりでありました。

 

 三ッ みなみてゐよそばなもの

       かみのすることなすことを

(通釈)

皆、見ていよ、側の者よ。神のすることなすことのすべてを

(物語)

世の中がだんだん暗くなってきました。お日様が隠れて、薄暗くなったのです。

見る見る内に、世の中は真っ暗になりました。みんな恐怖に怯えています。

兄弟たちは大勢集まって、どうしたら良いのかを話し合っています。

また他の兄弟たちは、恐怖のあまり騒ぎ出しました。

その時、あなたと彼女の前には、前生であなたから数えて十四番目のあの奇麗なお姉さんが現れて、そっと教えてくれました。

「夫婦が心をひとつに合わせて「おつとめ」をさせて頂くところに不思議な御守護があるのですよ」

 

四ッ よるひるどんちやんつとめする

        そばもやかましうたてかろ

(通釈)

夜昼なくどんちゃん鳴物を入れてつとめする。側にいる者(周り)も、喧しく煩わしいと思うであろう

(物語)

あなたと彼女は、素直に「おつとめ」をすることにしました。

真っ暗闇の中で、あなたと彼女は、はじめて一緒に手踊りを踊りました。

二人は、神様の声を頼りに無心で踊りました。

踊っているうちに、どこからか拍子木の音が聞こえてきました。

その音がだんだん、あなたと彼女に近づいてきます。

その内、拍子木の裏拍子にちゃんぽんの音が入ってきました。

その次は、規則正しくすり鉦の音が入り、そして要には、迫力のある大きな太鼓の音も鳴り出しました。やがて、軽やかに小鼓が入り、調子よく琴と三味線も加わりました。最後にメロディーを奏でる笛と胡弓が聞こえてきました。

九つの鳴物がすべて揃って、とても陽気な音を奏でました。

 

 五ッ いつもたすけがせくからに

        はやくやうきになりてこい

(通釈)

いつもたすけを急き込んでいるから、早く陽気な心になるように

(物語)

あなたと彼女は「おつとめ」をつとめ終えた後、疲れて眠ってしまいました。

二人は同じ夢を見ました。夢の中に、母親なるいざなみのみことが現れて、

「やさしい心になりなされや、人をたすけなされや、癖性分を取りなされや」

と言葉をかけて下さいました。

あなたは、この夢でいろいろなことが分かりました。

「おつとめ」を真剣につとめさせて頂くと、みんながやさしい心になっていくのがよく分かりました。そして、「おつとめ」によって人がたすかるということもよく分かりました。さらに、「おつとめ」によって自分の癖性分が取れるということにも気がつきました。

あなたは、とても幸せでした。

 

 六ッ むらかたはやくにたすけたい                                

        なれどこころがわからいで

 

(通釈)

むらかたを早くたすけたい。それなのに、その心が分かっていないので

(物語)

あなたは今、思案をしています。

人をたすけるということは、どういうことなのかを。

人をたすけるということは、人を幸せにすること。

人の幸せとは、何だろう。

人は人をたすけることができた時、本当の幸せをつかめるのではないだろうか。

 

七ッ なにかよろづのたすけあい

    むねのうちよりしあんせよ

(通釈)

何事であれ、すべてがたすけ合いによって成り立っている。そのことを胸の内よりよく思案してみよ

(物語)

そうだ。人は互いにたすけ合うために生まれてきたのだ。

「互いたすけ合いというは、これは諭す理」

あなたには、神様の声が聞こえます。

 

 八ッ やまひのすつきりねわぬける

        こころハだんだんいさみくる

(通釈)

病の根はすっきり抜けて、心は一段と勇んでくる。

(物語)

「人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという」

そうか、人たすけたら我が身たすかる。

人に真実を尽くそう。人のために生きよう。

そう思った時、あなたは急に母親なるいざなみのみことに会いたくなりました。

 

 九ッ ここはこのよのごくらくや

    わしもはやばやまいりたい

(通釈)

ここは、この世の極楽である。私も一時も早くお参りがしたい。

(物語)

あなたは母親に会いたい一心で、彼女を連れておぢばに帰りました。

母親なるいざなみのみことは、

あなたの元気な姿を見て、にっこり笑うて身を隠されてました。

 

 十ド このたびむねのうち

        すみきりましたがありがたい

(通釈)

ついにこの度は胸の内がすっきりと澄み切った。こんなにありがたいことはない。

(物語)

あなたは「お母さん」と叫んで、母親なるいざなみのみことの後を慕うて出直しました。

この時、あなたは四寸まで成人した姿で九十九歳という年齢でした。


みなのながや信仰談義  二十 

   この信仰談義は教典を中心にした教理を、みなの長屋に住む長く天理教を信仰している物知り顔のご隠居さん、信仰しはじめの熊さん、無信仰の虎さんの三人の会話を通してできるだけ分かりやすく?したものです。

虎さん ご隠居、先月はおやすみでしたな。

ご隠居 みかぐら歌物語の作者の都合や。

熊さん だいぶ苦労してはるみたいですなあ
隠居  ワシもこのまま続くのかちょっと心配しているのや。

熊さん 今月なんか、パトリシアでっせ。
虎さん フェルナンデスにジョージ、カトリーヌやもんなあ。だいじょうぶでっしゃろか。
ご隠居 だいじょうぶでっしゃろかて、疑ったらあかん。だいじょうぶなわけないやろが。
虎さん ご隠居さん、泣いたらあきません。とうとうご隠居さん泣いてしもたやないか。

熊さん あれご隠居さん、なんで泣いてますねん。
ご隠居 せやかて楽しいがな、この調子で十二下り目までいったらどないなるか想像したら。
熊さん ほんだらうれし泣きでっか。それでは今月は五下り目です。


第三章        みかぐらうた物語 F

第二回目の人生(三下り目)で、あなたは「月日親神」「天理王命」が元の神、実の神であるということを悟り三寸五分まで成人して九十九歳でみんなと共に出直しました。

そして第三回目の人生、第一回目、第二回目と同様に、あなたがた九億九万九千九百九十九人の兄弟姉妹は、一様に五分から生まれて九十九年経って四寸まで成人しました。

その時、母親なるいざなみのみことは、

「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」

と仰せられて、にっこり笑うて身を隠された。

そして、あなたがた九億九万九千九百九十九人の兄弟姉妹たちは、「お母さん」と叫びながら、母親の後を慕うて一人残らず出直してしまったのでした。

 それから、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆出直し、最後に、めざるが一匹だけ残った。

この胎に、男五人女五人の十人ずつの人間が宿り、五分から生れ、五分五分と成人して八寸になった時、親神の守護によって、どろ海の中に高低が出来かけ、一尺八寸になった時、海山も天地も日月も、漸く区別出来るように、かたまりかけてきた。

五下り目

 一ッ ひろいせかいのうちなれバ

   たすけるところがまゝあらう

(通釈)

広い世界のことであるから、救ける所があちこちにあるであろう

(物語)

あなたは何度も何度も生れ更りました。

ある時は春を告げる鶯となり、またある時は、大地を駈ける馬となり、精一杯生きました。

人生を生きるということ。それは、たとえどんな姿形をしていても、親神に導かれながら魂の赴くままに生きるということでした。

あなたは、兄弟と共に生まれ、兄弟と共に死に、人生を生きてきました。

いま、あなたは男五人、女五人の兄弟の母として、自分の人生を生きています。

 二ッ ふしぎなたすけハこのところ

   をびやはうそのゆるしだす

(通釈)

不思議なたすけ場所は、この所である。そこで、をびや(帯屋)許しや疱瘡の許しを出すのである。

(物語)

あなたは、十人の子供を一度に出産しました。あなたは、不思議な安産を体験しました。

素直で信心深いあなたは、神に感謝しました。

あなたは、今まで兄弟同士がたすけ合うことを知っていましたが、はじめて自分に子供を授けて頂いて、親として子供を可愛いと思う心、親として子供をたすけたいと思う心、親として子供に成人してもらいたいと思う心が、母親であるあなたの中に芽生えてきました。

つまり、親心というものです。

三ッ みづとかみとはおなじこと

     こゝろのよごれをあらひきる

(通釈)

神は流れる水と同じこと、心の汚れを洗い切る

(物語)

この親心こそが、神が人間にかける心と同じであることに気付きます。

あなたは、子供たちに神の存在を伝えます。

神の偉大さを語り、神に感謝する心を教えます。

そして、生きる喜びを味わうのです。

 四ッ よくのないものなけれども

      かみのまへにハよくはない

(通釈)

欲の無い者は無いけれど、神を前にして、おのずから欲は無くなる

(物語)

ある日、大勢の子供たちに混じって、自分の子供たちが遊んでいました。

あなたは、自分の子供たちが楽しく遊んでいる姿を見て、本当に嬉しく思いました。

あなたの十人の子供たちの中でも、長女のエリザベスはとても優しい子でした。どんな人にも優しい言葉をかけて、多くの人に好かれていました。次男のビルは、とても大人しい性格で、あまり人と交わろうとしません。しかし、五男のフェルナンデスは、いつも元気でお茶目な末っ子です。また、呑気な長男のジョージ、お洒落でセンスの良い三女のステファニー、泣き虫な四男のチャーリー、負けず嫌いな三男のマイケル、一番おませな次女のカトリーヌ、いつまでも無邪気な四女のパトリシア、甘えたの五女のキャサリン、十人十色ですが、どの子もみんな可愛いあなたの子供でした。

 五ッ いつまでしんじんしたとても

      やうきづくめであるほどに

(通釈)

いつまで信心しても陽気ずくめで通るように

(物語)

四男のチャーリーがみんなにいじめられて、一人で泣いています。

可愛そうに。あなたは親として何をしてあげられるのかを考えましたが、なかなか答えが出てきません。遠くで三男のマイケルがまた、よその子供と派手に喧嘩しています。あなたは、怪我をしないようにと祈るだけしか出来ません。次女のカトリーヌは一晩中、友達とダンスに明け暮れて、勝手なことばかりしています。そうかと思えば、五女のキャサリンがあなたに纏わりついて離れず、わがままを言って困らせます。次男のビルは、相変わらずずっとひきこもりです。

 六ッ むごいこゝろをうちわすれ

      やさしきこゝろになりてこい

(通釈)

惨い心を忘れ去って、やさしい心になるように

(物語)

みんなが楽しく暮らすこと。

そのためには何を思い、何を考え、何をしたら良いのでしょうか?

あなたは答えが見つからず、悩んでいます。

自分の子供が可愛いと思うことと自分の子供だけが可愛いと思うことは違います。

みんなが楽しくなることと自分が楽しくなれることは必ずしも同じとは言えません。

 七ッ なんでもなんぎハさゝぬぞえ

   たすけいちじよのこのところ

(通釈)

どんなことがあっても決して難儀をさせるようなことはしない。ここは、たすけ一条の元なるところであるから

 

(物語)

人は何のために生きるのか?

人の人生は、自分のためにあるのではなく人のためだけにあるのかもしれない。

あなたは理想的な答えを見出します。

あなたはそれを何とか子供たちにわかりやすく伝えておきたいと思うのですが、子供たちはみんな、そんなことに興味がなさそうです。

 八ッ やまとばかりやないほどに

      くにぐにまでへもたすけゆく

(通釈)

しかし、大和ばかりではない。国々どこまでも、たすけに回って行く

(物語)

そんなことを考えているうちに、長男のジョージが大工仕事を始めるようになりました。

彼は、戦争で傷ついた兵士を療養する病院を建てると言うのです。

呑気な者とばかり思っていたジョージが、自分で何かを考えてそれを行動に移してくれたことを、あなたは嬉しく思いました。

しかし、戦争がなくなればもっと良いのにと、あなたは思うのでした。

それでも、今出来ることを一生懸命やろうとする長男に神の守護がありますようにと祈り、自立していく長男を見送りました。

 九ッ ここはこのよのもとのぢば

   めづらしところがあらはれた

(通釈)

ここはこの世の元のぢば。なんと、めずらしいところがあらわれた

(物語)

やがてまた、戦争が始まりました。

人は争うことを止めようとしません。つかの間の平和も夢となりました。

他の兄弟姉妹もいろいろな思いで家から出て行きました。

三男のマイケルは、泣き虫の四男チャーリーの腕を無理矢理引っ張って、誰よりも早く戦地に飛び出していきました。五男のフェルナンデスも元気良く、兄たちの後を追いました。

長女エリザベスは無医村の医者になることを決意して出て行きました。次女のカトリーヌは、いつの間にか家出をしたままとうとう帰ってこなくなりました。三女のステファニーと五女のキャサリンは、結婚というものに憧れて遠くへ嫁いで行きました。

残ったのは、四女のパトリシアだけになりました。

どうでもしんじんするならバ

      かうをむすぼやないかいな

(通釈)

ここでどうでも信心を続けていくのなら、講を結ぼうではないか

(物語)

四女のパトリシアだけが家に残り、毎日、兄弟姉妹たちの無事を神に祈っていました。しかし、あなたの家には不幸な知らせが相次ぎ、戦地に向った兄弟たちの悲しくも早い死を聞くことになるのでした。

あなたとパトリシアは、神を信じ、共に貧困の中に生き、祈りの日々を送りました。


みなのながや信仰談義二十一 

   この信仰談義は教典を中心にした教理を、みなの長屋に住む長く天理教を信仰している物知り顔のご隠居さん、信仰しはじめの熊さん、無信仰の虎さんの三人の会話を通してできるだけ分かりやすく?したものです。

虎さん ご隠居、先月はまたおやすみでしたな。

ご隠居 みかぐら歌物語の作者、中原(仮名)さんの都合や。

熊さん 今月はまた話の調子がころりとかわりましたな。

隠居  なんでもこのみかぐら歌物語のために、水ごりをとっているといううわさやからな。いろいろとうかんでくるのやろ。

熊さん わし前回のパトリシアが好きでしてんけどなあ。

虎さん おれはカトリーヌや。

ご隠居 ワシはそんな外人より、やっぱりお銀やな。、風呂へはいるお銀にどれだけ視聴率をたすけられたか。

虎さん そういや、あの場面だけ瞬間視聴率が跳ね上がるそうでんな。

熊さん ご隠居て水戸の出身でしたか。

ご隠居 水戸違う大和や。

熊さん 落ちにもなんにもなってませんがな。それでは今月

は六くだり目です。

 

みかぐらうた物語

人間は、一尺八寸から三尺になるまでは、一胎に男一人女一人の二人ずつ生れ、三尺に成人した時、ものを言い始め、一胎に一人ずつ生れるようになつた。次いで、五尺になつた時、海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活をするようになつた。
 この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。

六下り目

一ッ ひとのこゝろといふものハ

   うたがひぶかいものなるぞ

通釈)

人の心というものは、まことに疑い深いものである

物語)

あなたはひとりで考える。

人を信じるということはどういうことだろうか。

人に頼ってしまうということか。

それとも、人を愛するということか。

何があっても信じ抜いていくことができるだろうか。

人の心は何よりも変わりやすいものである。

人を信じるということは難しい。

人の言葉も信じられないのに、目に見えぬ神を信じることができようか。

二ッ ふしぎなたすけをするからに

   いかなることもみさだめる

通釈)

不思議なたすけをするうえからは、どのようなことも見極める

物語)

神は目に見えぬ。

しかし、神は必ず存在する。

その証拠は、人の英知を超えた不思議なことが起こるからである。

しかし、必ず不思議なことが起きるということを人は疑う。

素直に信じ切れないところには、不思議なことが起きないということがわかるまで、あと、どれくらいかかるのだろうか。

神は在ると言えば在る。無いと言えば無い。

在ると思う心の中に、神は在る。

三ッ みなせかいのむねのうち

   かゞみのごとくにうつるなり

通釈)

世界中すべての人の心の内は、合わせ鏡に映るようにみな見えるのである

物語)

神は見抜き見通しである。

人の心が明るければ、神の守護も明るい。

人の心が暗ければ、神の守護も暗い。

人の心がそのまま神の守護となる。

しかし、この真理をまだ気付かずにいる。

神の鏡に映った我が心を知らないで生きているのだ。

四ッ ようこそつとめについてきた

   これがたすけのもとだてや

通釈)

よくぞ教え通り、つとめを勤めて来た。これこそがたすけの根本である

物語)

泥に塗れた心、黒く濁って薄汚い心である。

あぁ、どうしようもない。

人の力ではもうどうにもならない。

いかに我が心であっても、自分の思うようにはならない。

奇麗になれと唱えても、奇麗になるものではない。

心を奇麗に澄ましたくてもできずにいる

これは、何という悲劇か。

五ッ いつもかぐらやてをどりや

   すゑではめづらしたすけする

通釈)

いつも、かぐらやてをどりを。末では珍しいたすけする

物語)

心がどんなに汚れていても、神の声に耳を澄ますことは出来る。

なぜなら、人はみな神の子だからである。

子供が親の声を聞く。そして歌うこと、そして踊ること。

これが親である神との会話なのだ。

人が神の子であるということは、人はいずれ神になるということか。

人が成人すれば、神の心がわかるようになるということか。

六ッ むしやうやたらにねがひでる

   うけとるすぢもせんすぢや

通釈)

むやみやたらに、たすけを願って来るが、受け取り方もいろいろとなる

物語)

ただ不思議だけを求めて頼るのは、神を信じていることになるか。

すべて心の通りに見える不思議である。

人の心は千筋。神の心は一筋。

あなたは悩み続ける。

七ッ なんぼしん/\したとても

   こゝろえちがひはならんぞへ

通釈)

どれほど信心したとしても、(神の心に添わない)心得違いがあってはならんぞ

物語)

幸せになりたい。

だけど、幸せになれない。

心が汚いからか。

神の心に添わないからか。

我さえ良ければ良いと願うからなのか。

あなたの苦悩は続く。

八ッ やつぱりしん/\せにやならん

   こゝろえちがひはでなほしや

通釈)

やっぱり信心しなければならない。心得違いは、(一から)出直しである

物語)

何が神の心に添わぬのか。

幸せに楽して暮らしたいのが願いなのだ。

この思いを放すことができないでいる。

やはり、自分さえ良ければ良い。

人が苦しんでいても、自分は苦しくない。

人の痛みを感じない。

それで良いのか。

いったい何のために生きているのだろう。

九ッ こゝまでしん/\してからハ

   ひとつのかうをもみにやならぬ

通釈)

ここまで信心したからには、一つの効能も見なければならないであろう

物語)

神のつぶやき。

いつまでも悩んでいては勇めない。

勇めないのが残念、残念。

しばらくは、楽しい夢だけ見せてやりたい。

十ド このたびみえました

   あふぎのうかゞひこれふしぎ

通釈)

ついに、このたび一つの効を見ることができました。扇の伺いの、なんと不思議なことか

物語)

あなたは思う。

神の言葉が聞こえなくなった時、

何を頼りにすれば良いのかと。

神の思いがわかるようになる日まで。

不思議が見えるようになる日まで。

みなのながや信仰談義二十二 

   この信仰談義は教典を中心にした教理を、みなの長屋に住む長く天理教を信仰している物知り顔のご隠居さん、信仰しはじめの熊さん、無信仰の虎さんの三人の会話を通してできるだけ分かりやすく?したものです。

みかぐらうた物語

  七下り目

あなたは今、神の言葉を思案しています。

人間は陽気ぐらしをするために神に創造されました。

あなたは神の子として、陽気ぐらしという親の思いを知り、

自分という人間がこれから先、いかに生きるべきかを考えています。

 

 一ッ ひとことはなしハひのきしん

    にほひばかりをかけておく

通釈)

一言神の話をするのも、ひのきしんである。

にをいだけでもかけておくように

物語)

人間は他の動物とは違い、「言葉」を使う。

言葉一つで、人を生かすことも殺すこともできる。

安易に発した怒声、あるいは陰湿な陰口、セクハラ、etc・・・。

今までに何人の人々の心を傷つけて来ただろうか。

神様の話をする時は、「こんな私でも、神様はこんな御守護を下さった」と懺悔しながら人に話すよりほかにない。

 

 二ッ ふかいこころがあるほどに

    たれもとめるでないほどに

通釈)

たすけ一条の深い心があるのならば、誰も止めることはできないであろう

物語)

 人をたすけたいと思うこと。

この感情はどこから湧いてくるのだろうか。

自分がたすかってありがたいと思う気持ちからであろうか。

たすけ心とは、もっともっと瞬間的なものなのかもしれない。

ほんの一瞬、困っている人に「大丈夫か?」と尋ねるが如く。

この一瞬が連続していくと・・・。

あなたは神の子として、親と共に生きる心を定めた。

しかし、まだまだ、ほんの一瞬以外は自分のことだけ考えて生きている自分のままであることを、自分自身が一番よく知っているのである。

 

 三ッ みなせかいのこころには

       でんぢのいらぬものハない

通釈)

 世界の人みなの心の内を見るに、田地の要らないという者はない

物語)

 すべてのものは神の与えである。

自分のものなど、どこにも何一つもない。

人間が生きていくうえで必要なもの皆、神の与えである。

あなたはこのことを一途に信じている。

 

 四ッ よきぢがあらバ一れつに

        たれもほしいであらうがな

通釈)

 ましてや、よい田地があったならば、みな誰もが欲しいであろうよ

物語)

 すべてのものが神の与えであると、多くの人が信ずることができたならば、人々が互いに争うこともなくなるであろう。

このことを一人でも多くの人に知ってもらうことが、真の世界平和につながるのであると、あなたは思う。

 

 五ッ いづれのかたもおなじこと

        わしもあのぢをもとめたい

通釈)

どこの誰でも同じことで、私もあの良い田地を求めたい。

物語)

 ところが、人間はどうしても欲の心が離れない。

ほんの一瞬以外は、我さえ良くば良き事である。

人より幸せになりたいなどと矛盾したことを考えてしまうのである。

神の子として生きる心を定めたあなたも例外ではなかった。

 

 六ッ むりにどうせといはんでな

        そこはめいめいのむねしだい

通釈)

 しかし、無理にどうせよと言わない。そこはお前たち一人ひとりの胸次第である。

物語)

 神の子として生きる道は、人としての幸せを求めてはいけない。

このように悟れた時、あなたは暗闇の中に微かな光明を見たような思いがしたのであった。

 

 七ッ なんでもでんぢがほしいから

    あたへハなにほどいるとても

通釈)

 どうしても田地が欲しいから、値はどれほど要るとしても

物語)

 あなたは、あなたが一番欲しいものは何かと考える。

そしてあなたは、自分にとって一番必要なものが、「真実に人をたすける心」であることに気付く。

この心を自分の心にしてしまうことができるのならば、どんな代価も惜しまないと思えるようになるのであった。

 

 八ッ やしきはかみのでんぢやで

        まいたるたねハみなはへる

通釈)

 この屋敷は神の田地である。蒔いた種はみな生える

物語)

 人間は今までに良いこともしたが、悪いこともしてきた。

きっと良いことより悪いことの方が多いのではないか。

あなたは自分の心を見つめている。

 

 九ッ こゝはこのよのでんぢなら

    わしもしっかりたねをまこ

通釈)

 この屋敷が、この世の最上の田地であるなら、私もしっかり種を蒔こう

物語)

 「真実に人をたすける心」を自分の心とするためには何をすべきであろうか。

 

 十ド このたびいちれつに

        ようこそたねをまきにきた

        たねをまいたるそのかたハ

        こえをおかずにつくりとり

通釈)

この度みなそろって、ようこそ神の田地に種を蒔きに来た。種を蒔いたその者は、肥料を置かずとも豊かな収穫をみることができよう

物語)

あなたは、その時、神の声を聞いた。

「真実に人をたすける心が欲しいならば、まず、自分のことを一切忘れて、人のことだけを思うように努力することである・・・」

しばらく黙っていたあなたは、「できそうにない」とつぶやいてしまった。

すると、神は ・・・・・・・つづく


みなのながや信仰談義二十二 

  この信仰談義は教典を中心にした教理を、みなの長屋に住む長く天理教を信仰している物知り顔のご隠居さん、信仰しはじめの熊さん、無信仰の虎さんの三人の会話を通してできるだけ分かりやすく?したものです。

虎さん 先月も休みでしたな。

ご隠居 しゃあないがな、みかぐらうた物語の筆者のnNさん(仮名)が、休みやってんから。

熊さん 今月は、名物先生と石立さんが出てきましたなあ。

隠居  なかなかいろいろ出てきておもしろいなあ。ところで、筆者は整合性というものを考えてはおらんようやな。

虎さん 整合性て何ですねん。

ご隠居 いや、みかぐらうた物語の物語の形式がころころ変わるさかい、言うてみただけや。ワシもあんまりようわからんねけどな、なんかちよっとむつかしそうでかっこええやろが。

熊さん ご隠居さんがよう書かんから、まくったんでしょう。文句言うたらあかんわ。

ご隠居 いや文句違うねん。おもしろがってんねん。

虎さん それではnNさん(仮名)の苦心のみかぐらうた物語、今回は八下り目です。

   
みかぐらうた物語

八下り目

名物先生と石立青年の会話より。

 

 一ッ ひろいせかいやくになかに

    いしもたちきもないかいな

通釈)

広い世界や国の中に、普請の用材になる石も立ち木もないのであろうか

 

 二ッ ふしぎなふしんをするなれど

    たれにたのみハかけんでな

通釈)不思議な普請をするのだけれど、だれに頼みをかけるわけではない

 

 三ッ みなだんだんとせかいから

       よりきたことならでけてくる

通釈)みなだんだんと世界から、寄って来たことならば出来上がってくる

 

 四ッ よくのこゝろをうちわすれ

        とくとこゝろをさだめかけ

通釈)欲の心をすっかり忘れて、篤と心を定めてかかるように

 

 五ッ いつまでみあわせゐたるとも

        うちからするのやないほどに

通釈)いつまで普請を見合わせていても、内々からするのではない

 

 六ッ むしやうやたらにせきこむな

        むねのうちよりしあんせよ

通釈)それにしても、むやみやたらに急き込むでない。心の底からよく思案せよ

 

 七ッ なにかこゝろがすんだなら

    はやくふしんにとりかゝれ

通釈)何はともあれ心が澄んだなら、早く普請にとりかかるように

 

 八ッ やまのなかへといりこんで

        いしもたちきもみておいた

通釈)山の中へとはいり込んで、用材となる石も立ち木も見ておいた

 

 九ッ このききらうかあのいしと

    おもへどかみのむねしだい

通釈)この木を伐ろうか、あの石を切り出そうか、それは神の胸次第である

 

 十ド このたびいちれつに

        すみきりましたがむねのうち

通釈)とうとうこのたびみなの胸の内がすっきりと澄み切りました

 

 

物語)

名物先生:「おい、お前。足が痛くて歩けんのか?」

石立青年:「はい、痛くてたまりません。昨日もお医者さんに診てもらったんですが、何が原因なのかすら、よくわからないそうなんです」

名物先生:「そりゃ、医者が知らんだけじゃ」

石立青年:「でも、お医者さんならば、だいたい身体のことがわかるはずでしょ?」

名物先生:「ばかもん!そんなもの、わかる訳がない。お前、医者がこの身体をつくったと思っておるのか!何が原因でお前の足がこうなったかなどは、医者ではわからん。また、医者もそれを知らんでもよい。医者は痛み止めの薬を出して、自然にお前の足が痛くなくなるのを待っていればそれでよいのじゃ。それが医者の仕事じゃ。ところが、お前の足はようならん。そこではじめて、お前はこの足の痛いのは何でやろうと考えておるのじゃろ。それはなぁ、神様がお前を呼んでござるのじゃ」

石立青年:「そんなアホな話、聞きたことがありません。何で神様が私を呼ぶんですか!!アホらしい」

名物先生:「アホはお前や、アホは神の望みとも言うて、神様はアホがとってもお好きじゃからなぁ。それでお前を呼んで下さったという訳じゃ。神様はお前に大事な用があると仰せでござる。」

石立青年:「いったい、神様が私に何の用事やと言うんですか!」

名物先生:「それは、自分で神様に聞いてみたらええ。しかし、どんな用事でも神様の用事というのは、人をたすける用事より他にない」

石立青年:「私、足が痛くて動けないのに、人だすけの用事なんかできません」

名物先生:「お前、自分の身体が言うことを聞かんと嘆いているのやなぁ。自分の身体が自分の言うことを聞かんのは当たり前や。ひとつ、教えたるで。この身体、お前、自分のものやと思うているやろ。大間違い!!この身体は神様のものや。それをお前がお借りしているだけのことや。勘違いしたらアカンぞ。この身体、神様のものや。だから、お前の言うことなんか聞くもんか!お前の身体は、お前の言うことは聞かんが、神様の言うことなら聞く。どんなことでも聞く」

石立青年:「自分の言うことを聞かないで、神様の言うことならば聞く身体?」

名物先生:「早い話が、お前が神様の言うことを聞いたら、身体は言うことを聞くようになる訳や!このこと、忘れたらアカンぞ」

石立青年:「神様はどんなことを仰っておられるんですか?」

名物先生:「欲の心を打ち忘れ、心を澄み切らせて、人をたすける心を定めなさいとの仰せや。人間には欲がある。どんな欲か?自分さえ良かったらええと思う心、これが人間の欲や。この心をなくせとは仰せでない。一時のところ、忘れてしまえと仰せや。そうすることで、お前の心はすっきりと奇麗な水の如く澄んでくるのじゃ。この奇麗な澄み切った心に、天の神様がすっとお入り込みになる。そうしたら、わしらのようなアホで鈍い者でも、人さんをたすけさせて頂ける奇跡を見ることができるのや。こうして、少しでも人さんをたすけさせて頂く心になったならば、お前の足はすっきり御守護下さる。これを信じるか?」

石立青年:「わかりました。信じます。でも、これからどうしたら良いのですか?」

名物先生:「このことを信じるんやったら、今までの心をすっきり入れ替えて、今日から生まれ変われ。そして、すぐに神様のところへ行って、私に何の御用をさせて頂けますか?と聞いて来い!きっと、神様は何か教えて下さる。それを素直にさせてもらいや」

石立青年:「ありがとうございます。また、来ます」

名物先生:「待ってるで」

   みかぐらうた物語

九下り目

名物先生と石立青年の会話より。

 

 一ッ ひろいせかいをうちまわり

    一せん二せんでたすけゆく

通釈)広い世界を拝んで回り一銭二銭でたすけて行く

 

 二ッ ふじゆうなきやうにしてやらう

    かみのこゝろにもたれつけ

通釈)不自由のないようにしてやろう。神の心にしっかりもたれよ

 

 三ッ みれバせかいのこころには

       よくがまじりてあるほどに

通釈)神の目から見れば、人々の心には、欲が混じっているので・・・。

 

 四ッ よくがあるならやめてくれ

        かみのうけとりでけんから

通釈)欲があるなら止めてくれ、神は受け取ることができないのだから

 

 五ッ いづれのかたもおなじこと

        しあんさだめてついてこい

通釈)どこの者でもみな同じことで、思案して心定めてついて来るように

 

 六ッ むりにでやうといふでない

        こゝろさだめのつくまでは

通釈)無理にこの道に出ようと言うのではない、心定めのつくまでは。

 

 七ッ なかなかこのたびいちれつに

    しつかりしあんをせにやならん

通釈)なかなか、この度、みな、しっかり思案をしなければならない

 

 八ッ やまのなかでもあちこちと

        てんりわうのつとめする

通釈)山の中でもあちらこちらと、天理王のつとめをしている

 

 九ッ こゝでつとめをしていれど

    むねのわかりたものはない

通釈)この屋敷でつとめをしているけれど、神の胸の内を分かっている者はいない

 

 とてもかみなをよびだせば

        はやくこもとへたづねでよ

通釈)いずれにしても、神名を呼び出してつとめをするならば、早くこの屋敷へ尋ね出るがよい

       

物語)

名物先生:「石立、神さんところへ行ってきたか?」

石立青年:「はい」

名物先生:「何やその顔、元気ないやないか。どないしたんじゃ」

石立青年:「神さんの御用、聞いてきたんですが・・・」

名物先生:「そうか、どんな御用やった?」

石立青年:「それがその・・・」

名物先生:「何でも聞いたるから言うてみろ」

石立青年:「はい。布教に出よとのことでした」

名物先生:「ええやないか。行けよ」

石立青年:「私、足が痛いし、それに布教なんかできそうにありません」

名物先生:「一銭、二銭でたすけゆく。神様のお言葉は何とも言えん味わいがあるやないか。一銭、二銭と言うたら小さい金や。そんな小さい金でたすかる道や。大きな金でなければたすからん道やったら大勢の人たすけられんもんなぁ。たとえ一文無しでもありがたいと思うだけでたすけてもらえる不思議な道や。足が痛くても口は動いて物が言えるやろ。手も動くやろ。物が言えれば神さんの話ができるし、手が動けばおさづけ取り次げるから、それを喜んで行かせてもろたらどうや」

石立青年:「でも、行く先々で何て言われるか。自分の足の痛いのを治してから来てくれと言われるに決まってます。それを思うと・・・」

名物先生:「そうか。そしたらな、足の痛いのも生きてる証拠です、それがありがたくて、こうして布教に回っていますと言い返したらええやないか。たとえウソでもそればっかり言うとったらホンマになってくるわ」

石立青年:「えっ、そんな心にもないこと言うんですか?」

名物先生:「神さんの大きな御用や。そこにお前の小さな心なんか要らん。案じる前に動いたら何とかなる。忘れたらあかんのは、その人たすけるのはお前ではなく神さんやということ、そしてどこまでも神さんにもたれて行くことや。また一つ、世界にはたくさんの欲の心が混じっているから、そこへ出かけて行ってお前自身も欲に混じってしまったら、神さんの働きが見えんようになるから充分に気をつけなアカンぞ。欲は禁物や。ただただ、その人にたすかってもらいたい。それだけでええのやからな。決して自分が前に出たらアカンぞ。このこと、しっかり思案して心に定めてから行くんやで。神さん信じてな、はよ行け」

石立青年:「先生、私はどこへ行ったらいいでしょうか?」

名物先生:「山の中に決まってるやろ。いちいち分かりきったことを聞くな!山の中には、神さんの話をまだ知らん人がたくさん居るし、医者も薬もない場所があるんや。その中でお前が天理王のつとめをしてくるんや。どうや、ありがたいやろ。神さんの話を知ってるのはお前だけや。しっかりみんなに教えさせて頂けるのや。そして、お前は山に住む人々と共につとめをするのやで。おつとめは教えたらみんなもすぐにできるようになるけどな、神さんの話はなかなか分かるようにはならんもんや。」

石立青年:「そうですか。一緒におつとめをつとめてくれるまでになっても、神さんの話を分かるのが難しいのですか。それを分かってもらうために、私はどうしたらいいですか?」

名物先生:「その人が神さんのことを分かるも分からんも、神さんのご守護。だから、そんな時は、親を慕うて、おぢばへ帰らせてもらえばいい」

石立青年:「先生のおっしゃることはよくわかりましたけど、また足が痛くなってきました。もう動けません。うぅぅぅ」

つづくかも?

 

みなのながや信仰談義二十四 

   みかぐらうた物語

十下り目

〜名物先生と石立青年の会話より〜

 

一ッ ひとのこゝろというものは

    ちよとにわからんものなるぞ

通釈)人の心というものは、ちょっとには分からないものである

 二ッ ふしぎなたすけをしてゐれど 

    あらわれでるのがいまはじめ

通釈)不思議なたすけをしてきているけれど、たすけの道筋が明らかになるのは、いまが初めである

 三ッ みづのなかなるこのどろう

       はやくいだしてもらひたい

通釈)水の中にあるこの泥を、早くかい出してもらいたい

 四ッ よくにきりないどろみづや

        こゝろすみきれごくらくや

通釈)きりない欲は泥水のようなもの。心澄み切れ。そこに極楽があるのや

 五ッ いついつまでもこのことハ

        はなしのたねになるほどに

通釈)このことは、この先いつまでも、話の種になるのだから

 六ッ むごいことばをだしたるも

        はやくたすけをいそぐから

通釈)むごい言葉で諭したのも、早くたすけを急ぐから

 七ッ なんぎするのもこころから

    わがみうらみであるほどに

通釈)難儀するのも、その元は心からで、我が身を恨むほかはない

 八ッ やまひはつらいものなれど

        もとをしりたるものハない

通釈)病は辛いものであるけれど、その元を知っている者はない

 九ッ このたびまではいちれつに

    やまひのもとハしれなんだ

通釈)この度までは、みな一れつに病の元を知ることができないでいた

 十ド このたびあらわれた

        やまひのもとハこゝろから

通釈)ついにこの度明らかになった。病の元は心にあることが

 

『物語』

名物先生:「心を定めるというのは難しいことやな。そもそも、心はころころと動くものやから、それを動かんように、変わらんようにすることがなかなか普通ではできん」

石立青年:「先生、僕は最近、ようわからんようになってきました。神様はいったい私に何をさせたいのでしょうか?」

名物先生:「そうやな、お前、布教に出ても一人も信仰してくれる人でけんものなぁ。そう思うのも仕方ないなぁ。」

石立青年:「今日はいつもの先生と違いますね。いつもやったら、お前そんなこともわからんのかと仰るのに・・・」

名物先生:「いや、何。お前にちょっと同情しただけや。しかしお前、そんな道中でも不思議な御守護はもろたやろ?」

石立青年:「そうですね。たくさん見せて頂いたと思います。ただ普通に健康で生きている不思議、難病が嘘のように助かった不思議、ありがたかったと思います」

名物先生:「そうやな。お前も足が痛いのがいつの間にか治ったなぁ。良かった良かった。しかし、泥水のように濁った心が奇麗に澄んだかどうかが、本当に助かったかどうかやで。

お前、本当に助かったか?」

石立青年:「・・・わかりません」

名物先生:「わからんようでは、助かってないな。お前はこのまま、もう助からんかもしれんな」

石立青年:「先生、何でそんな私を見放したようなむごいことが言えるのですか!」

名物先生:「むごい言葉を出したるも、早く助けを急ぐからと言うてな。この道はどうでも心が助からなあかん道や。そうやないと、この道を通る意味がない。不思議にも心がたすかるというのがこの道やからな。お前のような者でもいずれ心がたすかる。これこそ誠に不思議なり」

石立青年:「・・・」

名物先生:「お前は、これからもいろいろな事情で難儀するやろう。それからまた、病気で辛い思いもするやろう。そんな時、思い出せよ。すべては自分の心から出たことやということをな!」

石立青年:「先生、今日は優しいなぁと思ったのは勘違いでした。まるで真綿で首を締めるような厳しさですね。先生、今日はこれくらいにして下さい」

つづかないかもしれない・・・

 みなのながや信仰談義二十五 

   みかぐらうた物語

十一下り目

〜名物先生と石立青年の会話より〜

 

 一ッ ひのもとしよやしきの

        かみのやかたのぢばさだめ

通釈)日の本庄屋敷の神のやかたのぢば定めをする

 二ッ ふうふそろうてひのきしん 

    これがだいゝちものだねや

通釈)夫婦ともどもひのきしん。これが何よりの物種である

 三ッ みればせかいがだんだんと

       もつこになうてひのきしん

通釈)見ると、世界の人々が次々と、もっこを担ってひのきしん

 四ッ よくをわすれてひのきしん

        これがだいゝちこえとなる

通釈)欲の心をすっきり忘れてひのきしん。これが何よりも肥となる

 五ッ いついつまでもつちもちや

        まだあるならバわしもゆこ

通釈)いつまでも続く土持ちと教えられるので、まだ、あるならば私も行こう

 六ッ むりにとめるやないほどに

        こゝろあるならたれなりと

通釈)(ひのきしんに来る者を)無理に止めるようなことはしない。心さえあれば、だれでも来るがよい

 七ッ なにかめづらしつちもちや

    これがきしんとなるならバ

通釈)何とめずらしい土持ちであろうか。これが神様への寄進となるのであれば

 八ッ やしきのつちをほりとりて

        ところかへるばかりやで

通釈)屋敷の土を掘り取って、ただ場所を変えるばかりである

 九ッ このたびまではいちれつに

    むねがわからんざんねんな

通釈)いままでのところみな、神の胸の内が分かっていない。残念なことである

 十ド ことしハこえおかず

        じふぶんものをつくりとり

        やれたのもしやありがたや

通釈)とうとう今年は肥も置かないで、豊かな収穫をあげた。何と頼もしいことか、ありがたいことか

 

<物語>

名物先生:「おい石立、お前、ひのきしんしてるか?」

石立青年:「やってますよ、先生。朝からあれせい、これせい言われて、たいへんです」

名物先生:「あほめ!それは、ひのきしんではないのじゃ。ひのきしんというのはなぁ・・・」

石立青年:「知ってます!わかってますとも。何でも神様の御用と思って喜んでつとめなあかんと仰りたいのでしょ。」

名物先生:「日々に神様から命を貸してもろてありがたいと思うて、喜んで通らせてもろておれば、それで良いのや。そう思うておれば、自然と態度や行いになって現れてくる。これが、ひのきしんや。」

石立青年:「自分から何かさせてもらいたいと思うより、人に言われてやらなければならなくなることが多いと思うのですが・・・」

名物先生:「はじめはそうであっても、やっているうちに心が明るくなって勇んでくることもあるやろ。」

石立青年:「たしかに、それはそうです。しかし、どうもすっきりしません。」

名物先生:「神様のお言葉に、『人が目標(めどう)か、神が目標か。神さん、目標やで』とある。知ってるか?」

石立青年:「はい、知ってます。」

名物先生:「どんな時もあるけれど、この道は神さんが目標や。人さんが目標になってしもうたら、自分の信仰を見失うから気をつけなあかんぞ」

石立青年:「結局、信仰は、神様と自分と一対一と言うことですね」

名物先生:「そうやな。それをすぐに忘れてしもうたら、人に不足も出る。人の言うことが気になる。人のすることが腹立つようになる。こうなったら、勇むに勇めん」

石立青年:「毎日、毎日、ひのきしんの心で通ることができたら、素晴らしい人生でしょうね。」

名物先生:「そうやな。『肥をおかずに作り取り』と歌われる通りになれば、最高じゃ」

   みかぐらうた物語

十二下り目

〜名物先生と石立青年の会話より〜

 

 一ッ いちにだいくのうかゞひに

        なにかのこともまかせおく

通釈)何よりもまず、大工の扇の伺いに、すべてのことを任せおく

 

 二ッ ふしぎなふしんをするならバ

    うかゞひたてゝいひつけよ

通釈)不思議な普請をするのであれば、扇の伺いを立てて、事を進めよ

 

 三ッ みなせかいからだんだんと

       きたるだいくににほいかけ

通釈)みな世界から次々と寄り来る大工に匂いをかける

 

 四ッ よきとうりやうかあるならバ

        はやくこもとへよせておけ

通釈)良い棟梁が居るならば、早くこちらへ寄せておけ

 

 五ッ いづれとうりやうよにんいる

        はやくうかゞいたてゝみよ

通釈)いずれ棟梁が四人要る。早く伺いを立ててみよ

 

 六ッ むりにこいとハいはんでな

        いづれだんだんつきくるで

通釈)無理に来いとは言っていない。いずれ次第について来る

 

 七ッ なにかめづらしこのふしん

    しかけたことならきりハない

通釈)何とも珍しいこの普請。取り掛かったなら限りなく続く

 

 八ッ やまのなかへとゆくならバ

        あらきとうりやうつれてゆけ

通釈)山の中へと行くのならば、あらき棟梁を連れて行け

 

 九ッ これハこざいくとうりやうや

    たてまへとうりやうこれかんな

通釈)これは、こざいく棟梁。これは、たてまえ棟梁。これは、かんな

 

 十ド このたびいちれつに

        だいくのにんもそろいけた

通釈)とうとうこの度一斉に、大工の人衆もみな揃い来た

 

<物語>

石立青年:「先生、私は自分が何のために信仰しているのかを改めて考える時があります。親神様、教祖様に喜んでもらい、また人様に喜んでもらえる人間でありたいとは思います。しかし、それだけではどうしても勇めない時があります。こんな時はどうしたら良いのですか?」

名物先生:「『人が勇めば神も勇むる』と教えて頂いている。勇み心は喜びから出る。喜びがあるかないかが決め手になる。神様に喜んでもらいたいと思うその前に、自分が喜んで通っていなければ、神様にも人様にも喜んでもらえんやろ。そこで、自分が喜んで通るためには、楽しみがいる。自分の求める道に先の楽しみがあるかないかやな」

石立青年:「先の楽しみと言うのは、例えば貯金みたいなものですか?何か買いたい物があって、そのためにこつこつお金を貯めていって、欲しい物を手に入れる喜びが実現するというようなことですか?」

名物先生:「先の楽しみと言うても、いろいろあるやろな。一生懸命人をたすけさせて頂いて、たすかった人の喜びを我が喜びと思えるようになること、今まで喜べなかったことが心から喜べるようになること、多くの人に好かれる人間になるということ、これみな、先の楽しみやな。陽気ぐらしは、他の人々と共に喜び、共に楽しむところに現れるのやから、どこまで行ってもこの道は、陽気ぐらしが目標や」

石立青年:「心の普請の原動力は、喜ぶことにあるのですね」

名物先生:「もちろんその通り。人は皆、苦しみを厭い、楽しみを求め、悩みを避け、喜びを望む。親神様が、陽気ぐらしをさせたいとの思召で、人間世界を造られたからである。今日も命があることを喜び、親神様に感謝して常に喜びを持って今を生きること、これによって自然に先の楽しみが生まれてくる。喜びは喜びを産む。喜びは喜び連れてやってくるのや。どんな喜びがやってくるか、楽しみにしてたらええ」

石立青年:「先生、ありがとうございました。喜べん中、たんのうの心を治めて通るというところまでは到底無理ですが、せめて今生きていることを喜ばせて頂きたいと思います」