みなのながや信仰談義 三十二
この信仰談義は教典を中心にした教理を、みなの長屋に住む長く天理教を信仰している物知り顔のご隠居さん、信仰しはじめの熊さん、無信仰の虎さんの三人の会話を通してできるだけ分かりやすく?したものです。
第四章
天理王命 その①
親神を、天理王命とたたえて祈念し奉る。
紋型ないところから、人間世界を造り、永遠にかわることなく、万物に生命を授け、その時と所とを与えられる元の神・実の神にています。
このよふのにんけんはじめもとの神
たれもしりたるものハあるまい 三 15
どろうみのなかよりしゆごふをしへかけ
それがたん〱さかんなるぞや 三 16
親神は、人間世界の根元にていまし、この世を創められたばかりでなく、この世の有りとあらゆるもの、悉く、その守護によらぬものとてはない。しかも、その自由の守護の程は、眼に、身に、心に、ありありと、感じることが出来る。まことに、元の神・実の神にています。
即ち、天では月日と現れ、さやけくも温かい光をもつて、余すくまなく、一れつにこの世を照らされる。
このよふのぢいと天とハぢつのをや
それよりでけたにんけんである 一〇 54
人は、天地の間に生を享け、至妙な自然の調和の中に生存している。
遍く月日の光を身に頂いているように、
隔てなく天地の恵に浴している。
天地は月日の理で、人は、天地抱き合せの、親神の懐に抱かれて、限りない慈しみのまにまに生活している。
このよふのしんぢつのをや月日なり
なにかよろづのしゆこするぞや 六 102
親神は、元初りに当り、親しく、道具、雛型に入り込み、十全の守護をもつて、この世人間を造り、恆に変わることなく、身の内一切を貸して、その自由を守護し、又、生活の資料として、立毛をはじめとし、万一切を恵まれている。
その守護の理は、これに、神名を配して、説きわけられている。 (教典第四章p36~38L5)
ご隠居 今月から教典第四章、天理王命に入る。
熊さん なんかえらく早く第四章になったような気もするのですが・・・・。
ご隠居 そりゃ、お前さんの考えすぎや。
第四章は、天理王命様、親神様についてのお話や。
虎さん 『てんりおうのみこと』と読むのですか。わしはまた、「てんりおういのち」と読むのかと思ってましたわ。
熊さん そりゃ、ご隠居の二の腕に彫ってある刺青やないか。何とか命って彫ってあるらしいでんな。
ご隠居 ゴホゴホ、めったなことを言うもんじゃない。ばあさんが聞いたらどうするんや。
第一章に教祖が月日のやしろとなられ、初めて親神様の人間に対する思い「陽気ぐらしをするために生まれてきた」という人間創造の時の思いをお聞かせいただき、第二章で陽気ぐらしへと向かう具体的な方法「つとめとさづけ」についてお教え下さり、そのおつとめの理の意味を第三章「元の理」でお教えくださり、第四章はその元始まりに人間をお創りいただき、今も私達を守護されている親神天理王命についてお書きいただいているんや。いわば一番大事なとこや。
虎さん 元の神、実の神とはどういうことですねん。
ご隠居 その前の『おふでさき』三号の15から16のお歌に書かれているのが第三章の元の理を一言で書かれたお歌なんやけど、この世界をつくり人間を創造し、泥海の混沌とした世界から今までだんだんと守護をしてきた神様のことを今まで誰も知らなかったので歩けど、教祖によってはじめておしえていただいたわけや。だから、人間を拵えた元の神様と言う意味で元の神様、そしてだんだんと守護され今もご守護くださっている神様であるから実の神様ということになるのや。
虎さん 次の10号54のお歌はどういう意味ですねん。
ご隠居 月日親神様というやろ。月は天の理でくにちこたちのみこと様の理、日は地の理でをもたりのみこと様の理やね。人間はそれぞれに父母という直接の親を持っているが、人間の根本の理は天と地であり、人間は天地抱き合わせの親神様のふところの中で住まいをさせていただいているということやね。だからよく、男は天の理で女は地の理という言い方で、男女の通り方を悟る教え方もあるわな。
熊さん 次の十柱の神様て言うことですが、神様が十人おられるのですか。
ご隠居 神様は親神天理王命一柱だけや。といっても、人間の感覚で何人という考え方がいいのかどうかもわからんけど、人間にわかりやすいように神様のお働きを覚えやすくわかりやすいようにそれぞれの働きの角目に十の名前をつけて教えてくれたものや。まあ人間で言うなら、熊さんという一人の人の手の働き、足の働き、頭の働きに一つ一つ名前がついたようなものと思えばええかなあ。
虎さん 熊さんの頭は働いてませんで。
熊さん 失礼なやっちゃなあ。今精一杯はたらいとるで。
ご隠居 来月は十柱の神様を詳しくみていくことにしよう。
みなのながや信仰談義 三十三
この信仰談義は教典を中心にした教理を、みなの長屋に住む長く天理教を信仰している物知り顔のご隠居さん、信仰しはじめの熊さん、無信仰の虎さんの三人の会話を通してできるだけ分かりやすく?したものです。
第五章
天理王命 その②
その守護の理は、これに、神名を配して、説きわけられている。
くにとこたちのみこと 人間身の内の眼うるおい、世界では水の 守護の理。
をもたりのみこと 人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理。
くにさづちのみこと 人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理。
月よみのみこと 人間身の内の男一の道具、骨つっぱり、世界では万つっぱりの守護の理。
くもよみのみこと 人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理。
かしこねのみこと 人間身の内の息吹き分け、世界では、風の守護の理。
たいしよく天のみこと 出産の時、親と子の胎縁を切り、出直の時、息を引きとる世話、世界では切ること一切の守護の理。
をふとのべのみこと 出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の理。
いざなぎのみこと 男雛型・種の理。
いざなみのみこと 女雛形・苗代の理。
即ち、親神天理王命の、この十全の守護によつて、人間をはじめとし、万物は、皆、その生成を遂げている。
たん〱となに事にてもこのよふわ
神のからだやしやんしてみよ 三40135
この世は、親神の身体であつて、世界は、その隅々にいたるまで、親神の恵に充ちている。そして、その恵は、或は、これを火・水・風に現して、目のあたりに示し、又、眼にこそ見えぬが、厳然たる天理として、この世を守護されている。即ち、有りとあらゆるものの生命の源であり、一切現象の元である。
実に、この世は、理ぜめの世界であつて、一分のすきもなく、いささかの遺漏もない。天地自然の間に行われる法則といわず、人間社会における秩序といわず、悉く、奇しくも妙なる親神の守護ならぬはない。
(教典第四章p38L5~40L10)
ご隠居 十柱の神様の説き分けについては、何も難しいことはないと思う。ただ先月も言うたように、十柱の神様の説き分けは、神様が十人おられるんと違う。親神様のご守護を分かりやすいように十に分けてくださったんや。十人の神様がおるんとは違うということや。人間の身体の中の、例えば循環も、呼吸も、皮膚も何もかもが神様のご守護ということや。かしもの、かりものというやろ。身体は神様から貸して頂いているということを、分かりやすく教えてくださっているのや。
虎さん、お前はん、いつも家族みんな元気やから、困った時には信仰しますわって、よう言うとるやろ。
虎さん そうですわ。別に信仰しなくても、充分やっていけますからな。
ご隠居 それが、一番の間違いや。人間は神様のご守護がなけりゃ生きていけへんのや。困ったときに頼むのが本当の信仰ではなく、本当の信仰は今こうして生かされていることをお礼することから始まるんや。
熊さん まあ言うたら、長屋借りてるのに、礼もいわへんということでんな。そりゃ、神様にもうしわけありまへんな。
虎さん 店賃何ヶ月も払うてへんお前にいわれたくないわ。
ご隠居 どっちもどっちやないか。せやけど、おまはんらとこの子供はなかなかえらいで。こないだもわしに、大家さんいつもええ部屋かしてもろて、おおきにと言ってたで。子供でも借してもろたら、お礼言うてんねさかい、おまはんらかって、たまにはええ身体かしてくれてる神様に礼いわなあかんで。
虎さん そない言われても、貸してもろてる実感がないからなあ・・・。
ご隠居 ほんだら自分のもんやという実感があるか、考えてみてみ。ちょっと聞くけど、わしはお前のもんと違うやろ。
虎さん そりゃそうですわ。わしのもんにしたろ言われてもこまりますがな。
ご隠居 ほんだら嫁さんはどうや。お前のもんか。
熊さん そりゃ、とらさんのもんとは違いますわ。一つもいうこときかへんもん。
虎さん お前に言われたないというとるやろ。おまえの嫁はんかてお前の言うこと一つも聞かんやないか。
ご隠居 おまはんら今ええ事いうたな、自分の言うことを聞かへんだら、自分のもんと違たら、自分の身体はどうや。自分の言うこと聞くか。自分はもっとがんばりたい言うても、風邪引いたり、病気になったりするやないか。もっと頑張ろうとおもても、わしみたいに年寄りになったら、身体がそれこそ言うこときかんのや。これが自分のものでない証拠や。身体は神様からの借り物なんや。だからまずそのお礼を言うことが大事やということや。それと同じようにこの世界の全てのものが神様のご守護によってなりたっているということなんや。十柱の神様は、身の内と世界にご守護がわけられていたやろ。人間の身体をはじめ、もっと小さなものからこの宇宙に至るまで、同じようにご守護下されているのや。壮大で不思議で、そして厳粛な話やと思わんか?
みなのながや信仰談義 三十四
この信仰談義は教典を中心にした教理を、みなの長屋に住む長く天理教を信仰している物知り顔のご隠居さん、信仰しはじめの熊さん、無信仰の虎さんの三人の会話を通してできるだけ分かりやすく?したものです。
第六章
天理王命 その③
このせかい一れつみゑる月日なら
とこの事でもしらぬ事なし 八 51
月日よりみなそれ〱とみさだめて
善とあくとをみハけするぞや 八 52
親神は、人の心はもとより、総てを見ぬき見透し、善悪共に見分けて、思召のままに守護されている。
にんけんのわが子をもうもをなじ事
こわきあふなきみちをあんぢる 七 9
それしらすみな一れつハめい〱に
みなうゝかりとくらしいるなり 七 10
このせかいなにかよろづを一れつに
月日しはいをするとをもゑよ 七 11
しかも、親神は、どこまでも、一れつ子供を愛撫される親にています。しかるに、この親心を悟らず、天地を無視し、己が力を過信して、我ままな心を遣い、得手勝手な行をしているのは、万一切を支配し、総てを見ぬき見透されている親神の眼から見れば、あたかも独り歩きする幼児のようで、これほど危ないことはない。
どのよふなくどきはなしをするのもな
たすけたいとの一ぢよばかりで 七 26
一れつのむねのうちよりしんぢつに
はやくわかりた事であるなら 七 27
それからハ月日よろづのしはいする
なにかよろづのしはいするぞや 七 28
親神は、これをあわれに思召し、種々言葉を尽して、一れつたすけの限りない親心を明かし、よろづいさいの真実を教えて、自由自在の珍しい守護を見せられる。
月日にハせかいぢううハみなわが子
かハいいゝばいこれが一ちよ 十七 16
親神は、人間の実の親にています。親神は、ただ一すじに、一れつの子供に陽気ぐらしをさせたいと望ませられ、教祖をやしろとして表に現れ、元初りのいんねんあるぢばにおいて、たすけ一条の道を啓かれた。
ぢばは、天理王命の神名を授けられるところ、その理を以て、教祖は、存命のまま、永久にここに留り、一れつを守護されている。
どのよふなたすけするのもしんちつの
をやがいるからみなひきうける 七 101
実に、天理王命、教祖、ぢばは、その理一つであって、陽気ぐらしへのたすけ一条に道は、この理をうけて、初めて成就される。
あしきはらうてたすけたまへ
てんりわうのみこと
(教典第四章P40L11~44L2)
虎さん 歌がようけありますけど、何か読みにくいのですけど・・・。
ご隠居 前にも説明したと思うけど、このお歌は「おふでさき」というところからとられていて、この「おふでさき」は教祖が直接書かれたもので、親神様のお言葉をお急き込みのままに暗闇でも書かれたというお話や。慣れたら言葉自体はそんな難しいことないけど、少し現代風に変えてみるわ。
この世界の一れつ全てが見える月日(親神)ならば、世界中どこでどのようなことも知らない事はない。(八 51)
親神よりみなそれぞれの(心を)見定めて、善と悪とを見分けする。(八 52)
人間が自分の子を思うのと同じように、親神も何も知らずに恐く危ない道へ人間が行く事を案じているのである。七 9
そのような親神の心配を知らずに、人間はみなうっかりと暮らしているのである(七 10)
この世界は、すべてどのようなことも親神が支配しているのであり、(善悪共に必ず我が身にかえってくるのである)(七 11)
いろいろとこのような話をするのは、親として人間をたすけたいとの思いばかりなのである。(七 26)
そのことを人間が心底わかってくれるなら、どのような守護もしてやろう。(七 27)
親神にとって世界中の人間はみんな我が子なのであり、可愛くてしかたがないのである。(7 28)
(だから教祖は、存命のまま元のぢばでおいでくださり)
その真実の親、教祖がおられるから、どのようなたすけもみな引き受けて下さるのである。(七 101)
こう考えたら、切ないほどの神様のご心配と思いがよくわかるやろ。
熊さん そうでんなあ。わしら今まで神さん言うたら、さわらぬ神に祟りなし、というような恐い神さんばっかり思てましたけど、違いましてんなあ。虎さんもようわかったやろ。
虎さん はい、ようわかりました。せやけど最期の実に、天理王命、教祖、ぢばは、その理一つであって、陽気ぐらしへのたすけ一条に道は、この理をうけて、初めて成就される。て言うのは、どういう意味やねん。熊さん説明してくれ。
熊さん 「実に、天理王命、教祖、ぢばは、その理一つであって、陽気ぐらしへのたすけ一条に道は、この理をうけて、初めて成就される」ていうのは、そういう意味やないか。なんも難しいことあらへんがな。
虎さん そのまま言い返してるだけやないか。
熊さん ご隠居どうぞよろしくお願いします。
ご隠居 虎さんもまだわからんのかいな。情けないなあ。何も難しいことあらへんがな。この「実に、天理王命、教祖、ぢばは、その理一つであって、陽気ぐらしへのたすけ一条に道は、この理をうけて、初めて成就される」というのはな、なあ熊さん。
熊さん そうですなあ。ご隠居
「この実に、天理王命、教祖、ぢばは、その理一つであって、陽気ぐらしへのたすけ一条に道は、この理をうけて、初めて成就される」というのは、早い話が「実に、天理王命様と、教祖と、ぢばは、その理が一つであって、同じいうことやな、そして陽気ぐらしへのたすけ一条に道は、この理をうけて、初めて成就されるということやがな。来月回しになるちゅうことでんな。
ご隠居 お前もなかなか人間が出来てきたなあ。
みなのながや信仰談義 三十五
この信仰談義は教典を中心にした教理を、みなの長屋に住む長く天理教を信仰している物知り顔のご隠居さん、信仰しはじめの熊さん、無信仰の虎さんの三人の会話を通してできるだけ分かりやすく?したものです。
第七章
天理王命 その④
虎さん ご隠居さんこんばんは。今日はこないだの続きを、教えてもらおうと思って来ましてん。
ご隠居 こないだの話してなんやったかのう。年をとると物忘れがひどくなってなあ。
熊さん わし、覚えてますで。ご隠居、ボケた振りしてもあきませんで。 「実に、天理王命、教祖、ぢばは、その理一つであって、陽気ぐらしへのたすけ一条に道は、この理をうけて、初めて成就される。」ということはどういう意味かということでしたな。
ご隠居 おまはんらもしつこいなあ。しゃない、教えたるわ。
熊さん 昨日、会長さんとこで本借りてましたなあ。
ご隠居 そうや、その本読んで今日はちょっと熱っぽいねん。
熊さん 知恵熱でんな。
ご隠居 なんとでも言いや。話進まんさかい、説明するで。
教祖のお立場はわかってるな。教祖は
「しかときけ くちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている」12―68とお聞かせいただいているように、教祖は親神様が初めて、そしてただ一度、この人間世界にお現れ下さった姿なんや。だから、親神様(天理王命様)=教祖中山みき様なんや。だからその理は一つ、同じということや。
虎さん 「ぢば」はどうなるんですか。
ご隠居 「ぢば」に神名(かみな)を授けたと、教典で出てくるやろ。わしは思うんやけど、教祖が目に見えておいでになった時代は、だれも親神様がどうとか、教理がどうとか、そんなことを詳しく考えへんだやろと思うねん。なんたって教祖がおいでになるんやさかい、その当時の人にとって、親神様=教祖やから、教祖のおっしゃることをそのまま聞かせていただいていたらよかったんや。困ったら教祖に聞かせてもらいに行ったらええんやからな。だけど教祖は人間の体をもっておられるから、いずれ体がなくなることがある。そのために「ぢば」に神名をさづけられたんではないかとわしは思ってるねん。それも木や物や、叉まして人ではなく、ぢばという絶対に動かせない土地にや。これはちょっとうがった見方かもしれんが、天理教にも教祖が現身(うつしみ)を隠されてから、いくつかの別派が出てきたやろ。せやけど、だれもぢばを持っていくことはできへんのや。せやさかい、そんなことまで神様は考えていたんではないかとわしは思ってるねん。
まあ、それは余談やけど、だから、天理王命、教祖、ぢばはその理一つ、つまり同じということや。
熊さん おんなしやったら、何でわざわざ三つ書いてありますねん。
ご隠居 そこや。
熊さん どこでんねん。
ご隠居 使い古したぼけはええけど、そこが大事なんや。
次に、陽気ぐらしへのたすけ一条に道は、この理をうけて、初めて成就されると書いてあるやろ。陽気ぐらしへのたすけ一条の道を通らせていただくためには、この天理王命、教祖、ぢばという三つが本当に心に治まることが大事やということなんや。
天理王命(てんりおうのみこと)については、第四章全体が天理王命ということで、今まで読んできたんやから、よくわかっていると思うけど、天理王命は、この宇宙全体、そして地球の万物、そして特に人間を創造され、今もご守護下されている親なる神、親神様ということ。そして人間を創造下されたのは、陽気ぐらしをするためだということであり、そのために身体をお貸しくださり、十全の守護をもって今もご守護下されているということをまず本当に喜ばせていただくということが、陽気ぐらしの第一歩ということや。
そして教祖や。陽気ぐらしというのは、どういう生き方をいうのか。それを実際五十年のひながたの道を通してお教えくださったんや。だから陽気ぐらしという具体的な姿は、教祖のひながたの中にあるということや。そして、今もご存命のまま、その教祖のひながたを通る者はもちろんのこと、未だこの道の素晴らしさを知らない者に対しても、たすけたいという親心一杯で私達を導いてくださっているからこそ、教祖がご心配くださっているからこそ、わしらはこの道を通らせていただけるということや。
そして、ぢばは「かんろだい」の据えてある場所、このかんろだいを囲んでおつとめをさせていただく場所や。おつとめとは、言うまでもなく元始まりのとき、人間を創造された時の様子を再現されたものであり、今も変わることなくご守護下されている理をお教えいただいたものや。そしてまた、「よふこそつとめについてきた これがたすけのもとだてや」六下り目五ツ とお聞かせいただくように、すべてのたすけの原点、基本や。
つまり、陽気ぐらしのたすけ一条の道、世界中の人間が陽気ぐらしの世界へ進ませていただくためには、人間が皆兄弟であり、親神様のかわいい子であるという親神天理王命のご守護を実感し、ひたすら子供の成人にご生涯をおかけくださった教祖の五十年のひながたを、自分の生き方と心を定めて、かぐらづとめをはじめ、それぞれの教会でつとめるおつとめに参拝させていただき、つとめさせていただくことが大事やということを教えてくれているのや。
ああしんど・・。我ながらわかりやすい話や。自分で自分をほめてやりたいと、わしは思っているので、いらんことは言わんように・・。
虎さん なんかわかったような、わからんような・・・。
ご隠居 わかったような、わからんようなとは、失礼な奴やな。わかったと何故言えんのや。
熊さん ようわかりました。虎さん、ご隠居にこれ以上聞くと、頭壊れるで。もう頭から湯気があがっとるぜ。
ご隠居さん、わし達が信仰するのも、ただ参拝するのではなく、親神様の思いをしっかりと自分の中に入れさせていただき、教祖のひながたを自ら通らせていただく努力をし、おつとめに込められた神様の思いをしっかりと噛みしめながらおつとめに逢わせていただくことが大事ということでんな。
ご隠居 そうや、その通りや。熊さん、今月店賃待ったるで。また出来たらもっておいで。
虎さん わしもようわかりました。
ご隠居 何がわかったんや。
虎さん わかったと言えば、店賃待ってくれるということが、ようわかりました。