みなのながや信仰談義 二十九
この信仰談義は教典を中心にした教理を、みなの長屋に住む長く天理教を信仰している物知り顔のご隠居さん、信仰しはじめの熊さん、無信仰の虎さんの三人の会話を通してできるだけ分かりやすく?したものです。
第三章 元の理 その@
親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上から、教祖をやしろとして、この世の表に現れた。奇しきいんねんと、よふきづとめの理を、人々によく了解させようとて、元初り真実を明かされた。
この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。
そこで、どろ海中を見澄されると、沢山のどぢよの中に、うをとみとが混つている、夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限が経つたなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせよう約束し、承知をさせて貰い受けられた。
続いて、乾の方からしやちを、巽の方からかめを呼び寄せ、これ又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試し、その性を見定めて、これ等を男一の
道具、及び、骨つっぱりの道具、又、女一の道具、及び、皮つなぎの道具とし、夫々をうをとみとに仕込み、男女の雛型と定められた。いざなぎのみこと いざなみのみこととは、この男雛形・種、女雛形・苗代の理に授けられた神名であり、月よみのみこと くにさづちのみこととは、夫々、この道具の理に授けられた神名である。
更に、東の方からうなぎを、坤の方からかれいを、西の方からくろぐつなを、艮の方からふぐを、次々と引き寄せ、これにもまた、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試された。そして夫々、飲み食い出入り、息吹き分け、引き出し、切る道具と定め、その理に、くもよみのみこと かしこねのみこと をふとのべのみこと
たいしよく天のみこととの神名を授けられた。
かくて、雛型と道具が定り、いよいよここに、人間を創造されることとなつた。そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて、その心根を味い、これを人間のたねとされた、そして、月様は、いざなぎのみことの体内に、日様は、いざなみのみことの体内に入り込んで、人間創造の守護を教え、三日三夜の間に、九億九万九千九百九十九人の子数を、いざなみのみことの胎内に宿し込まれた。それから、いざなみのみことは、その場所に三年三月留まり、やがて、七十五日かかつて、子数のすべてを産みおろされた。
最初に産みおろされたものは、一様に五分であつたが、五分五分と成人して、九十九年経つて三寸になつた時、皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみことも、身を隠された。しかし、一度教えられた守護により、いざなみのみことは、更に元の子数を宿し込み、十月経つて、これを産みおろされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経つて三寸五分まで成人して、皆出直した。そこで又、三度目の宿し込みをなされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経つて四寸まで成人した。その時、母親なるいざなみのみことは、「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」と仰せられ、につこり笑うて身を隠された。そして、子等も、その後を慕うて残らず出直してしもうた。
その後、人間は、虫、鳥、畜類なぞと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆出直し、最後に、めざるが一匹だけ残つた。この胎に、男五人女五人の十人ずつの人間が宿り、五分から生れ、五分五分と成人して八寸になった時、親神の守護によって、どろ海の中に高低が出来かけ、一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も、漸く区別出来るように、かたまりかけてきた。そして、人間は、一尺八寸から三尺になるまでは、一胎に男一人女一人の二人ずつ生れ、三尺に成人した時、ものを言い始め、一胎に一人ずつ生れるようになつた。次いで、五尺になった時、海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活をするようになつた。
この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。
虎さん ご隠居。この話はいったいなんでんねん。
ご隠居 これが、有名な「元の理」のお話や。
熊さん 別席でもこのお話聞かせてもらうけど、よくわかりませんね。これからゆっくり教えてくれまんのか。
ご隠居 うん、そうやなあ。今日はちょっと用事があるから、また来月でもゆっくり教えることにするわ。教えたいのはやまやまなんやけどなあ。
虎さん 用事って何ですねん。さっきあんたとこのばあさんに聞いたら、今日はご隠居ひまで退屈してるさかい、ゆっくりしていきやて言うてましたで。
ご隠居 さっきまでひまやったんやけどな、急に用事を思い出したんや。この元の理は、急いてる時に、ちゃっちゃっよ話できるようなもんと違うんや。
一番最初に書いてあるように、「教祖をやしろとして、この世の表に現れた。奇しきいんねんと、よふきづとめの理を、人々によく了解させようとて、元初り真実を明かされた。」ものなんや。ありがたい、ありがたい。
熊さん ご隠居、ほんまにわかってまんのか?
ご隠居 なにを失礼な・・。
来月を楽しみにしときや。
熊さん 来月寝込まんといてくださいや。
来月に続く・・。
おそらく続くであろう・・・。
できれば続いて欲しい・・。
ひょっとしたら続かないかもしれない・・・・。
みなのながや信仰談義 三十
この信仰談義は教典を中心にした教理を、みなの長屋に住む長く天理教を信仰している物知り顔のご隠居さん、信仰しはじめの熊さん、無信仰の虎さんの三人の会話を通してできるだけ分かりやすく?したものです。
第三章 元の理 そのA
熊さん ご隠居さん。こんにちは。今日は元の理をしっかり聞かせていただきたいと、来させていただきました。
ご隠居 二人ともよう来たな。せやけど、わし今日はちょっと忙しいような気もするねん。
熊さん 確か先月もそんなこと言ってはりましたな。
虎さん またでっか。まあよろしわ、時間あるうちにはじめましょか。
ご隠居 うん、そうやなあ。今日はちょっと用事があるから、ちょっとだけやで。
親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上から、教祖をやしろとして、この世の表に現れた。奇しきいんねんと、よふきづとめの理を、人々によく了解させようとて、元初りの真実を明かされた。
と、最初に書かれているやろ。親神様が人間に陽気ぐらしを早くさせたいとの思いから、教祖に入り込まれてこの地上に現われたと言うことはわかってるやろ。
虎さん そんな話聞いたことあるようなないような・・。
ご隠居 元の理というのは、親神様がなぜ世界中の人から中山みき様を選ばれ、なぜ天保九年十月二十六日に立教になったか、なぜ天理教教会本部のある場所を「おぢば」と言って礼拝するのか、そしておぢばで行なわれる「かぐらづとめと」はどういう意味なのかを教えてくれているんや。
虎さん ほんだら次は来月ということで・・・。
ご隠居 えらい早いやないか。まだこれからやで話は。
虎さん なんかちょっと頭が痛くなったような。
熊さん 虎さんせっかくやさかい、もうちょっとだけ聞いていこや。
ご隠居 それじゃいよいよ本筋に入るで。本筋の元の理については、全文引用したさかいそういうことや。
ほんだらそういうことで、わしちょっと用事に行くわ。
熊さん ご隠居さん。いよいよ本筋に入るんと違いますのか。
ご隠居 入ったやないか、すぐに出たけど。何も難しいことはないやろ。全部振り仮名振ってくれてるし。
虎さん そら字は難しいないけど、意味はちんぷんかんぷんでんがな。
ご隠居 意味はちんぷんかんぷんでもええね。これは今の人間のレベルからみれば、神様の子守唄のようなものやとわしは思うてるねん。全部を理解するのは無理や。せやさかい、変に理解しようとしないで、わからんところはわからんままおいといたらええねん。もっと人間の心もそして科学も進歩してきたら分かってくるのやと思うね。
熊さん そない言われてもなあ。
ご隠居 わがままやなあ。それじゃご隠居流、現在意訳をしてみるわ。せやけどここだけの話やで。人に言うたらあかんで。
この宇宙の始まり、地球の始まりは混沌とした泥の海のようで、親神様はそれを味気なく思われて、人間を創ってみんなが仲良く楽しく暮らすのを見ていっしょに楽しもうと思いつかれたんや。
虎さん 月日親神と書いてあるから、神さんは二人おるちゅうわけですか。
ご隠居 せやさかい、わしは話ししたなかったんや。わしに聞くな言うてるやろが。だいたい神様を人間のように一人二人と考えるのはちょっと無理があると思うねん。二つ一つが天の理というやろ。
熊さん ご隠居、そういやこないだ会長さんに面白い話聞きましてん。ある先生が、教祖に「人間を創ったのは神さんでっしゃろ。そしたら「その神さんを創ったのはだれですか」て、聞いたらしいですわ。そしたら教祖が「そこまで聞くのはあほやで」とおっしゃったらしいですわ。会長さんはわしに、この宇宙ができたとき、ビックバンとかいうのがあって、大爆発して今の宇宙ができたという説があるそうで、そのビック何やらというやつの前は、今通用している科学の考え方が全然通じんそうで、それが教祖のいう「そこまで聞くのはあほや」ていうことやって言ってましたわ。
ご隠居 なるほどなあ、虎もようわかったやろ。
虎さん なにがですねん。
ご隠居 何がって、ビックエレキバンの前のことを聞いてもわからんということや。
熊さん ご隠居 ビックバンでっせ。
ご隠居 よう似たもんや。せやさかい今の自分達が全部理解するのは無理やね。神様から見たらちょうど大人が幼稚園の子に難しい哲学とか数学とかの話をするようなもんやで。
虎さん わしら大人やけど、そんなんわかりませんで。ご隠居わかりますのか。
ご隠居 そらわしかってわからんけど、それぐらい神様と人間のレベルが違うから、元の理を人間に理解できるようにするのは難しかったということや。
熊さん 天ちゃんも苦労したんやねえ。
虎さん 天ちゃんて誰や。
熊さん 神さんの愛称。
ご隠居 いつから愛称がついたんや。
話が前へ進まんやないか。どこまで話したんかいな。
熊さん 人間を創ることを思いつかれたというとこですわ。
ご隠居 人間を創るいうてもそんなに簡単にいかんわな。それでその混沌とした中に何か材料がないかと探されると、たくさんの「どじよ」の中に夫婦のひながたになる「うを」と「み」がいたのでこれを引き寄せて「最初に産みおろす子数の年限が経つたなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせよう約束し、承知をさせて貰い受けられ」るわけや。
虎さん その「どぢよ」とか「うを」とか「み」というのはどんなんですねん。
ご隠居 せやさかいわしに聞くなというとるやろ。現在いる「どじょう」や「うお」や「み(へび)」と同じではないことは、最後のほうを読んだらわかるけど、何かがつながっているのは確かやと思うけど、どんな意味を神様が持たせているのかはようわからん。信仰が進んできたらそれぞれに悟らせてもらえるやろと思う。
ほんだら枚数もきたので、また来月や。
熊さん 来月はちゃんと勉強しといてくださいや。
みなのながや信仰談義 三十一
この信仰談義は教典を中心にした教理を、みなの長屋に住む長く天理教を信仰している物知り顔のご隠居さん、信仰しはじめの熊さん、無信仰の虎さんの三人の会話を通してできるだけ分かりやすく?したものです。
第三章 元の理 そのB
熊さん ご隠居さん。ひさしぶりでんな。
ご隠居 今月はもう早いとこ元の理を終わりたい気分やねん。なんか新年になってもこれが残ってるとどうも気になって仕方ないねん。それで今日は意を決してパッパと終わることにしたから、二人とも協力するように・・・。
熊さん 別に無理してくれなくても、わしらそんなに聞きたいわけでもないし・・・。
虎さん それを言ったらおしまいやがな。ご隠居も気をつこて酒も肴も出してくれてるんやから。
ご隠居 わかった、わかった。ばあさん酒と肴、適当に出してやってくれ。
それでは、元の理、行くで、ええか、覚悟はええか。いってもええねやろな、ほんまにいくぞ。
虎さん はよ行きなはれ。
ご隠居 こないだも言うたが、元の理というのは、親神様がなぜ世界中の人から中山みき様を選ばれ、なぜ天保九年十月二十六日に立教になったか、なぜ天理教教会本部のある場所を「おぢば」と言って礼拝するのかを教えてくださっているんや。そしておぢばで行なわれる「かぐらづとめと」はどういう意味なのかを教えてくれているんや。
虎さん それは先月聞きました。ですからどう教えてくれてますねん。
ご隠居 だから先月も言うたようにと、言ってるやないか。天保九年が、「最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿し込みのいんねんある元の屋敷に連れ帰り、神として拝をさせようと約束」されたと、元の理に書かれているやろ。だから、神様は人間創造の母胎としての魂のいんねんある教祖を、あらかじめこの世に現し、宿し込みのいんねんある元の屋敷に引き寄せて、最初の宿し込みから九億九万九九九九年後の天保九年十月二十六日、月日のやしろに貰い受けられたわけや。この、人と所と時とに関するいんねんを「教祖魂のいんねん」「やしきのいんねん」「旬刻限の理」というのや。
熊さん と、教典には書いてありますな。
ご隠居 あかんのか、書いてあるから、そう言うてんねがな。
熊さん ご隠居さん。逆ギレやがな。
隠居 おつとめは、特に本部のかぐらづとめは、その理を受けてつとめるのや。かぐらづとめは知ってるやろ。教会のおつとめとだいぶ違うぞ。
熊さん だいぶ違うてどこがちがいますのん。わしら教会のおつとめしか見たことないし。
ご隠居 おまえらそれでも信者か。本部のかぐらづとめをしらんとは情けない。
虎さん わし、信者とちがいますで。
ご隠居 まあええ、簡単にいうとな、教会の月次祭のおつとめは、すわりづとめと、十二下りに別れるやろ。十二下りの方は本部も教会もかわらんけどな、すわりづとめは本部は違うねん。本部にかんろだいがあるやろ。そのかんろだいを囲んで、十人のつとめ人衆がかぐら面をつけておつとめをされるんや。それも立って前後に動かれるのや。十人のつとめ人衆は、元の理の十柱の神様の理を受けて勤めて下さっているのや。つまり人間創造のときの理をかぐらづとめによって再現というか、再生産というか、つまりありがたいことやということや。
虎さん つまりそのおつとめは、元の理を形に表したものということでっか。
ご隠居 そうや、なかなかうまいこというなあ。当たらずとも遠からずや。
虎さん ご隠居は相変わらず負けず嫌いやねから。
熊さん こないだ別席に行かせて頂いた時に、元の理のお話ありましたで。
ご隠居 そうや、おさしづに、「紋型も無いところからのこの道の結構という、元の理の諭さにゃならん。(31年5月12日)」とあるように、この元の理をわし達信者は覚えるほどに読ませていただき、しっかり心におかねばならんのや。
虎さん せやけど、ようわかりませんなあ、ほんまの話でっか。
ご隠居 ほんまの話かやと、おまえそれでも天理教か?
虎さん せやから違いますって。
ご隠居 先月も書いたけど、このお話は当時の人々に理解できるようにお話下されているから、荒唐無稽な話に見えるかもしれん。せやけど、例えばダーウィンの種の起源より早く進化論をといているのやぞ、それだけ考えてもすごい話やないか。
熊さん そういや、この間えらい科学者の先生も元の理を研究してはる人がいるとかいうてましたわ。
虎さん そりゃ、やっぱりすごい話でんねなあ。
ご隠居 せや、せやけど科学が元の理を証明したから素晴らしいのではないとわしは思う。まだまだ今の科学でも理解できんことも一杯あるし、今の科学が全て正しいということでもない。そんなものを超越したところに元の理はあるのや。せやからわしは、浅い人間の智慧でこれ以上元の理を説明しょうとは思ってないんや。
熊さん それは言い訳ですか。
ご隠居 失礼な、言い訳違う。説明せいといわれれば、今日はこれから用があるからでけんけど、用さえなかったらこれから何時間でも説明したる。せやけどあえて説明せんと言うてるのや。お前らがしっかり読ませていただき、心に入れて欲しいというてるねん。しかし元の理でしっかりわかって欲しいことがある。
人間は陽気ぐらしをするために生まれてきたということや。そのことを知らずに、許された心の自由を使い誤っている人間をたすけるために、親神が教祖を社に表に現れて、人間の本当の生き方を教えてくれているということや。それはどこそこの誰かが悟りを開いたり、一生懸命考えた教えではなく、元始まりの時から約束されていたことであり、「年限から天然の道の理によりて成り立った道」ということや。
せやから、天理教という一つの宗教のようにおもてるやろけど、神様から見たらこれが最後の教えであり、人間みんなのほんまの教えやということや。
天理教を信仰しているものは、もっとそれだけの自信と自覚を持って欲しいと思うというところで、元の理の話は終りとしよう。
虎さん なんかうまいことおわりましたなあ。