詩の特集167

こんにちは 天理教三名之川分教会です 

 

 

 

 

台風や、地震など、今年は自然災害が続き何かどことなく不安で、落ち着かない気分を増長させているようです。

そういえば最近、時間が早くなったように感じませんか。この間、お正月を祝ったような気がするのに、もう秋祭りも終わりました。いつも何かに追われて、毎日を過ごしているようです。そういえば若いお母さんが、子どもに一番よく使う言葉は、「早く早く・・・」だそうです。

今日は忙しさを忘れ、秋の夜長に、ゆっくり短歌を読みながら、人生を振り返ってみては 

いかがでしょうか。

 秋の夜長といえば、この歌。

白玉の歯にしみとほる秋の夜の

酒は静かに飲むべかりけり

若山牧水の有名な歌です。そして牧水と言えば、この歌も忘れられません。 

吾木紅(われもこう)すすきかるかや秋草の

さびしききわみ 君におくらむ

 人生の彩りは恋です。牧水には恋の一瞬を写し取ったこんな歌があります。 

ああ接吻(くちづけ)海そのままに()は行かず

鳥翔(とりま)ひながら()()てよ(いま) 

どんな恋もあります。自分にとっては一生の恋でも、相手はそうではない場合もあります。

観覧車回れよ回れ想ひ出は

君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)  栗木京子

恋は不思議です。まったく別な所

で育った者が、ある日突然、恋に落

ちるのです。

われ生まる君なほ在らずわれ長ず

君ありすでに恋人として 吉井勇

 君にはこんな歴史があり、こんな親の思いがありました。 

そむかれむ日の悲しびをうれいつつ

百日(ももか)に足らぬ子をいだくなり

新井 洸

くら保育園もも組まなべひろこ君

名札をつけて得意さうなり 

真鍋正男

父として幼き者は見上げ居り

ねがわくは金色(こんじき)獅子(しし)とうつれよ

  佐々木幸綱

 子どもはやがて親の手を離れるものです。二十を短歌はこう歌います。

その子二十 櫛に流るる黒髪の

おごりの春の美しきかな  

与謝野晶子

やがて吾は二十となるか二十とは

いたく娘らしきアクセントかな

            河野愛子

成人式という行事は、今となってはこの国の二十歳がいかに成人から遠いかを、はしなくも露呈してしまうだけの行事に成り下がりました。 

自分たちの都合で(連休にするためだけに)記念日さえもころころ変わるこの国には、残念ながら、そんな成人式が似つかわしいのかもしれません。

でも、親はこう願っています。

「大きくなったら鳥になりたい」

願ったことを忘れないで千恵

末次由美子

 そういえば、子供の時、「男は泣いたらあかん」と、よく言われました。今は、男らしさ、女らしさという言葉は死語とすべきもの?のようですが、昔はこんな歌もありました。   

われ男の子意気の子名の子つるぎの子 詩の子恋の子ああもだえの子    

与謝野鉄幹

甲斐なしや強げにものを言う眼より涙落つるも女なればか 岡本かの子

 そしてこんな歌は女性にしかつくれないでしょう。

処女(おとめ)にて身に深く持つ(きよ)(らん)

秋の日(われ)心熱く(こころあつ)す  富小路禎子 

 

人は年をとり、自分たちの中の青い鳥も、次第に弱っていきます。そして自分や相手をこんな風に観察します。

会社での俺が俺でないならば一生(ひとよ)の大半俺でない俺     長尾幹也

大の字に一加うれば日曜に

居眠る夫となるらん   小高 賢

 

 しかし、こうなるまではそれが幸せだとはなかなか気づけません。

親子四人テレビをかこむまたたくま

その一人なきとき至るべし

上田三四二

年をとることは、身体の衰えだけを考えればつらくさびしいことなのかもしれません。でも、見えなかったものが、見えることもあるのです。

か黒葉にしづみて匂ふ夏霞

若かる我は見つつ()りき 


北原白秋

 そして世の中がこんな風に見えてくるのではないでしょうか。  

 高杉晋作の上の句に、野村望東尼はこんな下の句をつけました。

おもしろきことのなき世を

おもしろく 

すみなすものは心なりけり