今月の信者宅祭文  四月      

之の奥床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前につつしんで申し上げます。親神様にはたすけ一条の道の上につとめとさづけをお教え下さり、おつとめが一人ではできないように、そしておさづけが自分には取り次げないように皆が心を揃え、互いにたすけあうことが陽気ぐらしの一番大事な点であることをお教え下さいましたことは誠にありがたくもったいない極みでございます。私たちはその思召に感激し、一つ心に親神様をお迎えしてお鎮まり戴き尚も成人の道をお仕込み戴くままにお連れ通りいただいてまいりましたが、今日は月毎のおつとめをつとめさせていただくめでたい日柄でございますので、真心からおつとめをつとめ、日頃の御恩にお礼申し上げるとともにこれから先も変わらぬご守護をお願い申し上げたいと存じます。自分の子や孫、理の子達に信仰が誤りなく伝わるようまず自らの信仰の姿勢を再点検させていただきたいと存じます。親神様にも何卒わたしどものこの真実をお受け取りくださいまして、まだまだ至らぬ届かぬ事も多うございますが、何卒変わらぬ自由用の御守護を下さると共にどんな中でも心倒さずおすがりして深い親心の悟れる真実の人に成人できますようお導きお連れ通りの程を慎んでお願い申し上げます。

今月の祭文の思い

陽気暮らしへの具体的な方法を、神様はつとめとさづけによってお教えくださった。一人では出来ず最低十六人の人が必要で、それぞれが自分の癖性分を取りながら、地方の声、つまりは神様の思いに合わせてつとめるおつとめと、自分には取り次げず、人を助けさせていただくことで自然に自分がたすけていただくさづけの理。おつとめとおさづけの理ほど、陽気ぐらしの方法をわかりやすくお教えくださったものはない。癖性分を取り、合わすことの難しさをおつとめによって実感しながら、方法はわかっても難しいなあと改めて思う昨今である。

五月は、今年の総出のおつとめをさせていただく。いまどきの子供に信仰を伝えるのは難しいとよく聞くが、信仰を伝えようとするから難しいのであって、信仰をつたえるのではなく、信仰の喜びを伝えるのだとお聞かせいただく。毎日不足タラタラで、神様の前でだけ小難しい顔をして、教理を伝えるのではなく、毎日ニコニコして、このお道を信仰して本当によかったとポロっとつぶやくだけでよいのだと思う。子供は親の背中を見て育つという。それだけでも充分伝わると思うが、よく考えたらそちらのほうが百倍難しいかもしれない。

子や孫のいない私はどうしたらいいのですかと質問されたことがある。理の子を作ればよいのである。鷲文分教会の初代は結婚もせず、子供もいなかったが、初代の葬式には何百という人たちが、実の子供以上に別れの涙を流した。親子とは血のつながりを言うのではない。心のつながりをいうのだとつくづく思う。