今月の信者宅祭文  十一月      

之れの奥床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前につつしんで申し上げます 親神様には私たちの身体が両親の工夫で作られたものでも、銘々の力で動かせるものでもなく親神様の妙なる思惑とその守護によって貸し与えられているという「かしもの・かりもの」の理をお教えいただきましたことは誠にありがたくもったいない限りでございます 私たちはその思召に感激し一つ心に親神様をお迎えしてお鎮まり戴き尚も成人の道をお仕込み戴くままにお連れ通りいただいてまいりましたが今日は月毎のおつとめをつとめさせていただくめでたい日柄でございますので、真心からおつとめをつとめさせていただき、日頃の御恩にお礼申し上げるとともにこれから先も変わらぬご守護をお願い申し上げます 親神様にも何卒わたしどものこの真実をお受け取りくださいまして、まだまだ至らぬ届かぬ事も多うございますが、何卒変わらぬ自由用の御守護を下さると共にどんな中でも心倒さずおすがりして深い親心の悟れる真実の人に成人できますようお導きお連れ通りの程を慎んでお願い申し上げます

今月の祭文の思い

 「かしもの・かりもの」の理。私たちの教えの根本教理の一つであり、そしてもっとも納得しにくいものの一つでもあると思う。おふでさきには

 めへめへの みのうちよりの かりものを

  しらずにいてハ なにもわからん

とあり、これが分からないと何も分からんのと同じだとまでお聞かせいただく。

  実際学校をずる休みしたかった学生の時を除き、病気になりたくてなるものはまずいないと思う。 自分の思い通りにならないのだから、自分のものでないのは分かりそうなものだが、なかなか分からない。家でも何でも、自分のものであるなら、どのように改築しても構わないが、借家ではそうはいかない。しかし同じ借家でも居心地の良い借家になるか、人の一人も寄り付かない借家になるかはその家を借りた当人の心次第だ。何十年も借りていて、今更居心地の悪さを借家のせいにするわけにはいかいないだろう。

  神様が人間に身体をお貸しいただき、この世に生をお与えてくださったのは、陽気ぐらしをするためだとお聞かせいただく。

  陽気ぐらしの第一歩は、自分の現状を「良し」と受ける心だと思う。どのような身上であろうとも、良しと受け取ることができないならば、そこからは決して喜びは湧いてこないと思う。