悲しみ 石垣りん
私は六十五歳です。
この間転んで
右の手首を骨折しました。
なおっても元のようにならないと病院で言われ
腕をさすって泣きました。
お父さんお母さんごめんなさい。
二人とも、とっくに死んでいませんが
二人にもらった身体です。
今も私は子供です。
おばあさんではありません
宮沢賢治は、最愛の妹とし子との別れを次のように歌いました。
永訣の朝 宮沢賢治
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
(中略)
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(中略)
ああ あのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
友人の突然の死に――
あなたはそこに 谷川俊太郎
あなたはそこにいた 退屈そうに
右手に煙草 左手に白ワインのグラス
部屋には三百人もの人がいたというのに
地球には五十億もの人がいるというのに
そこにあなたがいた ただひとり
(中略)
ほんとうに出会ったものにわかれはこない
あなたはまだそこにいる
目をみはり私をみつめ くりかえし私に語りかける
あなたとの思い出が私を生かす
早すぎたあなたの死すら私を生かす
人は、親や兄弟、友人を失う中で、初めて気づくことがあります。
それは、その人から受け取ってきたものの大きさです。
身体も、心も、言葉も、その多くが、誰かから受け継いできたものなのだと気づかされます。
だからこそ、人は悲しみの中で、もう一度その人とのつながりを感じるのかもしれません。