人間は、陽気ぐらしをするためにこの世界に生まれてきました。
ですから、どのような厳しい節も、諭達第三号でお聞かせいただくように、親神様の親心からであると受け止めなければならないのだと思います。
時として、親神様は子供の行く末を案じる上から、様々なふしを以て心の入れ替えを促される。
しかし、どのような事をするのも、月日にはただ一れつ人間をたすけたいとの親心からである。
あらゆる災厄や難渋は、胸の掃除を求められる親心の表れであると思わなければなりません。
しかしながら、なかなかそう思えない哀しい時があります。
大事な人の死に出会った時です。
大切な人を亡くした時、人は全てに絶望します。
節の中に込められた親心を探す気持ちにもなれません。
時を待つしかない時があるのです。
時がいずれ、悲しみを和らげてくれるのを……。
そんな時のことを、茨木のり子さんは、次のように書きました。
古歌 茨木のり子
古い友人は/繃帯(ほうたい)でも巻くように/ひっそりと言う
「大昔から人間はみんなこうしてきたんですよ」
素直に頷く/諦められないことどもを/みんななんとか受け止めて/受け入れてきたわけなのですね
今ほど古歌のなつかしく/身に沁み透るときはない
読みびとしらずの挽歌さえ/雪どけ水のようにほぐれきて
清冽の流れに根をひたす/わたしは岸辺の一本の芹
わたしの貧しく小さな詩篇も/いつか誰かの哀しみを少しは濯うこともあるだろうか
大昔から人々は、その悲しみを何とか受け入れてきたのです。
受け入れるしかなかったのです。
そんなあなたの哀しみを少しでも濯うことができるように、何篇かの歌や詩やエッセイを集め、この小冊子を編んでみました。
お読みいただければ嬉しく思います。