巻頭言|会報三名之川 2026年5月号 樋口和徳
新しい年度が始まり、春のあたたかさを感じる頃となりました。
先日、少年会の教会長子弟練成会総会を開催し、今年は「祈り」をテーマに取り組みました。
子どもたちには、「どんなことを願っているか」「将来やってみたいこと」「叶えたいこと」を付箋に書いてもらい、それを班ごとにまとめるという活動を行いました。
「足が速くなりたい」「バンドマンになって有名になる」「勉強ができるようになりたい」「友だちと仲良くしたい」など、子どもたちはそれぞれの思いを素直に書いてくれました。
その様子を見ながら、私自身、「自分はどんな願いを持って日々を過ごしているのだろうか」と改めて考えさせられました。
忙しい毎日の中で、自分の願いを見つめる時間は、意外と少ないのかもしれません。
このテーマを考えたきっかけは、家での何気ない一言でした。
息子が「おつとめ、めんどくさい」と言ったのです。
その言葉を受けて、「なぜおつとめをするのか」「祈りとは何なのか」と、自分自身に問いかけることになりました。
今回、子どもたちの願いを見ながら、私なりに一つの見方として考えたことがあります。
「その願いは誰が叶えるのか」ということです。
自分の努力で叶えられることもあれば、自分の力だけではどうにもならず、神様のお働きをいただかなければ叶わないこともあります。
たとえば、努力によって近づける願いもあれば、日々の健康や家族の無事といった、自分の力だけでは及ばない願いもあります。
そう考えてみると、「祈り」とは、自分ではどうにもならないところに心を向け、神様のお働きをお願いする大切な時間であると感じます。
同時に、祈るだけで終わるのではなく、自分にできることはしっかりとつとめさせていただく。その上で神様のお働きをお願いすることが大切ではないでしょうか。
私たちは日々、おつとめをつとめさせていただいています。
その時間は、ただ形として行うものではなく、自分の願いを見つめ、心を神様の心にそろえる時間であると思います。
新しい年度のはじまりにあたり、今一度、自分はどのような願いを持っているのか、その願いにどのように向き合っていくのかを見つめ直してみたいと思います。
そして、自分にできることをつとめながら、神様のお働きをいただく。
そのような心で、日々を通らせていただきたいと思います。