七、年をとるということ

年をとるということは、誰にとってもつらいことです。

しかし、もし身体が神様からの借り物であるならば、

年を重ねていくこともまた、神様のお働きの中にあるのかもしれません。


老人ホームはさまざまな人生が詰まっています。
それを見ると、「楽に死にたい」という考えは捨てて、
老いに伴う苦しみを引き受ける覚悟が必要だと感じました。
多田富雄


末期の病の中でも、苦しみを受け止めながら最期を迎えた人がいる。
それもまた、その人にとって尊厳ある生き方であった。
澤田愛子

苦しみを避けることばかりを考えるのではなく、

それをどう受け止めるかが、生き方の深さにつながるのかもしれません。


すすき一本 倒れた方が前である
福井文明

倒れた方向が「前」であるならば、

どのような最期であっても、それは前へ進んだ結果なのかもしれません。


若くして亡くなった「かんだいさみ」さんは、次のように詩に残しました。

僕はまだ生きられる

僕はまだ生きられる
どんな悲しみの中にあっても
どんなにからだ虫喰われても
ぼくはまだ何かできる

(中略)

僕にはたった一つ虫喰われないところがある
他人ではない僕がある
そこには喜怒哀楽がある
そうして僕は言葉を生かす

「僕は生きているんだ」


誰もが苦しみや悲しみを避けたいと思います。

しかし、それらに出会ったとき、

人は少しずつ成長していくのかもしれません。

天理教では「節から芽が出る」と教えられています。

人の思いと神様のお働きは、時に大きく違って見えることがあります。


その象徴ともいえるおさしづを、ここに引用します。

もう十分の満足をして居る。
皆が心を合わせ、困難の中で心を定めたその精神を、神は受け取っている。
身上が良くなっても、ならなくても、案じることはない。
心を鎮め、勇んで通ってくれ。

このお言葉の数時間後、本席様は静かに出直されました。


私たちは、病気や苦しみの結果ばかりに目を向けがちです。

しかし神様は、その過程でどのように悩み、考え、心を定めたかを見ておられるのかもしれません。

どんな節においても、このことを忘れずに通らせていただきたいものです。


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