二代会長時代
二代会長 樋口宇三郎は、明治十三年四月一日、東吉野村鷲家 樋口宇吉の二男として生まれました。
鷲家尋常小学校高等科を卒業後、警察官として勤め、後に帰郷して米屋や金貸し業を営みました。
明治三十八年八月五日、当時鷲家尋常小学校へ教師として赴任していた木下ヨシと結婚しました。
ヨシは、同居生活の中でさまざまな事情に悩み、近くの鷲家分教会初代会長 萩原利七先生に相談するようになりました。
その中で次第に信仰へ導かれますが、当初は夫にも言えない隠れた信仰でした。
明治四十三年、ヨシは二十九歳でおさづけの理を拝戴しました。
その数日後、夫宇三郎が家の敷居につまずき、鼻がほとんど取れそうになるほどの大怪我をします。
ヨシは初めて夫に信仰を打ち明け、おさづけの理を取り次ぎました。
すると三日間で不思議な御守護をいただき、五日目には本部参拝ができるまでに回復しました。
この鮮やかな御守護を体験した宇三郎は、感激をもって入信を決意します。
萩原利七初代会長は、宇三郎夫婦に道一条への歩みを強く勧めました。
商売や幼い子どもたちのことを思い、なかなか決心がつきませんでしたが、水玉のふたが知らないうちに取られるなど、さまざまな不思議を見せられます。
ついに宇三郎は、家業を捨て、幼い子どもを連れて一家を挙げて道一条に進む決意をしました。
明治四十四年十二月十九日、宇三郎は三名之川宣教所二代会長として、小川の地へ赴任しました。
当時の三名之川は名前ばかりの宣教所であり、天理教を信仰することは村八分同様の扱いを受けることでもありました。
その中で宇三郎夫婦は、教祖のひながたと萩原初代会長の言葉を胸に、昼夜を分かたずおたすけにつとめました。
食べるものにも事欠く生活の中、教祖のひながたを通らせていただこうと夫婦で心を定めた時、不思議にも米をいただく出来事がありました。
ヨシは後年、そのことを「教祖は、心を決めたらすぐに受け取ってくださる」と、しみじみ語ったといいます。
昭和十一年二月に所長を辞任するまでの二十五年間で、三名之川の道は次第に開かれました。
部屋住みの教会から借家へ、さらに大きな土地建物の購入へと進み、教会としての内容も充実していきました。
二代会長 教歴
- 明治四十四年 二月十二日 おさづけの理拝戴
- 明治四十四年 十一月一日 教師補命
- 明治四十四年 十二月九日 二代所長拝命
- 昭和十一年 二月十日 辞任
- 昭和四十六年 一月二日 出直 享年九十歳