宗教・カルト・占い

 読書ノート1より

ある人に「入信」や「寄付」や「感謝」などを期待せず、それがその人にとっ

てほんとうに必要なら、ただいていただく、というような高い宗教性を備えた

宗教教団は、今のところ筆者はしらない       (心理療法序説  河合隼雄氏)1-  100

ワークの中で自分が合理的と思うものしか体験しないのであれば、そこか
ら得られる成果も初めから予想された「合理的」なものでしかありません。
あなたは自分の都合のよいようにワークを行い、自分の都合のよい部分だけの
成果をあげることでしょう。しかし。そこにトランスフォーメーションは起こりません。
(トランスインフォーメーション)1- 128 

占星術によって性格が分かるのではなく、占星術を信じることによってその

占星術のいうような性格に変わる137

人々が集団として個人として影響を受ける、その色々な影響の
受け方がかなり解明されてきた。これらの研究の実質的成果として、
行動修正のテクニック、集団への迎合、そして権威への服従ーこの三
つの驚くべき力が一貫して証明された。社会心理学が発見した一番
注目すべき現象の一つは、私達は集団的状況にできるだけ適切に
対応しようとしているとき、自分が無意識に受ける情報にも反応する
ことがある、という事実である。
 例えばあるクラスで教授が講義しながら教室の左側に歩いて

行くとほほ笑み、傾聴しているように振る舞い、右側へ動くと退屈で気のない

様子をした。何回か後にはどの講義も左側の壁にもたれてするようになり、し

かもそれを教授は自ら選んだと言い張った。         (マインドコントロールの恐怖)
1- 
141

円盤と洪水がやって来て世界の終わりがくると言っていたその日に何も起こ

らなかったのに、信者たちの多く、特に熱心な信者はかえってリーダーを信頼

するようになった。(認知不協和理論から説明できる)    (マインドコントロールの恐怖)
1-142

自己の信念を他人に売り込む努力ほど、その人の信念を固める物はない。

屈辱的な物売りは、殉教の一形態となり、自分のしていることを信じ込ませる

強力なテクニックである         (マインドコントロールの恐怖)1-143

 読書ノート2より

(日本人はなぜ無宗教なのか)阿満利麿から

☆創唱宗教を選びとるということは、「回心」を経験することである。
中略
要するに回心について重要なことは、それが劇的であるかどうかではなく、
その人がどのような問題を問い続けてきたか、ということであり、そしてそ
の問題をどのように解決したか、さらにその解決によって新たにどのような
人生をあゆみはじめることになったか、ということにある。
2-20

禅宗において老師というのは、覚った人ということだが、その老師は
この曽我の神秘的な経験について、菩薩が次々と登場するといった神秘
的な部分には意味がないから無視するようにといったあとで、大切なこと
は、衆生を我が事と自覚したことが重要なのだと述べた。
  2 -  21

☆、W/ジェームスによると、人間には2種類あるという。1
つは健全な心の持ち主であり、他は病める心の持ち主であ
る。健全な心の持ち主は、人生や人間について、不完全であ
るとか不条理だとは考えない。むしろ反対に世界は、はじめ
から調和のある美しいものだと考えている。したがって神に
ついても、厳しい審判者と考えることはなく、この美しい世界
に恵みを与える慈悲深い存在とみなす。中略 人生の幸福
は人間として生まれたという事実に既に備わっているのであ
り、苦悩の果てにもう一度「回心」して生まれ変わる必要を認
めない。それゆえに、「一度生まれの人」とも呼ばれるよばれ
るのである。

(宗教の真相)阿満利麿から

現在日本の、お墓のデパートなどの盛行などは、現在人がいかに魂の去来の問題

や、宇宙感、世界観について無力になったかを示す証拠ともいえよう。
魂を信じることが出来ず、生と死をつなぐ神話も喪ってしまった。そこでは
死者の骨に執着することによって、辛うじて死を受容できるようにおも
われているのであろうか。2-23

ものごとが納得できるということは因果が明らかにされるということである。
科学の時代になってから、因果は、全て科学的でなければ認めることができないこと
となった。2-24

先祖教は、家制度と村落共同体の中でこそ強固な基盤をもっていたが、核家

族化は先祖教を、ますます生者の心理的不安を解消するためのものとなり、そ

のために先祖供養を怠っているために不幸が生じるとか、墓相学などにとりつか
れやすくなる。2-24

物事には如意(意のままになる)と不如意(いのままにならず)がある。
如意なるものは力を注ぎ、不如意なるものは意見、動作、欣厭であり、不如意
なるものは、身体、財産、名誉、疾病、死亡、貧困などである。そして、エピクテタス
によれば、如意なるものには力を注ぎ、不如意なるものは甘んじて受けるしかない。
不如意と如意を取り違える所に苦悶が生じる。2-27

私共は神仏が存在するが故に神仏を信じるのではない。わたしどもが神仏を信じる

がゆえに、私共に対して神仏が存在するのである。(清沢満之)2-29

(トリックの心理学) 樺 旦純

強制的な労働には報酬の少ない方が、自分で納得する。          2-33

イエスばかりの問いかけを続けて行き、困難な話を最後にもっていくと断り

にくくなる。                              2-36

食事をしながらの話の方が説得しやすい                2- 37

信じやすい心  島田裕己から
占いの原理は単純である。気学や四柱推命などの複雑な占いであっても、基

本は個人の生まれた日がその運勢に影響することを前提としている。もちろん

何故生年月日と運勢との間に関係があるかは説明されていない。      2−48

人格が変容して行くプロセス。
1、まず参加者を日常から切り離し、隔離された状態に置く。
2、精神的に空白の状態に追い込んでいく。
3、そこに教義やイデオロギーを徹底的に注入する。
4思い切って壁を乗り越える経験をさせる   2−49

 読書ノート3      

(迷路の達人)猪瀬直樹から

最近の宗教ブームについても同じこと。本来はみんな、宗教スレスレ
のところで生きてるんだよ。その中にポンと飛び越えてしまう人間がい
るのだよね。スレスレで生きているというのは、日本にはキリスト教やい
すらむ教といった、ビシッとした宗教がないから。人間にはこうしたものが
必要なのだよ。なぜなら安心して死ねるから。
だけど我々、日本人は持ってないから、不安でしかたないんだよ。そうす
ると目の前に現れたものであれば、たとえまがい物であっても「これでい
いか」とおもてしまう。誰だって、不条理で理不尽なことが身に降りかか
れば考えちゃうよ。自分ではどうにもならないことが起きれば、自分を越
えた力があると思ってしまう。思わなきゃやってられない場合もあるでしょう。
3−25

宝島7 宮台信司から

◎神秘体験というのは一定のテクニックを習得した人間にとっては、どちらが
世界の秘密をよく知っているかを納得させるシンボルーシステム理論で言うコ
ミニュケーション・メディアーなのだ。中略
 私たちの時代においては「良きことをしたい」という良心への志向が強ければ
強いほど「何が良いことなのか分からない」という不透明感が切迫し、透明な心
理への希求が高まる。その結果、例えば彼らが救済という「良きこと」に強く動
機づけられていればいるほど、児戯のようなフックにひっかかって、ありそうも
無い世界観を受容する。
3− 40

◎ひとり想像力のみが、我々をして他人の苦しみをかんじさせる  (ルソー)  
 3−43

(現在宗教家に救世主はいるか)滝田京介から

 内部に崇拝対象を持たない講は、信仰を指導し、励まし、ときに、いやS会の場合はしばしば信仰の薄い信者をはなはだ激烈な調子で非難するけれど、幸運がさづかるかどうかという結果に対して責任を負う必要がないわけだ
「業が深くて、信仰の力が足りなかった」
というレトリックで、全てが解決してまうという、教団幹部にとってははなはだ便利な信仰の形態である。 67