受け入れる心の静けさと、
変えられるものを変える勇気と、
その両者を見分けられる英知を与え給え。
これはラインホールド・ニーバーの祈りである。変えられない「自分の存在」そのものを静かに受け入れながら、その自分を「あるべき姿」に変えてゆく勇気を祈りつづけてゆきたいと思う。
■東北地方を旅をしていた時のことでした。その日はあいにく雨がひどく降っていて、周囲の景色は何も見えません。バスガイドさんはさも残念気に、「晴れていればこのあたりには美しい湖がごらんいただけるのですが、本日はおあいにくさまです」と謝るのでした。観光客の誰しもが残念がりながら、そうかといって、「いいや、見えてない湖があるはずがない」と講義した人は一人もいませんでした。(中略)
私達の人生の中にも、晴れた日にはくっきりと見えるものが、雨の日に見えないことがあります。天候のいかんにかかわらず「湖の存在と美しさ」を信じてバスの旅を続けること、それが取りも直さず「信じて生きる」ということではないでしょうか。
■愛の反対を私たちは憎しみであると思いがちであるが、愛の真反対にあるのは、実は愛の欠如―無関心なのだ。(中略)
憎しみも決して良いことではないが、そこにはまだ救いがある。憎い相手が「気になる」からだ。ところが無関心の恐ろしさは、他人の存在を無視してかかるところにある。自分だけの世界に閉じこもりがちな現在人が味わう淋しさを救うものは、かくて「お互いがお多義を必要としている」事に気づく思いやり、優しさなのであろう。
■私が先生になったとき
自分が真実から目をそむけて
子どもたちに 本当のことが語れるのか
私が先生になったとき
自分が未来から目をそむけて
子どもたちに 明日のことが語れるのか
私が先生になったとき
自分が理想を持たないで
子どもたちに いったいどんな夢が語れるのか
私が先生になったとき
自分に誇りを持たないで
子どもたちに 胸を晴れと言えるのか
私が先生になったとき
自分がスクラムの外にいて
子どもたちに 仲良くしろと言えるのか
私が先生になったとき
ひとり手を汚さず自分の腕を組んで
子どもたちに ガンバレ、ガンバレと言えるのか
私が先生になったとき
自分の戦いから目をそむけて
子どもたちに 勇気を出せと言えるのか
■人生にはただ一つの義務しかない。
それは愛することを学ぶことだ。
人生にはただ一つの幸せしかない。
それは、愛することを知ることだ。
テイヤール・シャルダン
■1994年9月にエジプトのカイロで開催された国際人口・開発会議の席上、一部の女性達は声高に‘’生む自由・産まない自由‘’を唱えていた。そこに送られてきたマザー・テレサのメッセージには、次のように書かれていた。
「母親が、我が子を殺す世の中から、殺人はなくならないでしょう。」
私たちは今、人名軽視の風潮を嘆き、これに対しての生徒指導、管理強化を行おうとしている。しかし、私たちが改心して、命が「賜物」であるという認識と、したがって、すべての命は、その有用、無用にかかわらず尊ばれねばならないという確固たる信念を持つことなしには、人命尊重という成果は期待できない。
■ポール・テイリッヒという人が、『存在の勇気』という本の中に、「勇気とは、人が自分の本質的自己肯定に矛盾する実存の諸要素にもかかわらず、自分の存在を肯定する倫理的行為である」と述べている。
つまり「こういう自分ならば、自分として認めてやる」と思っていた、自分にとってはずいぶん大切な条件の一つ一つが失われたり、剥奪されて言っても、そこに残る‘’無残な‘’自分を、自分として認めるかどうかということが、存在への勇気として問われている。
そんな勇気をもって生きたい。「今の自分」を認めるだけでなく、いとおしみ、愛してゆくことこそは、自分の人生のどの時点においても、感謝を忘れないで生きるということなおだろうから。
■‘’むなしさ‘’を味わうことなく、一生を過ごすことができるとしたら、それは幸せなことです。しかし私たちは、むなしさを通してのみ、むなしくないものの存在に気づくことが多いのではないでしょうか。
■自分でさえ、汚い、醜いと嫌い、隠していた傷口を「見せてごらん」と自分の手にとり、くすりをぬり、うみを取り、ほうたいを巻いてくれる人を自分の身近に持つ人は幸せである。こうしてはじめて、私たちは、自分のみにくさをみつめる勇気を得ることができる。愛してくれる人とはそういう人である。ほれぼれとする姿だけでなく、どんな姿においても、そのみじめさ、みにくさをも、ともに見つめてくれる人である。
その時はじめて私たちは、自分がそれほどダメでないこと、卑下しないでよいことに気づくのである。愛されて、私たちは、愛すべき人に変身してゆく。そして、やがて愛されるものへと成長してゆくのだ。それは見せかけの成長で葉なく、ありのままの自分を見つめ、そこから出発する着実な成長である。
■美しい死で思い出すのは、マザーテレサのことである。1984年来日の際のことであった。聴衆に話し終えられたマザーに一つの質問が投げかけられた。その男性は、自分はマザーとその仕事に深い尊敬を抱いていると前置きした後、「一つ腑に落ちないことがある」というのだった。「あなたのところでは、医薬品も人手も不足がちだと言うのに、なぜその貴重なものを、生き返る見込みのある人にではなく、与えたところで、死ぬにきまっている瀕死の人に与えるのですか」。
言外には「無駄ではないか」という素朴な疑問があったと思う。マザーの答えははっきりしていた。
「私達の『死を待つ人の家』につれて来られる人々は、路上で死にかけているホームレスの人々です。彼らは私達の家で、生まれてから一度も与えられたことのない薬を飲ませてもらい、受けたことのない優しく、温かい手当てを受けた後、数時間後、人によっては数日後死んでゆきます。その時に彼らは例外なく『ありがとう』と言って死ぬのですよ」
マザーが言いたかったのは、望まれないで生まれ、人々から邪魔者扱いされ、生きていてもいなくても同じと言う思いで数10年生きてきた人々、自分を産んだ親を憎み、冷たい世間を恨み、救いの手を差し伸べてくれなかった神仏さえものろって死んでもいいような人々が、「ありがとう」と、いまわの際に感謝して死んでゆく。そのために使われる薬も人手も、これ以上尊い使われ方はないのではないか、と言うことだった。
話し終えたマザーは、感にたえたように、‘’It is so
beautiful‘’と呟き、その後で静かに、「人間生きることも大切ですが、死ぬこと、それもよく死ぬことはとても大切なことです」と言われたのであった。