◎ 過ぎ去ったものには―ありがとう
きたろうとするものには―よし!
For
all that has been,Thanks.
To all
that we shall be,Yes
ダグ ハマーショルド 日記「道しるべ」より
◎人々が何故と尋ねたのに対しキリストは・・・のためにと答えていることにきずかないといけない。神のなさることに‘’なぜ‘’と尋ねるのではなく、何のためにと問うことがたいせつなのでう。p48
◎死ということを考えると今度は、生命、誕生ということも考えなければならなくなるかもしれません。確かに、今までも人工的に誕生というものには操作が行われてきました。昔は間引きと呼ばれたようです。今は中絶、堕胎と呼ばれることが、中絶天国といわれている日本で、年間何百万と行われています。
経口避妊薬、その他の避妊器具の発達は計画出産を可能にし、親達は、家を建てるか、車を買うか、それとも子供を産むかといった、物と同列に置いて、ソロバンを片手の計算の上で子供を産むようにさえなってきています。ちょうど天寿、寿命、お迎えという言葉が消えうせていくのと同じように、授かりもの、たまもの、子宝という言葉はもちろんのこと概念すらも失われてしまおうとしています。
◎物質的繁栄と技術の革新は、私たちの生活に次々に新しいもの、便利なものを提供している。お金さえ出せばたいていのものを手に入れることの出来る世の中で、物質的な贅沢になれた私たちは、人間関係においてもわがままになってしまった。相手をありのままの姿で受け入れようとせず、各種の条件を相手につけるようになった。
◎自分でさえ、汚い、醜いときらい、突き放していた傷口を「見せてごらん」と手にとり、うみをとり、薬を塗り、包帯を巻いてくれる人を自分の身近に持つ人は幸せである。こうして私たちは、自分の醜さを見つめる勇気をえることができる。
愛してくれる人とはそういう人である。ほれぼれとする姿だけでなく、どんな姿においても、そのみじめさ、醜さをも、ともに見つけてくれる人である。その時はじめて私たちは、自分がそれほどダメでないこと、卑下しないでよいことに気づくのである。愛されて、私たちは、愛すべき人に返信してゆく。そして、愛されるに値する者へと成長してゆくのだ。それは見せかけの成長ではなく、ありのままの自分を暖かく見つめ、そこから出発する着実な成長である。
◎この世に雑用はありません。それはあなたが用を雑にした時に生まれるのです。