サルの正義  呉 智英

◎はっきりと認めればいいのである。性に関わるものはイヤラしく、恥ずかしいのだ、と。そして、イヤラシく恥ずかしいからこそ、性に関するものは魅力的なのだ、と。人間はかくも不条理な存在なのだ。

 

◎人間は光と闇を同居させる複雑な存在である。闇の同居を認めない思考はなるほど明るい。しかしこの明るさは「啓蒙の暴力」を生む。啓蒙illuminationは、その原語の通り闇の存在を許さない。闇の絶滅を目指す。そして、啓蒙の暴力の結果、闇の不気味さとは違うのっぺりした明るい不気味さが現れる。北朝鮮の宣伝映画を見るときに感じる、あの不気味さがそれだ。まちがえてはいけない。逆ではないのだ。新興宗教の信徒たちの顔に浮かび、北朝鮮の善男善女たちの顔に浮かぶ、あの不気味な明るい笑顔は、啓蒙の欠如によるものではない。啓蒙の光に照らしだされた闇の欠如によるものだ。