養老孟司氏 斎藤磐根氏

「脳と墓」

        消化管も呼吸器もどちらも体内であるようだが、実は体外であるともいえる。少し考えてみれば、口から皮膚がどんどん陥入していき、曲がりくねった長い胃、腸を通り抜けるとそこは肛門である、ということが分かるだろう。肺も然り、袋小路なだけである。

        つまり入れ歯にでもするのでなければ、金はそれ自体に価値があると思うのは幻想である。
価値があるのは本来、衣食住、特に食物のように生命維持に必要なものだけであろう。ではなぜ、それ自体に価値がないのに、人々は目の色を変えるのだろうか。それは交換されることによって価値を生じるからである。価値があるから交換されるのではない。交換体系が出来上がってしまえば、交換のために必要となるから価値を生じることになる。したがってこのようにあるものが価値を生じるためには、当然ながら社会が形成されていることが前提となる。

        死者も交換される。どこの誰と交換されるのだろうか。それは彼岸の彼方とか、あの世とか、呼び名はいろいろあるが、この世から見た「あちら側」のまだ見ぬ世界の、そしてまだ見ぬ「存在」と交換することになる。