先日教会へ、住所も宛て名もない葉書が届いた。
白紙の表に、八月十一日の消印だけが押してある。裏を見たら、毎日送ってくれる日参の手紙だ。
「親神様 本日参拝させていただきます。教祖 本日参拝させていただきます。霊様 本日参拝させていただきます。」と書かれている。
毎日、教会に届くので郵便局の人が、気をきかして配達してくれたのだと思う。田舎ならではと、言ってしまえばそれまでだが、私にはとても不思議であった。
毎日教会へ日参の葉書を送ってくる方が、二人いる。遠方で教会への日参が出来にくいので、葉書ででも送ってくれたら、わたしが神様にお届けする、という話で、葉書が届いてから、もう何年かになる。おいてある葉書を、先日計ってみたら、もう六十センチを、越す。
日々の理というのは、たいしたものだ。一枚ならば一ミリにも、満たない葉書も、毎日積み上げると大したものになる。
『日々という、常という。日々常に誠一つが天の理。天の理ならば、すぐと受け取り、すぐと返すが一つの理』というお言葉がある。逆に言えば、それだけ日々常にと言うことが難しい。一年に一度なら大きいことも出来る。しかし、小さい事でも毎日となると、なかなか大変だ。だからこそ、神様は大きく受け取ってくれる。
その手紙が届く前日、「尽くした真実が、全部神様に届いているのだろうか」と、会長らしくもない話をしていた。私のことではない。熱心な信者さんの事である。会長の私からみて、精一杯させていただいているように思うのだけど、目に見えた御守護は、なかなかいただけない。
そんな話の翌日に着いた宛て名のない手紙。神様は、尽くした理は必ず受け取っていると、しっかりめのいかない会長に、咬んでふくめるように教えていただいたように思う。
以前の巻頭言に書いたと思うが、鷲家分教会で、燃やしたはずの、空ののし袋から、焼け残った千円札が、出て来たことがある。そんな話の種を、三名之川にもお与えいただきたいと思っていた。
私は、手紙を教会に送ってくれた郵便局の人の事を想像して、自然に微笑が沸きあがってくる。恐らく毎日送られてくる、葉書を変に思われていたことだろう。変と思っても、印象に残っていたからこそ、教会に届けてくれたのだと思う。
『ひとにわらわれ そしられて、めずらしたすけをするほどに』というお言葉が、実感として、私の胸に迫ってきた有り難い一日であった。
157年9月
「話の種」
四月の神殿講話でも触れさせていただいたが、神殿普請の打ち出し以来、熱心におつとめ下さる方に、いろいろと厳しい節をお見せ戴いている。その節のすべてが、みな、後々の「話の種」にさせていただける節ばかりだというところに、神殿普請というもののありがたさと、ある意味での怖さも感じている。
ところでその『話の種』である。私たちはよく『話の種』という言葉を、末代にご守護いただくための物種というぐらいの意味でも使ったりもしているが、に原典の中には、『話の種』という言葉は『みかぐらうた』の十下り目の五ツに出てくる。
五ツ いついつまでもこのことハ はなしのたねになるほどに
というお歌である。いついつまでも、つまり永遠にこのことは話の種になると仰せられているのである。そのこのこととは、その前のお歌につながっているのである。
一ツ ひとのこころというものハ ちよとにわからんものなるぞ
二ツ ふしぎなたすけをしてゐれど あらはれでるのがいまはじめ
三ツ みづのなかなるこのどろう はやくいだしてもらひたい
四ツ よくにきりないどろみづや こころすみきれごくらくや
大意は、人の心というものは本来、陽気ぐらしをするために清水のように澄んでいたものだが、心の自由を許されているために、ほこりの心で濁ってしまって、神様の思し召しを容易にはわからないものである。(一ツ)
(立教以前より)不思議なたすけをしているけれど、親神様が教祖をやしろとして直々にこの世に現れたのは、今が初めである。(二ツ)
(人間が陽気ぐらしをするためには)まず、清水の中の泥のように、きれいな人間の心に交じったほこりの心を早く取り出してもらいたい。(三ツ)
欲の心をいくらつかっても、泥水の中をかきまぜるようなものであるが、ほこりをはらい、心を澄み切りさえすれば、陽気ぐらしを味わえるのである。(四ツ)
つまり、自分の心さえ澄み切ることができたならば、その時点で陽気ぐらしができるのだとお教えいただいているのだ。
そしてそれこそが、いついつまでもの話の種だ、とお教えいただく。
先日教外の人の本であるが、なるほどと思った文章に出会った。「楽しい場所がどこかにあるのではなく、その場所を楽しんでいる自分があるだけである」という文章だ。
酒好きの人には、酒場が楽しみの場所であろう、しかし私のような下戸には楽しくもなんともない。酒場が楽しいのではなく、確かに楽しんでいる自分があるだけである。
陽気ぐらしもどこか遠い所にあるわけではない。
心を澄み切った所に感じられる今の生活の有り難さが、陽気ぐらしへの第一歩なのだ。
『目に見える姿が変わらなくても、心に写る世界が変わる』と、教典第八章「道すがら」で、お教えいただくのである。
火にも焼けず
先月十二日深夜、w分教会のしば小屋が全焼しました。幸い、本当に幸いに発見者や消防団の皆さんの機敏な処理のお陰で、類焼は免れ、まさに大難は小難の不思議な御守護をいただきました。近隣の皆様をはじめ、大勢の人にご心配やご迷惑をおかけしたことを改めてお詫びします。
出火の原因については諸説出たが、いずれにせよ神様からお見せいただいた節に違いない。そして節が一番急所に来るのであり、
『たんだんと このみちすじの よふたいハ
みなハがことと をもてしやんせ』11−104
〔だんだんとこの道すじの要諦は みな我が事と思て思案せ〕とお聞かせいただくように、それに関係する全てのものが、その節を自らの節として考えることが私たちの信仰の大事な点であるということを考えれば、この節は鷲家分教会につながるすべてのものに対する節であり、とりわけ部内会長でもあり、現会長の弟である私が考えなければならないことも多いと思う。
鎮火して自教会へ帰って神殿に額づいたとき、二つのことが浮かんできた。
火事がしば小屋であったということ。しば小屋が何の小屋か都会の人や若い人にはわからないかもしれないが、風呂やかまどを炊くための焚き木を入れておく小屋である。鷲家の教会でも今は主に風呂を炊くために使っていたものである。
私は会長になって最初のあいさつのとき、コーヒーもお茶も出しますから信者さんみんなが来やすい教会にさせていただきたいと話をさせてもらった。初心は忘れてはいないつもりだが、たまに在宅していても、応対は私に用事がない限り妻に(相手も私より妻の方がいいようでもあるが)、大体任せている。神様はその怠け心を叱っておられるのではないかと思った。風呂は旅人にとって何よりのご馳走だ。成人の道という旅を歩いている私達にとって、教会はその旅に疲れた体と心を休める場所でなければならない。「さあさあ熱い風呂にでも入って・・・」という心がお前には欠けているのだと教えていただいたのだと思った。
そしてもう一つ、会長になって十年余り、三名之川も先代である兄が残した「しば」は、全て焚いてしまった。今積んである「しば」は私の代になって積んだものである。お前が会長になってから積んだように思っている徳は、あのように一夜の間にも灰になってしまうようなものだとお教えいただいたのだとも思う。
厳しい話で、私としては余り信じたくはないが、どうもそんな気持ちが頭から離れない。離れないからにはその悟りもそんなに遠く離れているわけではないと思う。
二十年ほど前wの裏山が崩れ大量の水と土砂が真下にある神殿と教祖殿に向けて流れ落ちた。後に測量にきた県の土木技師の言葉を借りれば「考えられない不思議」なご守護をいただきどの建物も壁一つ崩れなかった。
そして今回しば小屋がすさまじい火の中で崩れ落ちたが、隣に立つ炊事場のトユを溶かしただけで事なきを得た。
神殿は大正時代何度も挫折しそうになりながら信者さんの真実で建てられた。教祖殿は鷲家の初代が思いに思って建てられなかったというその思いを、後の人々の手でかなえさせていただいたもの。そして炊事場は土間と板間だけの隙間だらけの炊事場を長年の宿願で先代の会長のとき、建てさせていただいたものである。
真実のお供えは、水にも流れず火にも焼けぬとお聞かせいただく。しかし自分達の都合を立て人間思案で通っていれば、良かれと思ってしてやったことでも、
『こしらゑを やるのハしばし まちてくれ
とろみづなかい はめるごとくや』16−73
との言葉どおり、泥水の中へはめるだけの結果しか生まないともお聞かせいただく。
今年最初のおつとめ元旦祭で申し訳ないことに、おつとめの調子がかなり乱れた。それについての神様の思いを必死で探させていただいていたとき、ある人が地方の声が聞こえにくかったのが原因と話された。地方が小さかったか、耳が遠かったのかはどちらでもよいが、私は神様から、三名之川は地方の声、つまりは神様の声を聞いていないと言われたようで、その言葉に衝撃を受けた。地方の声が一人にだけ聞こえにくいだけでも、合奏であるおつとめはあのように乱れてしまう。
神様の声を聞かせていただくのは節のときである。たとえば先日の火事のような節のときの、神様の声を聞き逃すなと、正月早々お聞かせいただいたようである。神様の声はおつとめのときのようにマイクを通して聞こえるものではない。私達一人一人が心を静め耳をこらして、この節に込められた神様の思いを自分の反省として探す努力が、しば小屋だけで防いでいただいたこの大きなご守護に応えることになるのだと思う。165年3月