今を楽しむ
先日ある学生と話をする機会を得た。その学生が何げなくいった言葉が、なぜか今も心に残っている。話の中で学生は、ふとこう言った。「いつも先のことばかりを追いかけているように思います。」学生は続けてこう言った。
「小学生のときは、しっかり勉強しなくちゃ中学に入ったら苦労しますよ。中学生になったら、よい高校に入るため、高校に入ったらよい大学に入るため、やっと大学に入ったら、今度はすぐに就職のことを考えなくてはならなくなった」 考えてみたら、学生の不満はもっともである。しかしまだまだ続きがある。同席していた年配の方がこう続けた。「私などはその続きをしているだけなのかもしれませんね。卒業して、就職して、結婚して、今度は子供ができたら、子供のほうへ今までの仕返しとばかりに、「今遊んでばかりいて、勉強しないでいたら先になって苦労するで」という事ばかり言っているような気もします。」
苦労とはどんな苦労なのか、あまり意識せずに言っていた言葉を彼らと一緒に考えてみた。勉強しないでいたらという仮定がつくところをみたら、よい高校、よい大学に入れないという苦労を指すみたいである。よい大学に入れないとどういう苦労をするかというと、よい会社に入れないということのようだ。よい会社に入れないということは、どういう苦労なのだろうか。大体よい会社とはどういう基準をもっていうのだろうか。どうも善悪の善い悪いではなく、大小の事だと思う。だからよい会社とは大会社のことになる。大会社のどこがよいのかといえば、一般的に見て、給料が多い、安定している、社会的地位が高いと言うようなところだろうか。
しかし、それが悪いことではないけれど、幸せに直結すると考えるほど、お互いに単純ではないようでもある。ではなぜこう言ってしまうのだろうか。私たちは、学力の程度が人生の幸せにつながるとは思っていないようだし、大会社に入ることも、そく幸せにつながる等とは考えてはいないけれども、給料の多さや、社会的地位の高さは、どうも幸せの必要条件と考えているようではある。給料の多寡も、社会的地位の高さも、考えてみれば、目に見える事ばかりである。しかし目に見えることではあるが、確かなことではない。何と言ったって、明日死ぬかもしれないものが、もっと先のことで悩んでいるのである。
この話のなかで一番不思議なことは、今が抜けていることだと思う。今の自分の幸せを抜きにして、目に見えない先のことをあれこれ考えていることである。
陽気ぐらしとは、今を楽しむことではないかと思う。今を楽しめなくして、どうして未来を楽しめるか、今を享楽的にではなく、あるがままに楽しむことの延長として未来があるのだと思う。今をあるがままに楽しむということは、今の境遇がたとえ恵まれなくても、神様から見れば、もっと大難であるところを、小難にしてくれているのだと、喜ぶことであり、それが『たんのう』とおきかせいただくのだ。
今が未来のための助走の場でしかないのであるならば、いつまでたっても喜びはない。今の大きな御守護を喜ぶことをもう一度しっかり再認識することが、わたしたちの信仰において大切なことだと思う。
日常のさりげない会話ではあったけれども、自分の信仰を振り返って考えさせられた一時であった。
155年2月
なにをしてもらったら一番うれしい?
もうだいぶ前になるが、子供に「お父さん、今、何をしてもらったら、一番うれしい?」と聞かれて返答に困った事がある。「お父さんはお前たちが元気であれば、それ以上の喜びはないよ」などと、鳥肌をたてながらウヤムヤに答えて事無きを得たが、何をしてもらったら一番うれしい、という問いは、今も心に残っている。
現在の生活で、もちろん欲しいものもあるけれど、どれもこれも一番うれしいという程のものではない。教会の現状についても、寄り集う人が、ますます増えて欲しいとは思うけれど、自分が努力しない棚ぼたのご守護は長続きしないことも痛いほど分かっているので、結局は自分が心を込めて信者さん方に接していくしかないことだし、新しい神殿も結構にご守護いただきたいと思っているけれど、これも、普請によってそれぞれが成人させていただくことが大きな目的で、宝くじに当たって建てるようなものではないのだから、ただ単に神殿が出来たからうれしいと言う訳にもいかない。そう考えるとなかなか思いつかない。逆に家族の意見を聞いてみたら、それぞれの年齢と性格が出て、とてもおもしろかった。
年齢順で、小さいほうは、即物的で現実的であるが、大きくなるにつれて、少し抽象的で難しい要求になってくる。大きくなるに従って、ただ単に物をもらうよりも、相手の心を欲しくなってくる。例えば一番小さい子供が、ファミコンのゲームソフトを欲しがるなら、上の子供達は、「もっとおとうさんと一緒に遊びたい」とか「やさしくして欲しい」とか、物よりも相手の心が問題になってくるようだ。
教祖生誕二百年である来年は、成人の旬とお聞かせいただく。
ただ単に、物をもらってうれしいという幼児の喜びから、目に見えない相手の心を欲するようになるのが、一つの成人だとしたら、次の成人とは一体なんであろう。
それは、親の心に近づくという事だと思う。
ちょうど子供が喜ぶのが、親の喜びであるように「何をしてもらったら一番うれしい」から、「何をさせてもらったら一番うれしい」に変わることが親の心に近づく事だと思う。そう考えてみると、自分にとって今一番うれしい事を考えてみるだけで、それぞれの成人の度合いが計れることにもなるのではないだろうか。
そう書いていて、やっと今自分が何をしてもらったらうれしいか、答えが出て来た。
「何をさせてもらったら、一番神様にお喜び頂けますか」という信者さんが、一人でも多く出来させて頂くことが、私の一番の喜びである。
結局私が、一番欲深いことになるようだ。
160年12月
心のアルバム
子供たちが大教会の少年会子弟練成会の記念品にアルバムをもらって帰った。毎年記念品はアルバムと決まっているようで、練成会は五年生から毎年行かせて頂いているので、長男は五冊のアルバムをもらったことになる。それでも意外と重宝していて、その年には使い切ってしまうようだ。
アルバムの冊数は、長女、長男、次男の順で 少なくなってくる。年齢の差ももちろんあるが、例えば乳児期の写真の数などは、長女が断然多い。それは私の飽き性の性格に依るものであって、愛情の差でないことはここに明言しておきたい。
親が撮る写真は小学生ぐらいまでで、中・高校生になると友達同士の写真が増えてくる。長女のアルバムには、友達同士で撮った写真が増えてきた。
自分自身の写真はというと、最近記念祭などの時の集合写真以外、写真を撮ることとはめったにない。昔から写真を撮る事も、撮られることにも興味がないので、あまり学生時代の写真も残っているわけではない。
特に最近、真実を写す写真の怖さを実感してからは、なおさら撮らなくなった。四・五年前のことだが、ある信者さん宅の年祭に行かせて頂き、一緒に写真を撮っていただいたのだが、その写真が何ヶ月かの後出てきて、妻に「これは誰、あれは誰」と説明をしていたら、わからない人が一人いて、「この人は誰やろ」というと、妻にあなただと言われ、「俺ってこんなおっさんか」と本当にショックを受けたことがある。考えてみれば私はほとんど鏡も見ないので、自分で想像している自分の顔と年齢を経た自分の実際の顔にだいぶギャップがあったようだ。人は自分を美化するのだと改めて実感した。
旅行にでも、行く機会があれば少しくらい私のアルバムも増えると思うのだが、そんな機会もないので、私のアルバムは新婚旅行ぐらいからほとんど増えない。これは別に私に限ったことではなく、一般的に段々年をとるにしたがって、写真を撮る機会は減少し、アルバムの増え方は少なくなってくるのではないだろうかと思う。だから私の今までのアルバムは全部で三・四冊に過ぎない。おそらくこれからの一生で、もう一冊増えることも難しいのではないかと思う。年を重ねるごとに時間が早く感じるのは、幼児期や青春時代のように新しい経験を次々とするのではなく、何もかも経験して、心に新たな感動が生まれにくくなり、日常の繰り返しが、時間を早く感じさせるようになるのだというが、ちょうどそれと比例してアルバムも増えなくなるのかもしれない。
さびしい話になった。アルバムの冊数が、感動と比例すれば、私は長女より感動の少ない人間になりかねないので、親の沽券にかけてそうではないことを書かねばならない。
私には心のアルバムがある。年を経るごとに確かに写真を撮ることは減ってきたが、その分、心に写真を撮ることが多くなった。写真に撮れない感動を心の写真に写している。
人は死ぬ時、フラッシュバックのように自分の人生を振り返るのだと聞いたことがある。ちょうどアルバムをめくるように、心のアルバムをめくるのだと思う。
それまでにも人は、心のアルバムをめくる時がある。そのアルバムに写った写真が多いほうが人生は幸せなのだと思う。心のアルバムの写真は、遠い観光地の息を飲むような美しい景色である必要はない。大勢の人々に囲まれた晴れがましい写真である必要もない。小さなほんの小さな草花の芽吹きや、ふと見上げた空の青さ、そして家族の何気ない会話、それを美しいと感じ、楽しいと感じた時、心のシャッターが自然に切れて、一枚の写真が出来るのだ。そんな一枚一枚が積み重なって心のアルバムが出来て、あなたがふと自分を振り返った時、そっと開かれるのだろう。
私には心のアルバムがある。と親の沽券にかけて断言したが、娘よ、息子達よ、うれしいことにその写真の多くに君達が写っていると言えば、喜んでくれるだろうか。残念ながらピンぼけが多いけれど……。 164年5月