年頭ごあいさつ 170 

物質の豊かさから精神の豊かさへ

あるいは「ゴミ」から「待つ」へ

 

新年あけましておめでとうございます。

昨年は、教会の上にいろいろとお力添えをいただき誠にありがとうございました。特に昨年は教祖百二十年祭の年として、神様の御用を精一杯つとめさせていただきたいと念じて参りましたが、おかげさまでいろいろと結構にお力添えを頂き、教会としても届かないながら精一杯つとめさせていただき誠に嬉しく思っています。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年は本部で後継者講習会を始め、人材育成のための様々な行事が予定されています。その本部の理に添って、当教会でも今年は人材育成の年として、若い人々への訪問をはじめ少しでも道の後継者にこの道の素晴らしさを分かっていただけるようつとめたいと思っています。

今年の巻頭言は、物質の豊かさから精神の豊かさへ、あるいは「ごみ」から「待つ」へという不思議な表題にしました。物質の豊かさの象徴として「ごみ」、そして精神の豊かさの象徴として「待つ」ということをキーワードに今の私たちの問題を考えてみたいと思います。

 

 

一、物質の豊かさから

 

一、豊かで快適暮らしのはずなのに

今私たちは、特に日本を初めとする先進諸国では、人類史上かってない豊かで快適な暮らしを享受しています。

六年前、立教百六十四年の年頭挨拶で、

戦前、私たちは「豊かになりたい」という共通の目的を共有していました。いやもっと大昔から、言うなれば人類はその誕生以来、「豊かになりたい」という共通の夢を追い続けてきたのです。毎日なんでもよいから食べ物にありつきたいという原始時代から、所得倍増の池田内閣まで、その豊かさの基準は様々に変化しましたが、「豊かになりたい」という夢は不変でした。一世を風靡した共産主義も、そして資本主義も、「豊かになりたい」という目的は同じで、その手段に差があっただけなのです。

 しかし私たちは今、豊かさの飽和状態の中で生きています。

 茅葺きの掘っ建て小屋で、明日の食料ばかり考えていた古代の人々からの連綿として続いて来た夢が、私たちの時代にほぼ達成されたのです。

 「豊かになりたい」という共通の目的が、程度の差があれ達成された後、私たちは新しい目的を見いだせぬまま、新しい世紀を迎えようとしています。」と書きました。

確かに私達は、人類史上かってみなかった豊かで快適な暮らしをしています。

しかしながら念願だった豊かで快適な暮らしをしているはずなのに、心は満たされることなくどこか空虚で投げやりなのです。それどころか、豊かになったという現実感さえない人も多いように思います。人々は有り余る情報の中で、誰かと比較しなければ自分の位置が見出せなくなる、比較という落とし穴にはまっているのです。

豊かになったという現実感のない人は、ちょっと考えて見てください。子供の頃、火鉢で暖をとり白黒テレビを近所に見せてもらいに行き、洗濯機も冷蔵庫もまだ出始めで、自家用車のある家はまだ数えるほどだった時に、今のあなたの生活があるなら、あなたはなんと豊かなのでしょうか。

しかし、現実のあなたは不満です。世の中にはもっと豊かな人がいる。ブランド品や別荘や豪華な食事や、大きな家と・・・・と、言い出せばきりがありません。物質的な豊かさを追い求める限り、世界一の大金持ちにならない限りそこに満足感はないのかもしれません。しかし世界一は一人だけです。そして世界一になったとしても、自分の位置を他との比較の中でしか確認できなければ、あなたはやっぱり不満でしょう。

心の飢餓を物で埋めることはできません。

そうは言っても企業は消費がなければ潰れてしまいます。あの手この手で人々の購買意欲を刺激し、物を買わそうとします。

 

二、そしてごみがあふれ出した

そしてゴミがあふれ出したのです。私が住むこんな田舎にもゴミ収集車がやってきます。私が子供の頃には考えられないことです。しかし今は、一週間に二回では少ないぐらいです。

昔はどうしていたのでしょうか。生ゴミは裏の畑に埋め、新聞紙やダンボールは風呂の焚きつけにしていたように思います。そういえば新聞紙はトイレの紙でもありました。そして今と比べるともっともっとゴミは少なかったと思います。

 昔はなかったゴミも出てくるようになりました。私の村では大型ごみと呼ぶ電化製品を始めとする耐久消費財です。そのごみは不要(不用)ごみと言われることもあります。

本当は、不要なだけであってごみではないのですが、不要ごみ・大型ごみとして出されるのです。不要ごみという言葉で象徴されるように、自分達の生活にとって不要になったというだけでそのほとんどが本当はごみではありません。その証拠に時々、ある家でのごみは他の家の立派な家具や電気製品となることがあります。私の家ではよくあることです。

 それではお前は不要ごみは出さないかというとそんなことはありません。特に日進月歩のコンピューターや電化製品は、一部が壊れれば下手に修理するより買うほうが安い場合も多々あります。それはそれで仕方がないことなのかもしれません。

しかし、そのことが私たちの生き方に大きく作用していることがないかと私は懸念するのです。それは不要という考え方についてです。

その人の人生観が生活に反映されるように、生活の仕方もその人の人生観を形作ります。先ほども書きましたが、不要ごみはその人にとってはゴミであっても、別の人にとってはゴミではないのです。それが電化製品だけですめばよいのですが、人に対してもそんなふうになってはいないのでしょうか。お年寄りや子供や夫や妻が、自分にとって不要になったとき、ゴミのように捨てられてはいないでしょうか。最近、不要になって捨てられ殺された親や子や妻や夫のニュースをよく聞くようになった気がするのです。

何が自分にとって必要か、そして何がいらないか、一度じっくり自分の周りを見渡してみることが大事ではないでしょうか。案外自分が不要と思っていたものが必要であったり、必要と思っていたものが不要だったりすることはよくあることです。生きるということで本当に必要なものはそんなに多くあるわけではないような気がします。

 

二、精神の豊かさへ

 

一、待つということ

本当に必要なものといえば、若い人たちにとって携帯電話は本当に必要なものというかもしれません。私も子供にそう言われて買わされてしまいました。 

この携帯電話の普及が以前はよくあったすれ違いを解消しました。

昨年NHKの衛星放送で、「君の名は」というテレビドラマを再放送をしていました。このドラマは戦後まもなくラジオドラマとして放送され、放送時間には風呂屋の女風呂が空になるといわれたほどの人気を博したものですが、その後朝の連続テレビドラマとして放送されたようですが、鳴り物入りで放送された割には往年の人気は出なかったようです。このドラマはすれ違いが発端であり、何度も何度もすれ違いを繰り返すことになります。私たちの若い時代にはまだ、そのようなすれ違いもあり、お互いが目と鼻の距離にいながら会うことができず、待ちぼうけをくらうことも少なくありませんでした。しかし、携帯電話が普及している現在では考えられないことです。そんなことがこのドラマがはやらなかった原因のひとつかもしれません。

以前巻頭言にも少し書きましたが、今の私達は待つということが大変苦手になってきました。その理由の一つに、「時は金なり」という直喩のことわざが輸入され定着したように、何かを生み出さない時は浪費だとでもいうような強迫観念が蔓延しているからのような気がします。

「今日」と「明日」を正しく使いこなせるのは三歳児でそれぞれ六十八%と六十四%。「あさって」「おととい」となると六%と四%。時間の概念ができあがるのは十歳児になってからだし、未来の意識があるのは人間だけと聞いたことがありますが、時間という概念をもったことで、私達は自然の中で生かされていることを忘れてしまい、時間さえも自分の思い通りにできるように勘違いして、自然では当たり前の待つということが、時間を損しているような気になりだしたのではないかと思います。

しかし考えてみれば、本当は私たちの人生も待つことのほうが多いのです。誕生も、成長も、そして死も、大事なことはみな待つしかないのです。

「立待ちの月、居待ちの月、寝待ちの月」という月の呼称があります。

立って月の出を待っていたのが、座って待つようになり、ついには寝て待つような月に変わるという、月の出の時間をこのように典雅に呼ぶことが私たちの古い時代には生きていました。待ちという言葉が象徴するように私達は自然の動きを待っていたのです。

今、中秋の名月さえ、ゆっくり眺めることが少なくなりました。私の小さい頃は縁側に祭壇を出し、ススキを生け、団子を供えましたが、今そのようなことをしている家はほとんどないのではないでしょうか。

待つということを忘れた私達は、何かに追われるかのように生き急がなければならなくなりました。「早く、早く」が若い親たちの子供への言葉の使用頻度一位というのも仕方のないことかもしれません。そしてこんなに一年が早いことも・・・・・。

 

二、待つ理(まつり)

 教祖伝逸話篇に、次のような話があります。

 『明治十一年正月、山中こいそ(註、後の山田いゑ)は、二十八才で教祖の御許にお引き寄せ頂き、お側にお仕えすることになったが、教祖は二十六日の理について、
 「まつりというのは、待つ理であるから、二十六日の日は、朝から他の用は、何もするのやないで。この日は、結構や、結構や、と、をや様の御恩を喜ばして頂いておればよいのやで。」
と、お聞かせ下されていた。
 こいそは、赤衣を縫う事と、教祖のお髪を上げる事とを、日課としていたが、赤衣は、教祖が、必ずみずからお裁ちになり、それをこいそにお渡し下さる事になっていた。
 教祖の御許にお仕えして間もない明治十一年四月二十八日、陰暦三月二十六日の朝、お掃除もすませ、まだ時間も早かったので、こいそは、教祖に向かって、「教祖、朝早くから何もせずにいるのは余り勿体のう存じますから、赤衣を縫わして頂きとうございます。」 とお願いした。すると教祖は、しばらくお考えなされてから、
 「さようかな。」
と、仰せられ、すうすうと赤衣をお裁ちになって、こいそにお渡し下された。
 こいそは、御用が出来たので、喜んで、早速縫いにかかったが、一針二針縫うたかと思うと、俄かにあたりが真暗になって、白昼の事であるのに、黒白も分からぬ真の闇になってしまった。愕然としてこいそは、「教祖」と叫びながら、「勿体ないと思うたのは、かえって理に添わなかったのです。赤衣を縫わして頂くのは、明日の事にさして頂きます。」と、心に定めると、忽ち元の白昼に還って、何の異状もなくなった。
 後で、この旨を教祖に申し上げると、教祖は、
 「こいそさんが、朝から何もせずにいるのは、あまり勿体ない、と言いなはるから、裁ちましたが、やはり二十六日の日は、掃き掃除と拭き掃除だけすれば、おつとめの他は何もする事要らんのやで。してはならんのやで。」
と、仰せ下さった。』    教祖伝逸話篇 五九 まつり

 逸話篇が教祖のお言葉としていみじくもお聞かせいただくように、待つということは自然に感謝することなのです。

季節の移り変わりも、一日の時間も私達は早くすることも遅くすることもできないのです。ただ待つしかないし、待ってさえいれば太陽も月も違うことなく必ず出てきてくれるのです。

 

  三、ゴミから待つへ

 

今私達は、数十年前には考えられないような快適で豊かな暮らしを享受しています。 

多くの物に囲まれながら、どこか心の中は満たされないまま、流される様々な情報は私たちの購買意欲を刺激し、さらに何かを求めて止みません。必然的にゴミは増え、あふれ出した物は、どれが本当に必要でどれが不要かということさえも真剣に考えることなく、惜しげもなく不要な物として捨てられていきます。

そんな暮らし方が私たちの生き方にも大きな影響を与えています。

親も子も夫も妻も、我慢することは馬鹿らしいこととでもいうように、誰もが声高に自分の権利を主張します。そして自分の快適な暮らしの邪魔になるものは、不要ごみとして捨ててきたのと同じように、私達は自分の生きる上でも、自分にとって不都合なことを簡単に捨ててしまいます。しかし、当たり前ですが生きるということは、そう簡単にはいきません。今の自分にとって苦痛になるからといって、捨てることが出来ないことも多いのです。捨てたつもりのものがいろんなものに形を変えて噴出してきます。

そして今世の中は様々な問題で揺れています。家庭にも社会にも、数十年前には考えられなかったような新たな難問が立ちふさがり、出口の見えない不安が私たちをおおっています。

まるで誰もが捨てられる不安におびえているかのようです。

そんな不安から開放される一つの方法があります。待つということです。

まつりというのは、待つ理であるから、(中略)この日は、結構や、結構や、と、をや様の御恩を喜ばして頂いておればよいのやで。」と、教祖からお聞かせいただいたように、せめて一月に一度、結構や結構やと親のご恩に感謝する日を作らせていただくことです。

月次祭の日に参拝させていただき、親に直接お礼申し上げることが一番よいのは申すまでもありませんが、そうできなくてもせめて一月に一度、ほんのちょっとの時間でも、登りゆく朝日や流れる雲や木々の緑をじっと眺めてはどうでしょうか。何かをするのではなく、じっと何かが見えてくるのを待つのです。もちろん何も見えなくてもいいのです。待つということが大事なのですから・・。 

そんな悠長なことはしてられない、これもあれも、しなければならないことはいっぱいあるとおっしゃるかもしれません。しかし本当はしなくてもよいこともいっぱいあるのです。

 

教祖は「菜の葉一枚粗末にしてくれるな」とお聞かせいただきました。それはただ単にもったいないということではありません。私達は感じられる心さえあれば、菜の葉一枚にも親のご恩を感じることができるのです。

菜の葉にかけられた親の思いを感じることができるならば、私たちの人生がどれほどの親の思いで豊かに満ち溢れているかも感じられるはずなのです。