年頭ごあいさつ 171 

新年あけましておめでとうございます。昨年は、教会の上にいろいろとお力添えをいただき誠にありがとうございました。今年は、来年九月二十日に、三名之川分教会創立百周年を迎えるという前年、少しでも成人の道を歩ませていただけるようしっかりと努めさせていただきたいと思っております。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。 

昨年は、妻の身上からいろいろと自分を見つめ直す機会を与えていただきましたが、自分が変わるということの難しさも再認識いたしました。

今年の年頭の挨拶を書きながら、大きな世界の現状と極めて小さな自分が、信仰というものによって硬く結ばれていると感じています。

相変わらず今年も極めて長い年頭挨拶になりましたが、これが今の私の信仰状態です。

お読みいただき、ご意見などもお聞かせいただければうれしく思います。

 

一、世界から教えられていること

 石油が随分高くなり、寒い地域では文字通り死活問題となっているようです。この高騰は投機的な意味合いもあるようですが、地球の贈り物である石油は、いずれ枯渇する運命でもあります。石油に限らず、空気にしろ水にしろ、それがどんなに無尽蔵にあるように思えてもやはり限られた資源の中で、私達は生かされているのです。

そういえば先日、「成長の限界・地球の選択」という本を読み、色々と考えさせられました。

本の中で、次のようなことが書かれていました。

「この(リビング・プラネット・レポートの)データによると[注A]、人間は一九八〇年代後半から、毎年、その年に地球が再生できる以上の資源を使うようになった。つまり、世界のエコロジカル・フットプリント[注@]は、地球が提供できる能力を超えてしまっているということなのだ。」

二〇〇一年の計算では、その年人間が消費した食料や燃料は、全体で生産能力を二〇パーセント上回ると報告されています。それでは何故飢餓が来ないのか。それは消費量に大きな差があるからです。例えば世界中の人々が、日本と同じ暮らしをしようとしたら、地球が二、四個必要だそうです。つまり、日本人は現在の経済(消費)活動のスケールを二分の一以下に戻すことが求められるのです。

私もよく分かってないのですが、もう少し分かりやすく言うと、私達人間は、地球という親の資源を食い潰している状態になっているということ?です。それまでは、人間という道楽息子たちが財産を蕩尽していても、親である地球はそれ以上に再生産してくれていたけれど、二〇〇一年で言えば、親が一年で稼ぐ金の二〇パーセントも多く道楽息子たちが使っているということです。まだすぐには破滅が来ないのは、地球という親の財産が大きいのと、道楽息子の中でも使い方に差があるからなのです。

アメリカとか日本とかいう道楽息子のように世界中の人間が資源を使い出したら、アメリカなら、地球が七個、日本なら、二、四個いるということです。

言い換えるならば、今の日本の私達の生活レベルの半分程度が、世界中の人々が共に地球という限られた資源の中で得られる豊かさの限度であるという事です。そうしなければいずれ破滅がくるということです。それはどのような形で来るのかはわかりません。わかっていることは、世界中の人々が日本のような暮らしをすることは、地球の規模では絶対に無理だということです。

まず私達の生活水準を今の暮らしの半分程度に抑えなければなりません。

それとも私達だけはいまの生活を享受し、他の貧しい国々の人々には、その暮らしを続けよと言うのでしょうか。

「感謝・慎み・たすけあい」を標榜している私達天理教人であるならば、どちらを選ぶべきなのでしょうか。

注@エコロジカル・フットプリント(Ecological Footprint)とは、どれほど人間が自然環境に依存しているかを、わかりやすく伝える指標であり、ツール(道具)です。具体的には・・

(1)あるエリアの経済活動の規模を、土地や海洋の「表面積(ヘクタール)」に換算。
(表面積:食糧のための農牧地・海、木材・紙供給やCO2吸収のための森林など。エリア外からの輸入物の生産に要する面積も含む)
この表面積=エコロジカル・フットプリント=そのエリアで自然環境を踏みつけている面積であり、人間の足跡(Footprint)です
(2)その面積をエリア内人口で割って、1人あたりのエコロジカル・フットプリント(ha/人)を指標化。
エリアの適正規模(環境収容力)をどれくらい超えた経済活動をしているかが、一目でわかります。

注A(W・ワクナゲルが研究開発した、様々な国の国民が消費する、自然の資源を提供し汚染の排出を吸収するためにどれほどの土地が必要かを計算(エコロジカル・フットプリント)を、世界自然基金がワクナゲルの用語と数学的手法を採り入れ、一五〇ヵ国以上のエコロジカル・フットプリントを計算し、「リビング・プラネット・レポートとして、発表している。)

 

二、二種類の人間

人にはどうやら二種類の人間がいるようです。

ユンチアンという人が書いた、「ワイルドスワン」という本があります。清朝の崩壊から日本との戦争、共産党の中国支配、文化大革命まで日本では想像できないような激動の中国を生きてきた一家族三世代を描き、世界的ベストセラーになりました。その中に印象的な文があります。引用します。

『このときから、私は中国人を二種類に分けて見るようになった。人間性を持った人と、そうでない人と。十代の紅衛兵から、大人の造反派まで、あるいは走資派とされた人々についても、文化大革命というとてつもない動乱が、その本性をあらわにして見せた。』

同じような文章を読んだことがあります。第二次世界大戦のときドイツ軍のユダヤ人強制収容所に入れられ、まさに九死に一生を得た、心理学者V・フランクルの「夜と霧」の中の一節です。

『これらすべてのことから、われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。そして二つの「種族」は一般的に拡がって、あらゆるグループに入り込み潜んでいるのである。専ら前者だけ、あるいは専ら後者だけからなるグループというのは存しないのである。』

教祖の口伝で「道に世界あり 世界に道あり」というお言葉を聞いたことがあります。信仰している者の中にも、形だけの信仰をして考え方や行動はこの道の話を聞いていない人と同じ人がいるし、その反対に信仰はしていないが、その心や行いは神様の教え通りに通っている人もあるというような意味のように記憶しています。

このような意味で、二種類の人間がいるならば、あなたはそして私は、どちら側の人間でしょうか。

一人の人間の中にそのどちらの面もあると考えた方がよいと言われた方がいました。その通りだと思います。そして極限状況にそのより強い面が出るのだと思います。

通常の時はよき隣人であった人が、「ワイルドスワン」で言うならば文化大革命という動乱の中で、「夜と霧」では、死とまさに隣り合わせの強制収容所という極限の暮らしの中で、否が応でも人々の本性が出てしまうのです。

 

三、妻から教えられたこと、

あるいは節という意味

 文化大革命や収容所体験というような特異な状況ではなくても、人は節[天理教でいう病気や事情などのこと]に当たればその本性が出てしまいます。

 巨視的な世界から一挙に極めて私的な話になりますが、昨年妻に腰の身上(天理教で病気のこと)をいただきました。

昨年の十月号の巻頭言にそのことについて少し書きました。

『(前略)父親は妻を亡くし、子供も亡くした。(私は)「いんねん」ということで言うならば、生まれてこないはずの命を助けていただき、妻を娶り子供までもお与えいただいた。元気な妻と子供たちがいて当たり前だと思っていたことが、どんなに大きな御守護をいただいているのかを、本当の意味でやっと今頃分かりかけてきたような気がする。

貧に落ちきらねば、貧になる者の気持ちが分からないと、教祖は全ての物を施し、貧に落ちきる道を歩まれた。病む事も同じような気がする。家族が病んでみなければ、病むことのつらさは心底は分からないし、今までいろんな病人のおたすけに行かせていただいたが、分かっていたつもりだったんだなあと、つくづく思わせていただく。

「そんなことお前に言われんでも、世間の人がみんな言うてくれてる」と言ったという父親の気持ちも、今まで以上に共感できるし、それがどんなに「しんどい」ことなのかも、ようやくちょっと分かった気がする。しんどいというのは、世間に対して以上に、自分に対してのことだ。

私の例で言うなら、妻の病気が「いんねん」であるならば、私の母親は出直したのであるから、それと比較すれば随分軽くしてくださっているのだと思う。そうであるなら、これ以上の御守護を願うことは欲で、これでありがたいと思うべきであり、大難を小難に御守護いただいているのだとしっかり喜べという思いが一方にあり、また一方には、もう少し何とか目に見える御守護をいただきたいと願う心もある。その狭間の中で今も行ったり来たりしている。それは自分の信仰を見つめ直すことであり、自分の中の神一条でない部分、欲や世間体に流される自分を、否応無く自覚させられるということだ。そしてもっと根本的に、たすけて欲しいと願うのは、本当に妻のことを案じている「ひとだすけ」の止むに止まれぬ思いなのか、それともお前が困るからなのかという問いを、突きつけられたりもしている。(後略)

以前夫が病気のある人に、「夫の病気は妻への神様の思いがあるので、貴女も反省させていただくことがあるのではないか。」と、天理教的な反省を促した時、「なんで主人が病気して、私が反省しやなあきませんのか。主人の病気やから主人が反省したらよろしいやんか。」と言われて、二の句が告げられなかったことがあります。そのときは何でこんなこともわからんのかなあと思いましたが、いざ自分の嫁がそうなった時、反省よりも先に腹のほうが立ちます。

でもその中でそれは、こんな時に腹しか立たない自分という人間の人間性や品性を自覚する、これ以上ない機会でもありました。

やはり節というものは、その当人だけではなく、それに関係するすべての者に対して神様から与えられたメッセージであり、神様は私の人間としての成人の度合いを見せるために、この節をお与えいただいたのだということを、それこそ不承不承であれ、納得するしかなかったのです。

そして今ようやく、節というものの意味をわからせていただいたような気がしています。

 節とは、自分の本性を見つめ直す機会なのです。

 言い換えるなら、自分の本性を見つめ直さなければ、それはただの病気でありただの事情なのです。 

 

四、世界と妻が突きつけたもの

 世界の現状は、今の日本の暮らしを続けることは、その他多くの人々の犠牲の上にしか成り立たないことを教えています。

 妻の身上は、今の私の信仰がどの程度のものでしかないかを否応なく自覚させます。

 そのどちらもが、結局お前は二種類の人間のどちらであるかと問い続けます。

道と世界は合図立て合いという言葉があります。お前は本当はどちら側の人間かという問いは、私だけではなく、この道を信仰する者すべてと、日本人に問いかけられている神様の急き込みでもあるような気がします。

自分達だけが今の生活を享受するか、それとも他の人々のために、自分たちの生活レベルを落とせるか、古くは魯迅の話を引用するまでもなく[注C]、これは何年来の年頭挨拶のテーマでもあります。

何年来のテーマであるということは、言い換えれば、その問題を自分の問題として本当に考えているのではなく、机上の空論として弄んでいたということでもあります。

業を煮やした神様が、世界の現実と妻の身上というどちらものっぴきならない問題として、私にもっと真剣に考えろとおっしゃっているような気がしています。

それは具体的には教祖のひながたを通らせていただいているのかという問いでもあります。

注Cいみじくも魯迅が言いましたが「寒さで震える旅人に自分の着ているコートを与えるか、それとも菩提樹の下で全世界の人のために祈るかどちらかを選べといわれれば、すぐさま菩提樹の下で全世界の人々のために祈るだろう。なぜなら自分のコートを脱ぐことは寒いからである」という言葉どおりなのです。

しかし教祖のおっしゃる人をたすけるというのは、自分のコートを脱ぐということなのです。教祖のひながたは、自分のコートを脱ぐことから始められたのです。そしてそれは私達一度コートを脱いだはずの教会長にとっても一番難しいことであります。(中略)

コートを脱げといっているのではありません。先ずコートを脱げない自分をはっきりと認めることが大事なのだと思うのです。そうでなければ、自分はいつだってコートを脱げるのだとカン違いしがちなのですから。そしてそれだけですめばいいのですが、そんな人ほどどこかの国や人と同じで、他人にはコートを脱げといいがちなのですから・・・。(年頭挨拶一六六年より)

 

五、教祖のひながたと明治二十年の節

 天理教の教祖、中山みき様のご生涯は、私達が普通御守護と願う形とは正反対の姿のように思われます。

ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。(中略)ひながたの道を通らねばひながた要らん。』と、お聞かせいただくように、それは自分がその万分の一でも通ることによって初めて意味のある道であり、床の間に飾って仰ぎ見るものではありません。

教祖の五十年のひながたを少し振り返れば、立教より二十年余りは、貧に落ちきれとの思召しのままに中山家の財産を貧しい者に施し、貧のどん底に落ちきる道であり、たすけられた信者さんたちが教祖を生き神様と慕ってくるようになっても、いわれない弁難・反対攻撃が執拗に続き、明治以降は官憲よりの迫害弾圧が続く生涯でした。

それだけではなく、家庭的にも後継者とも望まれていた末女こかん様も長男秀司先生夫婦も亡くし、家には孫のたまえ様と他に数人の家族を残すだけでした。

私達は普通、自分の身上をたすけてもらいたい、家が末永く、家族が健康で元気であるようにと願い入信するのです。しかし私達が願う御守護の姿と正反対の姿が教祖のひながたの中にはあるのです。そして私達と一番違うところは、教祖はその中を、どんな時も笑顔を絶やさず、勇んで通られたということなのです。

それだけを聞くと、自分はとても無理だ、人間にとってそんな道は決して通れないと思ってしまいます。

しかし、明治二十年、鮮やかに通られた先人たちがいます。

おつとめを急き込まれる教祖と、おつとめをすることによって監獄へ拘引される教祖の身を案じて、おつとめすることに逡巡する先人たちの思いは、「命捨ててもと思う者のみ、つとめにかかれ」という初代真柱様の言葉を受けて、ついに一月二十六日おつとめは始まるのです。

 命を捨てるという初代真柱様の言葉は、決して口先だけのものではありません。当時絶対権力の警察が管理する監獄においては、死さえも決して無い事ではなく、実際教祖の高弟の中にも出獄後出直された方もおられるのです。

しかし人々は、決して初めから命を捨てるために信仰されたのではありません。それどころか皆が私達と同じように、自分の身上や事情を助けてもらいたいと教祖を訪れ、助けられた人ばかりなのです。

その人たちが今度は自分のたすけられた命を捨ててもとの思いに変わるのです。それはまさに教祖のひながたを通るということなのだと思います。

  

六、理不尽なことは理不尽なこととして

 四章で私は、「世界の現状は、今の日本の暮らしを続けることは、その他多くの人々の犠牲の上にしか成り立たないことを教えています。妻の身上は、今の私の信仰がどの程度のものでしかないかを否応なく自覚させます。そのどちらもが、結局お前は二種類の人間のどちらであるかと問い続けます。」と書きました。

 世界の現状に目をふさぎ、妻の身上を病気として通ったら楽だろうなという品性のない私の声がどこからか聞こえます。

 しかし、こうも思うのです。

 私も神様から観たら人間は、二種類の人間しかいないのではないかと思っています。「よふぼく」とそうではない人の二種類です。「よふぼく」とは、おさづけを拝戴した人間のことであり、おさづけの理は自分にだけは取り次げないことに象徴されるように、これからは自分よりも人をたすけさせていただくことに今後の人生を捧げますと神様と約束した人のことです。(それをみんなが自覚しているかはちょっと疑問ですが・・・)

 私は「よふぼく」です。少なくとも本当の「よふぼく」になりたいと思っている「よふぼく」です。

そう考えると、私達のとるべき道は、いや私のとるべき道は一つしかありません。

 昨年十一月の巻頭言に、「何もない小さな自分」から「何かある大きな自分」になりたいと言う若者のことを引用して次のように書きました。

 『「何かある大きな自分」も最後には、「何もなく消えていく自分」でしかないのだということを、はっきりと認識することだと思う。

そしていずれ「何もなく消えていく自分」でしかない人間の、本当の存在の意義を教えるのが宗教なのだと私は思う。

宗教は、「何もない小さな自分」が、「何かある大きな自分」に変わることをたすけることではない。まして「何もない小さな自分」が、「何かある大きな自分」になれたなどということを、ご利益として喧伝することでもない。

それは幻想に過ぎない。そして今その幻想が一人歩きして、私達の焦燥や不安をさらに大きくしているのだと思う。

今ある現実の自分と、ありうべき幻想の自分とのギャップの中で、息も絶え絶えの若者たちが私達の周りにずいぶんいるではないか。

 若さは、その幻想に惑わされやすい。自分が老いや死から遠い存在だからである。

 そのことを伝えるのは、本来老人の役目である。老いや死に近いからこそ、向き合わねばならないのだ。そして「何もなく消えていく自分」に、名声や金がどれだけの慰めになるのかを、慰めになるのならなるでよい、ならぬのならならぬでよい、真剣に考え見せてやればよいのだと思う。

 高齢化する日本は、その点から言えば間違いなく、神の思召しの結果なのだと私は思う。

 しかし、老人といえど、それを考える人は少ない。病と死が、身近ではなく、巧妙に隠されているからである。家で病む人はほとんど無く、人々は死と痛みから逃れることに汲々として、大病院は、まるで大伽藍の聖堂のように、人々を集めている。

残念なことに、私も含めて天理教の信者でさえも、本来の老人の役目を忘れ、長生きすることのみが自己目的と化してしまっている。  

「身上・事情は道の華」という言葉は、いつのまにか死語に近くなり、少しでも長生きしたいと当座の反省にばかり右往左往している状態だ。

 「命捨ててもと思う者のみ・・・」という、有限であることに立脚して無限を信じた言葉が発せられてよりまだ百二十年余りしか経たないというのに、私達は随分違う場所に立っているような気がする。

 この文の特に最後近くについてはいろいろと質問も受けましたが、このとき一番私が思っていたことは、有限の存在である人間が、無限の存在である神様のことを考えるのはやはり無理ではないかということです[注D]。わからないことは、わからないこととしておいておくのが一番よいのではないかということです。

文章に添って言うならば、『長生きすることのみが御守護では無い』ということです。 

もちろん、例えば癌が消えるという御守護は、不思議な御守護だと思いますが、それを余りに喧伝することは、癌が消えなくて亡くなった人には御守護がなかったかのようになることでもあります。

人間から見たら、癌が消えるということは、不思議な御守護でありますが、それは不思議なこと、理不尽なことです。誤解を恐れず、人間の都合を捨てて、裏返しから見たら、すべての理不尽なことは、すべて不思議な御守護ということになります。それをただ人間の都合のよいことは、「神様の御守護」であり、都合の悪いことには口をつぐみ、口をつぐめばまだましなぐらいで、「信仰が足らなかった」などと神様のように言ってはいないかと思うのです。

そんなことを言っているから、病気は罪悪になり、『「身上・事情は道の華という言葉は、いつのまにか死語」』になり、『当座の反省にばかり右往左往』しなければならないのではないかと思うのです。

私達は神様ではありません。神様の思いを聞かせてはいただいていますが、分かることといえば、今この生きている現世のことと、ほのかにわかる前生のことだけなのです。親の深い思惑のほとんど何もわかってはいないのです。それをわかっているつもりになっているから、理不尽なことを理不尽なこととして受け止められないのだと思うのです。

人間にとって都合の良いこと、悪いことを神様の御守護というもので分けるのではなく、不思議なこと、理不尽なことはすべて、神様の深い思惑があるのだと信じることが、もっと必要なのではないでしょうか。

注D教祖御在世当時、ある先生が他の人々に言われて正直に「人間を創られたのは神様ですが、それでは神様を創られたのはどなたでしょうか」と訪ねられた時、教祖が「そこまで聞くのはあほやで・・。」とお答えになったという話。

それはちょうどビックバン以前のことは、現在の科学が全く通用しないわからなくて当たり前の世界だと聞いたことを思い出させます。

 

七、成っても成らいでも

私の好きな言葉に「成っても成らいでも」という言葉があります。おさしづによく出てくるお言葉です。その代表的なものが、明治四十年六月九日本席様最後のおさしづです。本部の会計の窮乏を受けて百日のおさしづで、親神様は人々の精神を定めることをお急き込みくださいます。そしておぢばに当時の全教会長が集まり、会議の後、本席様に「部下教会長一同わらじの紐を解かず一身を粉にしても働かさして頂き、毎月少しずつでも集まりたるだけ本部へ納めさして頂く事に決め申しました」と御返事申しげます。そして本席様から、神様のお言葉が下がります。おさしづの最後の部分です。

『もう十分の満足をして居る。席は満足をして居る/\。(中略)その精神というは、神の自由受け取りたる精神。何も皆、身上は成っても成らいでも案じてくれる事要らん。篤と心を鎮め。皆々心勇んでくれ/\。』

 本席様はもう十分の満足をしているとおっしゃいます。それは神様の御守護というものをしっかりと受け取り心に置いた精神を皆が見せてくれたからであって、本席様の身上が、成っても成らいでも(よくなっても、ならなくても)、心配してくれることはいらない。しっかりと心を鎮めて、みんな心勇んでくれとおっしゃているのです。

 本席様は、それから数時間後お出直しになられます。それは御守護のない姿なのでしょうか。教祖の平癒を願って「命捨てても」との思いでつとめた明治二十年一月二十六日とそれは見事に符合するのです。

 人間の側の直接的な願い(教祖や本席様の身上平癒)と、結果は正反対ですが、そこにこそ神様の御守護があるのです。

私達はただ、神様の自由用の御守護を信じて、たとえ結果が「成っても成らいでも」しっかりと心勇んで勤めさせていただくことが大事だと思うのです。

 一日近くこの年頭挨拶にかかりきりになりましたが、長い長い年頭挨拶もいよいよ終わりを迎えることになりました。本日は、一月八日午前〇時になります。(今年の合言葉は午前0時です)

 何年か前から教会の駐車場には、「感謝・慎み・たすけあい」という看板が立っています。

 その言葉をただのスローガンにしないために、神様は地球規模でのたすけあいと慎みを求められているのです。そしてそれは生かされているという感謝と、教祖のひながたを通らせていただこうと私達が決意することなのです。

世界には二種類の人間しかいないのであるならば、私達はやはり真の意味での「よふぼく」にとしてらせていただこうではありませんか。たとえ現世では思うような結果に「成っても成らいでも」、その精神は神様が確かに受け取ってくださっているのです。

 そのことを改めて心にしっかりと置き直して、今年の長い長い巻頭言を終わらせていただきます。

お読みいただきありがとうございました。