信仰の不思議

 

真実の種

尽くした理は火にも焼けん、水にも流されんという意味のお言葉がある。前にも神殿講話でお話ししたことがあるが、それを私も実際に体験したことがある。

 まだ鷲家分教会にいたころの話である。教会にお供えされた後ののし袋は、私が裏山で焼かせていただいていた。焼け残りが目に入るとあまりいい感じがしないであろうと、できるだけかきまぜながら焼いていた。あるときもそのようにさせていただいたつもりであった。次の日大阪から帰って来た教会の奥さんがこんなものが残っていましたと、焼いた場所から一枚ののし袋をもって来てくれた。そののし袋の中に千円札が一枚残っていた。しかものし袋は四方が焼け、中に入っていたお札も四方が焼けてはいたが丁度五ミリぐらいのところまで焼けただけで消えていた。不思議なことであった。

 鷲家分教会の裏山が崩れた時も不思議であった。もう十年以上も前になるであろうか。八月の始めに発達した低気圧が奈良県下に大被害を出したことがある。そのとき教会の裏山も大崩れした。大雨で山の頂上から集まって来た水が本当に滝のように落ちて来た。裏山に植えてあった杉の木もあっと言う間に根こそぎ流され、神饌所の山際にあった大きなコンクリートの貯水桶も、強い水の流れにさらわれ転がり落ちて来た。それでも教祖殿はもちろん神殿も何の被害もなかった。大雨から数日後、調査に来られた役人が、山から下を見て、こんな土砂崩れで下の建物によく被害がなかったなあと驚いておられたのが、今でも記憶に残っている。確かに上から真っすぐに落ちていたら、教祖殿を直撃していたはずの水の流れが微妙に変化して二つに分かれ、一方は教祖殿右側の庭に、もう一つは神饌所の後ろに流れた。そして教祖殿の庭に落ちた水は庭の大きな庭石に当たり二手に分かれ、流失した土砂は庭には少しも入らなかった。神饌所の裏に落ちて来た水は、先に転がり落ちたコンクリートの貯水槽に当たってこれも二手に分かれ裏山に沿って切ってあった溝に流れて行き、こちらもことなきをえた。その貯水槽は後で大人六・七人がよっても動かすことができず割ってしまうしかなかった。しかもその貯水槽と神饌所の壁と間は丁度葉書一枚の厚さだけすいていた。そのお陰で壁は少しも傷付かなかったし、もしその水槽が落ちて来なかったら土砂が壁に当たり恐らく壁は破れ、水は神殿の中へも入っていたであろう。

 流された落ちて来た杉の木も教祖殿裏の土手に並べたように落ちた。壁との距離が二メートルもないその間に、すぐにでも運び出せるように並べてくれたようなものであった。

 焼け残ったお札をお供えした人は毎月欠かさずお供えを送ってくる熱心な人からのものであった。真上からの土砂崩れにも何の被害もなかった教祖殿は、初代会長が思いに思われたものであり、昭和二十九年にみんなの真実によってたちあがったものである。

 『道の為そふとう理をつくしはこんでこんな事とさらにおもふやない、ゆふやない。これをむねにしいかり治め、この道の理はまんご末代の道。後略』という鷲家にいただいた『おさしづ』がある。神様にお供えさせていただいたものは、確かに神様がお受取くださっているのである。『心から真実まいた種は埋ってある』というおことばもある。真実心からさせていただいたお供えは、火にも焼けず、水にも流れないばかりではなく、種となって必ずはえてくるものなのだ。

 今大教会百周年という又とない旬を迎える。四月十五日を期してしっかりとお互いに真実の種を蒔かせていただきたい。              156年3月

 

 

 

 不 思 議   

 今年になっていろいろと不思議な体験をした。

 ある信者さんのガンが消えた。又ある信者さんのガンは活動停止しているそうだ。他にもうれしい話を随分聞いた。今年は春から縁起がいいぞとよろこんでいた。

 先日一番不思議な経験をした。久しぶりに外出のない日、めったに教会に来れない人達が何人か帰ってくれた。

  そのおり、全く別の二人から同じような話を聞いた。最初の人はある宗教団体の話で、霊能者がおり、様々な病や、事情などをなおしてくれるそうだ。もう一人のほうは宗教団体ではないけれど、こちらのほうも様々な病気を一遍で直したり、自然現象さえも支配するそうである。

 そのことについてどう思うかとそれぞれの人に聞かれた。

 おもわず対抗意識を出して、教会で起こったいろいろな奇跡や不思議な話を話そうとして、ふと思った。

 おふでさきに次のような言葉がある。

  たすけでもをかみきとふでいくでなし うかがいたてゝいくでなけれど

この教えは今までの宗教のように、拝み信心であるとか、祈祷すれば病気が治るのだとか、伺いを立てて教えられた通りにすると治るんだというような教えではない。(三号−四五)

  ぢつやとてほふがへらいとをもうなよ こゝろのまことこれがしんぢつ

今までは、いろいろと不思議な術を使うこととか、法の効能とかいうようなことを教えて来た   けれども、これから先は、そのようなものを偉いとは決して思うではない。人間の心の誠こそが、本当の真実である。嘘、偽りのない誠こそ、どんな法や術よりももっと尊い、親神様の御守護をいただく根本である(五号−四五) 病気になるのは、家相が悪いとか、墓相のせいだとか、あるいは最近少し下火になったようだが、水子のたたりだとかそう言ったことを喧伝している宗教もある。またテレビでおなじみの霊能者をはじめ、世間には様々な不思議な事を起こす方がおられる。

  神様がもう「これからは拝み祈祷や伺いなどでいくでなし」とお聞かせいただくのは、一つには、拝み祈祷伺い等で祓っていただくことが、その病気や事情の原因を外からだけのものと考え、自分自身への反省がそこにないからだと思う。

 もう一つは病気や事情を悪いものとしてのみ考え、自分の進歩を促すものとは考えないからだとも思う。たとえば祈祷で病気が治っても、自分自身の心の反省はない。あくまでも原因は墓の向きであったり、家の建て方であったり、水子の霊のたたりであったりするだけである。また病気や事情が神様の手引きであるという発想もないから、そのことを喜ぶという積極的意志も沸いて来ない。喜びと自分への反省がないところに成人はないと思う。

 神様が望んでおられるのは全人類が等しく親神の子供であることに目覚め、互いに助け合う世界を神の守護と人間の努力によってつくりあげることだ。三号四五のお歌に続くのが『わかるようむねのうちより思案せよ 人たすけたらわがみたすかる』とおきかせいただくのもそのことをお示しくださっているように思う。

 今までの信仰は不思議な出来事に神を感じ、それを法や術とも呼んで敬い恐れてきた。不思議を奇跡と呼び、そのことを求め、見せていただくことが信仰の証しであった。しかし、不思議が危険なのは不思議に囚われ、本当の不思議を忘れてしまうことにあるのではないか。おことばにも『にんげんハあざないものであるからに めづらし事をほふなどという』という歌でお聞かせいただいてるようにただ単なる珍しいことを不思議と思い誤ってしまい、それを見せていただくことが、信仰の証しと勘違いすることによって、かえって自分の成人を鈍らせてしまうことだと思う。

 冒頭の話ではないが、わたしも奇跡を喜び、それを喧伝することで信仰の証しを求めようと思っていた。しかし本当の信仰というものはそんな不思議を見ることではないと思う。不思議というのであれば一番の不思議は今私が生きているということである。それ以上の不思議はない。その不思議をありがたく思うことから信仰は始まるとおきかせいただくのだ。ガンが消えたことを不思議と思っても、もともとガンがない自分を不思議と思えなければ本当の不思議はわからない。そう考えればもともとないガンが消えたのは不思議ではない。

 その日は、本来、私が在宅している日ではなかった。そして全く別の用件で来られた二組の人が結局同じことを私に考えさせ、教えてくれた。こういうのを本当の不思議というのかと思ってみたりもした。      157年2月

 

 

「棟上げの天気」       

 五月十七日、仮神殿の上棟をさせていただいた。皆様方の真実によって、誠に結構なお天気のお恵みをいただき、無事上棟を終えさせて頂きましたことを厚くお礼申し上げます。

 出来るなら、上棟の日には結構なお天気のお恵みをというのは、欲な話に違いない。口伝にも『人の悪しき、お天気の不足をいえば『おさづけ』の効能の理は、三日間お見せいただきません』とお聞かせ頂くように、「どんな天気でも結構」と思わせて頂かねばとは思っていても、雨天結構、晴天ならなお結構と、心の中では晴天を願っている人間思案の多い会長だった。しかし私の思いに反して(いや心どおりか)、週間予報では、曇り時々雨、それが前日となると、「明日は雨、山間部では百ミリから百五十ミリ」と雨の予想は、エスカレートするばかり。前日、大阪の信者さん宅で、降る雨を眺めながら、「明日晴れたらほんまに奇跡やなあ」と、心細い話をするしかなかった。

 私が大阪で降る雨を眺めていた十六日も、教会では上棟の準備の真っ最中。ひのきしんの人も大勢出てくださり、大方建て上げてしまうという事だったのだが、雨で大変だろうなあと心は曇るばかり。 ひのきしんの様子を家に聞こうと思うのだが、「雨で大変や」なんて言われたら、曇る気持ちが土砂降りになると思うと、なかなか電話もかけられない始末である。

  意を決して夕方やっと電話をしてみたら、「ほとんど降るか降らんかの雨で、昼の食事の時にはどっと降ってきたが、休憩が終わるころには上がり、予定通り大方建て上げてくれた」とのことで、夜、帰宅して、天に向かって何本もの柱が見事に屹立しているのを見て、明日もせめて曇り空か、今日ぐらいのお天気で収めて頂きたいと願っていた。

 しかし夜中には、いったん寝たらめったに起きることのない私でも、目が覚めたほどの大雨で、明日は雨の中の上棟かと、とうとうあきらめてしまうしかなかった。

 ところが当日は昨日の大雨がウソのような誠に結構なお天気。そして翌日の十八日は、また大雨。 大雨と大雨に囲まれた晴天の棟上げ、誠に不思議をお見せ頂いた。そして十九日から一週間は晴天続き、遅くなっていた屋根屋さんが来てくれた次の日からまた雨が降り出すという、申し訳ないほどのお天気のご守護が続いた。

 「隣の家に蔵が建つと、こちらの家では腹が立つ」という人間の真理の一面をついた「ことわざ」が世間にはある。

 それに反して、お道は本当にありがたいと思う。信仰という繋がりがなければ、えんもゆかりも隣でさえない人々が、連日ひのきしんに来て下さり、神殿普請に真実を運んで下さる。山から木を出し製材のひのきしんに、五月のゴールデンウイーク、休日をひのきしんに出て下さり、多い人は五月一杯ほとんどひのきしんに、その大半を費やしてくれた。皆が、心を寄せて忙しい中、ひのきしんに精を出し、ありがとうございましたと言って帰って行く。少なくない額を少ないですが普請の足しにと言って運んで下さる。

 みな教会の事を、自分の家のこととして考えて下さっている。そのような人々の真実が、あの不思議な天気のご守護をいただいたのだ。そのことが何よりもうれしくありがたく思う。  161年6月