信仰の態度

月日がありて      

 『さあさあ月日がありてこの世界あり、世界ありてそれぞれあり、それぞれありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで』(明治二十年一月十三日)

 この余りにも有名なお言葉を知らないものはいないと思うけれど、この言葉は教祖が現身を隠される時、教祖と初代真柱との間で交わされた問答の時出された『おさしづ』である。 おつとめを急き込まれる教祖と、その親の思いに添いたいことは重々なのではあるが、おつとめをつとめることによって教祖が官憲に拘束されることを恐れる側近の者が思い余って、「神様の仰せと、国の掟と、両方の道の立つようおさしづを願います」「人間は法律にさからうことはかないません」と、お聞きしたおことばに対しての『おさしづ』であり、大意は以下のとおりである。

「もともと神があってはじめて、この世界がつくられたのである。世界ができてはじめてそこにすべてのものが存在するのである。そしてこの中に人間が生を得ているのであり、その人間があってはじめて、人間生活のための規律ができたのではないか。しかしいくら規律があっても、こうした順序から思案したならば、神の思いに添う心を定めて通ることが、最も肝心なのである」

 これは私たち信仰者にとって最も大事な言葉であるが、最近自分自身が本当にこのことを自分の基本においているかということを日々自問自答してみることは大切なことだと思う。

 ややもすれば私達は神様の言葉よりも、人間の都合を立ててしまうことが多くないか。神様があってこの世界があり、この世界があって初めて私達も生きていけるということを知っていながら、毎日の徳積みよりも、日々の瑣末なことにその重きをおいていることはないであろうか。世間とのつきあいや、変な遠慮の中で神様の理を正しく伝えることを怠ってはいないであろうか。

 先人たちの燃えるような信仰に比べ、今私達の信仰は少しづつ衰微しているように思う。そしてそれは私達の信仰が月日がありてこの世界ありではなく、我々があって神様があるという大きな思い違いを無意識におこしているせいではないであろうか。

  神殿にぬかづいて、もう一度謙虚に自分自身の信仰を問わねばならない。

155年11月

 

 

教祖のおかげ    

 四月一日に少年会員の新入学・進級のお礼に、ご本部に参拝した。午後四時過ぎに教会に帰ってしばらくしたら、一緒にいけなかった若いお母さんが、「帰ってから夕食を作るのは大変でしょうから」と串カツと豚汁をもって来てくださった。一食を助けてもらったうれしさも勿論だが、それ以上にこうしてもって来てくださる気持ちがありがたかった。そして懐かしい『教祖のおかげで』というフレーズを思い出した。その母親と私たちは年も離れ、家もすこし離れている。信仰というものがなければ接点はない。

 私の父は信者さんから何かをいただく度によく『教祖のお陰で』と口癖のように言っていた。小さいころから何かと言えばこの言葉を聞かされていた自分は、その後の『もったいない。喜ばしてもらわなあかんで』というフレーズへつづくこの一連のことばが、その後よく説教まで続くことがあったせいもあってか、あまり好きではなかった。

 しかし最近そんな言葉が自然に出るようになった。

 教会には近所の信者さんをはじめ、多くの方がよく何かをもって来てくださる。私たちや、子供達に下さるのであるが、私たちが何かをしたわけではない。ただおやさまとのつながり、信仰としての繋がりだけで、私たちはその余禄にあずかっているのである。 本当に不思議な気がする。不思議と言えば会長になってから家族が増えたような気もする。まだまだええかげんな会長なので信者さん全員と言う訳にはいかないけれど、何割かの人々には家族同様の親しさを感じる。欲得を忘れた結び付きが教会のもと、『こう(講)』であるのだから、当然と言えば当然だがやはり不思議な気もする。こんな結び付きがふえたら教典でお聞かせいただくように『国々所々の手本ひながた』になれるのにと思ったりもする。

 話がそれてしまったが、子供達がいただいたお菓子を平気で食べているのを見たりするとつい「みんなおやさまのおかげでいただいているのだから・・・」と説教調子で話したりもしてしまう。私もこんな顔をしていたのだろうなあと思いながら、形だけは神妙にしている子供達を見ながら、この子たちもいつか「教祖のおかげ・・・」と、孫たちに話すときがあって欲しいと心から願っていた。156年4月

 

ある問いに答えて  

先日ある人からこんなことを聞かれた。「Aさんは、熱心に信仰されているようですが、どうもあまり幸せとは思えないし、Bさんは熱心とはお世辞にも言えないが、結構な暮らしをしているように思いますが、何故そうなるのですか。」こんな風に思っている人は意外と多いのではないかと思う。私もそう思うことがある。

そう思うこともあるが、もう一つ、こうも思っている。

三年信仰してご守護をいただけなかったら、その人の信仰は、どこか神様に受け取っていただけないところがあるということ。お言葉に『三年の道を通れ』とお聞かせいただく。教祖のひながたを三年必死になって通らせていただいて、ご守護いただけなかったことはない。三年間教祖のひながたを通らせていただいて、ご守護いただけないのは、通っているつもりで通ってないだけだ。そのときは教会にきて欲しい。どこが違うか、私も一緒に真剣に考えさせていただきたいと言うと、「教祖のひながたからみたら、それはAさんもそこそこですが…」と言う。

その人の問いは、そんなせっぱづまった問いではないらしい。その問いかけの人を仮にCさんとすると、Cさんは悩んでいるのである。そこそこ熱心なAさんと、あんまり熱心でないBさんが、目に見えるご守護があまり変わらないどころか、熱心でない人の方がうまくいっていることについて悩んでいるのかといえば、そうであるような、ないようなところだ。本音を言えば、熱心に信仰してもしなくても結果が同じならば、本当は自分もあまり信仰したくないということなのかもしれない。しかし、何かあったら怖いから、そんな問いがでたようだ。

神様は苦笑しているに違いない。教祖のひながたを基準にするならば、、Aさんも、Bさんも、Cさんも、そして会長である私もみんな、五十歩百歩どころか、半歩の違いもないと思う。半歩も違いの無いそこそこ信仰者が、ああでもないこうでもないと、ご守護について話をしている。

しかしながら半歩しか違わなくても、一日半歩違えば、一年経てば百八十歩の違いになる。十年経てばちょっとやそっとで追いつけない距離になる。年限を重ねれば、Aさんと、Bさんは大きく違ってくるのである。

年限というのは怖いと思う。教会に毎日、日参のはがきを送ってくれる信者さんがある。葉書一枚の厚さは一ミリにも満たず、わたしの手でも容易に破れる。しかし何年分ものはがきは、もうダンボール一杯を越して、チェーンソーでも切れそうに無い。教会へ毎日はがきで日参を続ける人もいれば、教会からの毎月のはがきに一度も答えてくれない人もいる。信仰は何も難しくない。してきたことは残るし、しなかったことも残るのである。そして私たちは、したことは覚えているが、してもらったことは忘れがちなのだ。昔の信仰者はよく恩詰まりという言葉を使った。恩詰まりは、してもらったことを忘れるから起こってくるのだ。

 

AさんとBさんを比較して、今はまだ半歩の違いしかないかもしれない。出発点が違うのだから、逆にAさんの方が、何歩も遅れているのかもしれない。しかし長い目で見れば必ずその違いは歴然と現われてくると思う。

大教会には七十ヶ所余りの国内教会がある。先日の奉告祭で面白いことを発見した。奉告祭のためのひのきしんにそれぞれ会長さんが当たっていたが、熱心に出てこられる会長さんの教会が、教勢も盛んなように見受けられる。全てたった一人の信仰から出来た教会である。五十年、六十年という年限の経過と共に何かが違ってくるのである。

Cさんの問いへの答えがここにあると思う。