闇の世は声をたよりに
『闇の世は声を頼りについてこい。夜が明けたならなるほどというほどに』という意味のお言葉がある。
様々な病気や事情が重なり、それこそ四方塞がりでどうしようもないとき、神様のお言葉を頼りについていくならば、必ずご守護があり、振り返ってみて、なるほど神様はこんな思いで私をお導き下さっていたのだなあと、分かる日が来るという意味である。
長い一生の間には程度の差こそあれ、何故こんなことばかり起こるのかと思ってしまう日がある。もういいかげんにしてほしいと、思ってしまう日もあるかもしれない。こんなときこのお言葉は大きな力になると思う。事情・身上の打ち続く信者さんにそんな話をしていたとき、ふと教祖のお言葉を思い出した。
『四方暗くなりて分かりなき様になる』教祖が現身を隠される予言のお言葉である。現身を隠されても魂はとこしえに元に『ぢば』におとどまり下さっているという『教祖ご存命の理』は自明の事実である。しかし昨今、私たちの心の中に教祖が果たして生きているだろうか、という事を真剣に考えた時、私は内心忸怩たるものを禁じ得ない。
「人は二度死ぬ」という言葉を聞いたことがある。一度目の死はその本人が死んだとき、そしてその人のことを覚えている人がすべて死んだとき人は二度目の死を迎えることになるという意味だそうである。こんな話を教祖に例えることは誠に申し訳ないことながら、私は昨今の私たち信仰者の現状を見るにつけ、教祖殿でいくら教祖がご存命でお働き下されていても、私たちの中の教祖の死を恐れずにはいられないのである。
そんなふうに考えれば闇の世は個人的な事情・身上だけには限らない。私たちの、いや私の中の教祖が失われそうになる今こそ、ちょうど教祖が『四方暗くなりて分かりなき様になる』とおっしゃられたように闇の夜ではないだろうか。
日本全体が利己主義に走り、「人をたすけるよりはまず自分が助かりたい」と、てらいもなく答える人が多くなり、神様の存在はもとより、出直しも生まれ変わりも信じず、まさに諭達に言う『われさえ良くばの風潮に流され』ているとき、私たち信仰者は、その風潮に抗いながらも、ふと自信が無くなるときがないとはいえない。私たちの心の中の教祖の危篤状態である。ちょうど暗闇で周りの世界が見えなくなって、小さな石ころさえも大きな障害に感じ、一歩も足を進めない状態である。そんなとき私たちは小さなことに目がいって大きなことを感じる力がなくなる。
小さなこととは人間思案である。大きなこととは天の理である。
人と人、国と国は利害がぶつかり、互いに争うのが常かも知れない。ボスニア紛争なんかを見ていると、お互い助け合う世界なんて夢の夢のように思えるかもしれない。人もまた、人を蹴落としても自分だけははい上がろうとする人しか見えないかもしれない。一生報われない人生もあると、さみしく思うかもしれない。暗闇の中では自分の周りのそんな近いとこしか見えないのだろう。
しかしもう少し大きく目を開けば、見えて来る世界も随分変わる。
国々はまだ争いを続けてはいるが、世界世論を無視した戦争はそう簡単に出来なくなった。自分だけはい上がろうとする人もいれば、人のために命を投げ出す人もいる。ボランティアという言葉が、『ひのきしん』という言葉でないことは残念だが、この国の言葉として定着した。そんなふうに考えれば、『闇の夜は声をたよりに・・・』とお聞かせ頂くように、神様の声をもう一度自信を持って伝える努力をさせていただこうと思う。明治時代、暗闇の弾圧の中で、『おさしづ』をたよりにひたすら歩いた先人たちの苦労と歓喜を思い起こすだけで、その正しさは証明されているのだから・・・。
162年8月
旬をいかす
先月の十四日、教会本部の時計台の前で、接触事故を起こした。
直進の私に側道から出てきた車がぶつかり、私の車の前輪から助手席側の前の部分が破損した。幸い同乗していた子供たちには怪我もなく、向こうが非を認め、私の車を相手の保険でなおしてもらうことで別れたが、保険屋さん同士の話になると私の思惑とは違い、全額の修理代が出ないという。
修理代のほうははっきりわからないが三十万円前後はいるらしいが、自動車が古くなっているので、全損事故となっても二十万足らずしか出ないらしい。仕方がないらしいが、とても損をしたような気がしていた。
そんな気分が続いていた十九日の晩、夕づとめの時、教祖にお礼していながら、「考えてみたら、本当に大難を小難にしていただいたのだ。斜めにあたったからよかったが、真横に当たられていたら、助手席に乗っていた娘は大怪我をしていたに違いない」と思えてきた。改めて教祖に、大難を小難にしていただいた御礼をもうしあげ、これは早く、当ててくれた人にも、お礼に行かねばならない、明日にでも早速お礼に行こうと思っていたら、娘から電話がかかってきた。
携帯電話云々の話をして、一方的に電話を切る。「あほくさ、あんな娘のために誰がお礼に行くものか」と、気持ちがころりと変わったら、今度は家にいる次男が、友達と学校に行ったまま、まだ帰って来ないという妻の話。暗闇の学校を探しながら、やっぱり神様は見抜き見通しで、この事故を通して喜ぶことを教えてくれたのだなと、思い返しながら家へ帰ると、次男が先に家に帰っていた。次男を怒りながら、やれやれと一安心したが、翌日早朝に電話があり、知人の子供が交通事故で亡くなったとの話。あまりの符合に絶句してしまった。
数日してぶつけられた相手にお礼に行ったら、相手は何か要求をされるのかと警戒しているようだったが、とりあえず何回もお礼を言って、おぢばへ参拝して帰路についた。
帰りの車中で、おぢばで事故をして本当に良かったと思った。今の事故もおぢばで起こったのでなかったら、こんな対応が出来たかどうかわからない。修理代も出んのかと、相手にねじ込んでいるかもしれない。そこまで出来なくても、うじうじといつまでも事故のことを不足に思っていたかもしれない。一つの事故を通しても、その思い方はいくつも出来る。
起こってきたことは変わらなくても、それに対しての思い方は千差万別だろう。
しかし私たちが忘れてならないのは、どんなにつらい厳しい節であったとしても、神様がその人を成人させたい、少しでも変わらせたいという思いが込められているということだ。
そうであるなら、できるだけ喜べるようにとりたいと思う。
どうしたら喜べますかと、この話を聞いた信者さんが言う。私は私なりの秘策を次のように話した。
できるだけ喜べるように物事をとる方法は、難しいといえば難しいし、簡単といえばこれほど簡単なことはない。
教祖に聞いていただけるかどうかということだと思う。
人にならば、私が怒るのも無理はないやろと、自分の不満をとうとうと述べることはできるし、人もあんたも苦労してるのやねと、同情顔で聞いてくれるかも知れない。
しかし教祖の前に行って、果たしてそう言えるだろうか。私は教祖の前では恥ずかしくて不足や不平を言うことは出来ない。言うのが恥ずかしいのではない。教祖のご苦労に比べて、自分の苦労を言うのが恥ずかしいのだ。しかも教祖はあのきびしいひながたの中を、にこにことお通り下されたのだ。
一つの出来事があり、そのことに対してこう喜べましたと、教祖にうれしそうに報告できるかどうか、結構な話の種をいただきましたと、報告できるならば、私は頂いた節を生かしたことに、きっとなるのではないかと思っている。