Y 君 へ
先日私達夫婦の共通の年下の友人が亡くなった。あまりにも若い死であった。
今も目をつぶるとあなたの声が聞こえ、あなたの姿が浮かびます。
先月の二十日にはまだまだ元気で、病院に訪れた私のほうの健康を心配してくれていたのに、二十八日に出会ったときには既に危篤に近かった。その夜、夕づとめ後『おねがいづとめ』をさせていただきながら、『あなたの弔い合戦として百周年にいくらか足させていただきたい』と唐突に思った。そう思ったのは、あなたがこの世の中にいたという一つの証明として、私自身の中に何かを残したかったからだと思う。
大教会創立百周年にたいして、三名之川としての心定めをさせていただいていた。信者さん方の真実のお力添えで、初め無理ではないかと思っていた心定めを達成させていただき、心定めの分だけをさせていただこうと思っていた。もう少し足させていただけば、三名之川として始まって以来の数字になるのではあるが、そのもう少しがかなりの数字で一番大変だし、また百十年祭も三年後にあるので、今でも大教会の心定めから見ればかなりの数字だから、そのままいこうかどうしょうかと迷っていたことも確かであった。でもそのお願いづとめの後で弔い合戦やと口に出してようやく決心がついた。死んでもいないのに弔い合戦とはおかしな話だし、それにこれは言うてみれば公私混同というやつかいなと、あのとき確かにそう思いながら、でもおそらくは去って行くであろう君への、混乱した頭の中で自分なりに考えた精一杯の『はなむけ』のつもりだったのだと思う。
あなたの悲しい告別式から何日か過ぎた今、少し冷静になってもう一度あの時の心の動きと意味について考えてみて、あなたにまた助けられた自分を感じています。先案じをするなと言いながら、三年後を思っていた私にあなたはいろいろなことを教えてくれました。
一つの節というのはそれに対面するすべての人にとっての神様からのお言葉だと思います。
あなたの死というものが、それを聞いたもの全ての人にとって、それぞれがその人なりに、自分の中の何かを変える働きをすることが、あなたの死を無駄にしなかったことになるのではないかと思います。
私はあなたの祖母へのおさづけの取り次ぎによって初めて神様の存在を自分なりに信じさせていただくことができました。そんなことを話したこともありましたね。そして今、あなたの死という悲しさの中でまた一つ少しでも成人させていただけるのでないかと思っています。
すこし変わったイントネーションで『たかのりさん』『ふみよちゃん』と呼んでくれたあなたの声を思い出すたびに心が揺れます。
『ふみよちゃん、妻や子が病気になるのではなく、自分がこうなってよかったと思うんや。妻や子がこうなってもこんなに素直にはなれなかったかもしれん。』と言っていたという妻から聞いたあなたの言葉が心に残ります。
神様は私たちに忘れる力をお与えくださいました。どんな悲しみも歳月がそれを少しはやわらげてくれると思います。あなたのことをなつかしさの中で思い出すとき、あなたが死を賭して教えてくれたことも必ず思い出すことでしょう。
さあ、いつものあなたがそうであったように元気よくさよならを言いましょう。
人は死によって消えるのではなく、また生まれかわってくるのだとお聞かせいただきます。
私たちがこの人生を終え、もう一度生まれかわってくるときに、また必ず会えることを楽しみに、今は少しのお別れです。 さようなら またいつか・・・・。 156年5月
『出直し』
先日、三十二歳で亡くなられた方の告別式に出させていただいた。お葬式はどんなお葬式も悲しいものではあるが、まだまだ若い方の出直しはひときわつらく悲しい。ご遺族の挨拶の中で「彼は三十二歳という短い一生でしたが、七十歳、八十歳の年齢を生きた人と同じように充実した一生だったと思います」と涙ながらに挨拶されていた。その言葉を聞きながら、教養係や教会の御用で思うほど『おたすけ』に行かせてもらえず、また幾度か『おさづけの理』は取り次がせていただきながら、あまりにも若い彼にかける言葉も見つからず、一言も『出直し』という素晴らしい教理の話をさせていただけなかった自分が情けなく、心残りで申し訳なかった。
神様は、死を『出直し』とお教えいただいた。出直しを信じられるかどうかが、私たちの信仰が本物かどうかを計る一つのバロメーターになるとおもう。
明治時代、ある大教会長さんは、「今度生まれてくる時は、教祖百年祭の時に精一杯働ける年代で生まれ変わらせていただきたい」と話されて出直されたという。はからずも教祖百年祭の時、何代か過ぎたその大教会の会長さんは働き盛りの三十代であったという。先人たちの臨終の際にはそんな話がごろごろある。
また、最近こんな話も聞かせていただいた。ある先生が単独布教中の厳しい生活の中で男の子を亡くしてしまう。こんなに神様のことを一生懸命しているのに何故だと、その布教師は「神様が出直しとお聞かせ頂くのなら、その証拠を見せていただきたい」と二十一日の願をかけたという。満願の二十一日目の夜、布教師は「何年何月何日」という日めくりのカレンダーの出てくる夢を見た。そして何年か後、ちょうどその夢で見た日めくりの日に男の子を授かったという。
人間が出直しさせていただくのは、陽気ぐらしをさせたいという神様の親心である。人間は生まれ変わり出変わりしながら、だんだんと陽気ぐらしへと近づかせていただくのだとお聞かせ頂く。また、『人間の一生は、神様の一日』ともお聞かせいただく。神様という大きな長い目からみれば、人間の一生は、ほんの一日過ぎただけなのである。
私は想像するときがある。私たちの魂は、陽気ぐらしへと続く長い道を歩いている。歩き疲れ、夜になれば旅館に入り、一日の疲れをとる。その日に十キロ歩いた人は、十キロ地点、頑張って三十キロ歩けた人は、三十キロ地点にある旅館に入り、ぐっすり休んだ後、目覚めた次の日又出発するのだ。到着した場所が、次の日の出発点である。ただ魂の旅と現実の旅とは、違う点が一つだけある。目覚めた以前の事を一つも覚えていないということだ。前の事は一つも覚えていないまま、神様がその人の前日の働きを見てご用意して下さった新しい着物、身体を借りて、この世界に生まれ変わり、また新しい一生をおくるのだ。
出発するとき、神様によって与えられた着物も、着物と一緒に持たしていただいた荷物も、人によってそれぞれである。よい着物もあれば粗末な着物もあり、役に立つ荷物もあれば、重たいだけの荷物もある。しかしそれをどう思いどう使うかに、人生の妙味がある。どんなにきれいな着物を与えられても、振り袖は歩くにはかえって不便な時がある。粗末な着物の方が歩くには適しているのに、こんな着物じゃ恥ずかしくて人前には出られないと、一歩も歩かないまま、夜を迎える人もいるかもしれない。すばらしい荷物を人に見せるのに熱中して、店先で一日を過ごしてしまうものもいれば、重たい荷物のお陰で一歩一歩大地をしっかり踏み締めながら歩き、振り返ると思いもよらずたくさんの距離を歩いた人もいるだろう。
生きた長さがその人の価値ではなく、どれだけ歩いたかがその人の価値である。
「彼は三十二歳という短い一生でしたが、七十歳、八十歳の年齢を生きた人と同じように充実した一生だったと思います」というご遺族の言葉どおり、彼は、たくさんの魂の距離を歩かれたのだと思う。参列の人々の長い列とその悲しみの深さからもそれは容易に感じられた。
この世に残された私たちは、現実の明日の為に今日生きている。明日があると思うから、私たちは今日を生きられるのだと思う。彼の魂の一日は、ひとまず終わった。彼が明日目覚めるとき、彼に追いつき、にこやかに挨拶できるよう、私は私の魂に与えられた今日一日をもっと精一杯生きようと思う。
161年10月
しばらくの間 さようなら
八月、三人の人々と別れることになった。ちょうど先月巻頭言で「厳しい節が続く」と申し上げた言葉どおりになった。
一人はNさん。そんなに身体が丈夫なほうでは無かったのに、毎月欠かさず月次祭に参拝され、昨年末に危ないと言われながらも無事退院し、今年になって二回ほど病の身を押して参拝させていただいていたのをご記憶の方も多いと思う。
そしてもう一人はKさん。毎月欠かさず参拝されており、先月もお会いしたばかり。何年か前、Kさんの義母の年祭でお話した時、「奥さんや娘さん達に引かれて教会へ参ってます」とおっしゃられていた言葉が忘れられない。
そしてIさん。教会婦人会の最長老として六日も二十日も欠かさず参拝されており、来年の奉告祭を楽しみにしていた三名之川分教会の宝。子供や孫にも信仰が伝わり、血につながる『よふぼく』だけでも四十人余りいる。
親しい人々や、信者さんの訃報を聞くたびに、何とも言えない気持ちになる。それが三人も続いたから今月は特に寂しい。
「生まれいずるも出直すも、ことごとく親神の思召しで人の力の得及ぶべくもなければ・・・」とお葬式の祭文では申し上げてはいるが、やはり寂しくつらいことに変わりはない。
しかし寂しくつらいことだけれど、出直した人にとっても、見送った周りの人にとっても、それが神様の選んだ最善の日であったのだとも思う。個々に説明出来ないもどかしさはあるが、一生懸命信仰していれば、何年か後必ずそう思う日がある。理不尽であることが理不尽ではないと思える時が必ず来る。幼いとき亡くした母を始め、たくさんの人と別れて来た私のそれも偽らざる思いでもある。
人間の一生は神様の一日でしかないとお聞かせ頂いたことがある。しかも私たちは死を『出直し』とお聞かせ戴く。夜休むとき、着ていたものを脱いで次の日に新しい着物を着るのと同じように、死も貸して戴いていた肉体を脱ぎすてるだけのことなのだと・・・・。
私たちは陽気ぐらしへの道を歩いている旅人なのだ。疲れた身体を旅館で癒し、着ていた着物を脱ぐように肉体は死を迎える。しかし私たちの魂は生き通しで、又日が明ければ、新しい着物(肉体と環境)を借りて、その場所から出発するのだ。神様のお言葉に
『てがけから いかなをふみち とおりても
すゑのほそみち みゑてないから』(三−三四)
(出掛け(最初)からどんな大道を通っていても、(今さえよければというような心で通っていては)最後には細い道を通らなければならないことがわかっていない)
『いまのみち いかなるみちで もなけくなよ、
さきのほんみち たのしゅでいよ』(三−三七)
(今の道がどんな道でも嘆くなよ、(真実に人をたすけるような心で通れば)必ず先で広い本当の道に連れて通らすのだから、それを楽しみにしていよ)
という相反するお言葉がある。どんなによい着物を着て大通りを出発しても、歩くことを厭い人を蹴落として、自分の幸せだけを追い求めて歩いて来たならば、見える一生がいかにきらびやかであろうが、神様の道は逆戻りでしかないし、細い道へ迷路へと迷い込んでいくだけなのだ。
逆に生まれたときの道や、今歩んでいる道がどんなにつらく厳しい道でも、陽気ぐらしを心に真正直に歩いていたならば、必ず大きな道に到達するのだとお教え戴く。
先月、三人のかけがえのない『よふぼく』が出直した。その年齢も性別も出直し方もそれぞれに違うが、人をたすけ、人に喜んでもらうことを一生の仕事にしようと誓った『よふぼく』であったことに違いはない。
それぞれの『よふぼく』としての働きに大きな敬意を表するとともに、また相応しい着物を借りてこの世にお戻り下さるまで、残念ながらしばしの別れを申し上げ、謹んで哀悼の意を表します。
長い間ご苦労様でした。ありがとうございます。
そしてしばらくの間、さようなら。