そんなときは、こう考えてみるのも一つの方法です。
元気で長生きしている人たちは、いわば「エリート」です。
自分の作戦でそうなったわけではないのだから、誇ることでもないのです。
中村仁
世間は霰よなう
笹の葉の上のさらさらさつと降るよなう
閑吟集
世の中の出来事は、思い通りにはならず、ただ降りかかるものでもあります。
そして、悲しみは人を少し変えてくれます。
天理教では、人は生まれ変わると教えられています。
死とは、「古い着物を脱いで、新しい着物を着るようなもの」であると。
をみなにて またも来む世ぞ生まれかし
花もなつかし月もなつかし
山川登美子
生きかはり死にかはりして打つ田かな
村上鬼城
どうしようもない悲しみの中で、人はふと命の流れに気づきます。
さくら 茨木のり子
ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
(中略)
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
おぢばからの帰り、交通事故によって一瞬のうちに夫と息子を亡くした人の話があります。
その人は、神殿で「どうして」と泣き叫びました。
しかしやがて、教祖のひながたが心に浮かんできたといいます。
深い悲しみの中で、信仰の道が支えとなる瞬間があるのです。
どんなにつらく悲しくても、人は死を受け入れるしかありません。
しかし、人が死んでも、その人が自分の中に生きていると気づいたとき、
人は「ひとりではない」と感じることができます。
そのことが、人を少しずつ慰めていくのです。
苦しみの日々 哀しみの日々 茨木のり子
苦しみの日々
哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
(中略)
少しずつ深くなってゆけば
やがて人の痛みもわかるようになるだろう
人間は受苦によって成長しますが、気を許すと人格までが破壊されます。
だからこそ、日々踏みとどまることが大切なのです。
石牟礼道子
悲しみの中で、人は少しずつ変わっていきます。
それは決して望んだ変化ではないかもしれません。
それでも、その経験は、やがて人を深くしていくのです。