あなたの家の神様3

3.月々のおつとめ

3−1.信者宅祭の日

月々に所属教会の会長さんか教会の人が来られて、おつとめをして下さると思いますが、それを信者宅祭、あるいは講社祭とも呼びます。

宅祭の日は、その家にとって一番大切な日ですから、前もって家中を奇麗に掃除しておくことも大事なことです。

宅祭の日をいつにするかは、教会の会長さんと相談して下さい。そして、毎月何日の何時からというように日と時間を決めて頂くのが理想です。

家の都合も、会長さんの都合も、その月々によっていろいろあると思いますが、できるだけ理想的なつとめ方をして下さい。あなたの努力の積み重ねは、必ず、神様がお受け取り下さるはずです。その内きっと、あなたにも良いことがあると思います。必ず、きっと。

 

 3−2.お供え(献饌)物

お供え物をさせて頂く前に、覆面をつけて下さい。そして、まず神様のお社のお扉を開けて下さい。これを開扉(かいひ)と言います。この時、緊張して力を入れ過ぎると、扉をつぶしてしまう恐れもありますので、注意して下さい。お扉は、ゆっくり、そろっと、厳かに開けて頂いたら結構かと存じます。

次に、覆面をつけたままで、お供え物を神様の前に運んで下さい。

 神様へのお供え物は、日々よりも多く増やして、その季節の旬のものなどもお供えさせて頂くようにすれば、なお良いと思います。

自分たちは日頃からいろいろと美味しいものをたくさん食べているのに、神様へのお供え物が、いつも粗末な物ばかりでは大変申し訳のないのであります。

特に、宅祭の日のお供えは、精一杯の真実を込めてさせて頂きましょう。

お供え物の台数については、お社の大きさにもよりますが、六台から十五台くらいですので、一般的な例を紹介しておきます。

例1)六台の場合

   Bお 魚(上段左側)・@御神酒(上段中央)・A洗 米(上段右側)

   E御菓子(下段左側)・C野 菜(下段中央)・D果 物(下段右側)

 

例2)九台の場合

   Bお 魚(上段左側)・@御神酒(上段中央)・A洗 米(上段右側)

   E野 菜(中段左側)・C 卵 (中段中央)・D野 菜(中段右側)

   H塩 水(下段左側)・F果 物(下段中央)・G御菓子(下段左側)

 

*塩水は「えんすい」で「しおみず」ではなく、塩とお水をお供えして下さい。

例3)十五台の場合

   Dお 魚・B洗 米・@御神酒・Aお 餅・C乾 物

   I海 草・G野 菜・E 卵 ・F野 菜・H海 草

   N 水 ・L御菓子・J果 物・K果 物・M 塩 

 

内の数字は、お供え(献饌)する順番です。

また、お供え物をお下げ(撤饌)する時は、お供えする時と逆の順番でお下げをして下さい。

(おつとめが終わって会長さんが帰られたら、お供えをお下げして頂いて結構です。)

 

 3−3.おつとめ

 おつとめを始めさせて頂く前に、会長さんの祭文奏上があるはずです。祭文の内容は、日々に親神様より頂戴している御守護への御礼が主であり、さらにその時、その旬の心定めも盛り込まれていると思いますので、しっかり聞いて心に治めさせて頂きましょう。

 宅祭のおつとめは、会長さんが拍子木を打って下さると思いますが、この時も家族揃って参拝して、会長さんの声に合わせて一緒におつとめの地歌を歌わせて頂きましょう。

このおつとめは、本当に大切なのです。教祖は、

「命の切り替えする大切なつとめやで」とお教え下さいました。

命の切り替えとは、「人間は生きながらにして生まれ変わる」(諭達第一号)とお教え下されているところであると思います。

お互いに心してつとめさせて頂きましょう。

 

 3−3.宅祭の御礼金

宅祭をつとめて下さった会長さん、教会の方への御礼をして頂きたいと思います。金額はいくらと決まっていませんので、気持ちだけで結構です。

 宅祭の場合は、宅祭をつとめて下さった会長さん、あるいは、教会の方への個人的な御礼ということになりますが、布教所の場合は、布教所長さんが芯となっておつとめをつとめさせて頂く訳ですから、その布教所の月次祭を今月も滞りなくつとめさせて頂いたということに対しての御礼を教会へ運ばせて頂くという意味合いが強くなると思います。まっ、どちらの意味とも決めつけない方が良いかも知れませんが、とにかく御礼の心はお忘れなく。

 

 

4.教会の月次祭

4−1.教会の月次祭に参拝しましょう

 私たちは、お互いに教祖からおさづけの理を頂戴した用木であります。

それぞれの所属教会の月次祭に参拝すること、「おつとめ」に奉仕することは、用木としての月々のつとめであります。

天理教は、一言で申しますと、「おつとめをさせて頂く宗教」です。そして、天理教の教会は、「おつとめをさせて頂くための場所」であります。

 親神様は人間の陽気ぐらしのために、教祖を通して私たちに「おつとめ」をお教え下さいました。「おつとめ」は、(歌う役)の人がを歌い、それに合わせて拍子木、ちゃんぽん、太鼓、すり鉦、小鼓といった鳴り物(楽器)がリズムを刻み、笛、琴、三味線、胡弓がメロディを奏でます。

 そして、六人の男女が踊りを踊ります。みんなが心を揃えて「おつとめ」をつとめる時、何とも言えない陽気な雰囲気に包まれます。神に祈り、歌を歌い、踊りを踊るということは、人間の喜びを表現するための最高の手段であると思います。私たちは、「おつとめ」をつとめることで「神様に生かされて生きている」という喜びを表現しているのです。

 たとえば、拍子木は右手、ちゃんぽんは左手、すり鉦は右足、太鼓は左足、小鼓は男女一の道具(生殖器)、琴は眼、三味線は耳、胡弓は鼻、笛は口というように悟らせて頂くこともできます。おつとめに用いられる九つの鳴り物は、人間の身体にある九つの道具を自由に使わせて頂ける喜びを意味しています。また、男の手踊り役は、眼うるおい(水分)、骨つっぱり(骨格)、種(精子)、女の手踊り役は、ぬくみ(体温)、皮つなぎ(皮膚)、苗代(卵子)というように、人間の身の内における親神様の御守護(お働き)により生かされている喜びを意味しています。

そして、地方の人は、親神様のお心を歌ったを歌うのですから、陽気な心、喜び勇んだ心そのものを意味しています。

このように「おつとめ」は、人間の心と九つの道具の自由、そして身の内の御守護が一つに融合した形であり、神人和楽の喜びに満ちあふれた陽気ぐらしを祈念してつとめられるのです。

教祖は、この「おつとめ」を私たちにお教え下さいました。しかし、当時は天理教に対する明治政府の弾圧があり、何の罪もない教祖にいろいろな言いがかりがつけられて、信者が「おつとめ」をすると、教祖が監獄に連れて行かれることになったのです。当然ながら、当時の信者の人々は、ご高齢の教祖の身を案じて「おつとめ」をすることをためらいました。それでも、教祖は、世界中の人間を一人残らずたすけ上げたいという親心から、尚一層「おつとめ」をすることを激しく急き込まれたのです。さらには、教祖は、御自身の御命(定命)を二十五年も縮めて、御姿をお隠しになられて、その後、私たちが堂々と「おつとめ」をつとめられるようにお導き下されたのです。

だから、この「おつとめ」には、私たちの教祖の尊い御命が込められているのであります。

私たちは「おつとめ」をつとめさせて頂くことにより、陽気な心に生まれ変わり、生きながらにして命(運命)の切り替えをさせて頂くことができます。そして、「人をたすけて我が身たすかる」という境地も味わえます。

こんな有り難い「おつとめ」は、世界中、どこを探してもありません。

親神様あってのこの世界であります。この世界の中で、私たち人間は、自分たちがお互いに暮らしやすいように工夫して、法律や、規則といったものをつくっている訳です。しかし、親神様あってのこの世界であるということ、つく息、はく息、手足の自由、ものを言うも、まま食うも、何から何まで、何一つとして自分の力で出来るものはありません。すべて、親神様の御守護があってはじめて、出来ることばかりであります。

私たち人間は、親神様により生かされているのです。

 親神様のお望み下さる陽気ぐらしを目指して、明るく元気に、喜び勇んで、「おつとめ」をつとめさせて頂きましょう。

 

4−2.教会に参拝しよう

 所属教会の月次祭の日に参拝をさせて頂くのが、私たち用木のつとめであります。しかし、身上(病)になった場合は、鬼の会長さんでも許して下さると思いますが、日頃から「何があっても、教会の月次祭だけは欠かすことができない」という心が定まっていれば、まず、身上になることはないと思います。

だから、まず心定めが第一であります。

 次に、事情で教会に参拝できない場合はどうすれば良いでしょうか。人には、いろいろな事情があります。一番、たいへんな事情は、教会から自分が住んでいる所が、距離的にたいへん遠い場合でしょう。天理教信者は、近くの教会に参拝すれば、それで何もかも事足りるという訳ではありません。どんなに遠くても、自分の所属教会へ心をつなぐことが、信仰の上から、とても大事なことなのです。しかし、実際に所属教会から遠く離れていれば、毎月の月次祭への参拝ができないことも多いだろうと思います。そんな場合は、どうすればよいのか。そんな場合は、教会の月次祭の時間に合わせて、自宅で「おつとめ」をつとめさせて頂くという真実の出し方があると思います。これこそが、何が何でもつとめさせて頂くという姿勢なのです。

 私たちには、いろいろな都合がありますが、その都合を一切捨てて、その中をつとめさせて頂くことが大切であります。