百年史③

三代会長時代

三代会長 樋口金徳は、明治三十九年一月二十四日、東吉野村鷲家 樋口宇三郎の長男として生まれました。

明治四十四年、父宇三郎が一家を挙げて神一条の道に進んだため、金徳も幼い頃から道を歩む者が味わう苦難をつぶさに経験しました。


長じて大阪に出て、消防ポンプで知られるモリタポンプに勤めながら夜学に通いました。

その中で人生に深い疑問を持ち、悶々とした日々を送ることもありましたが、それがかえって真実を尋ね求める因ともなりました。

昭和二年、一切を捨てて教校別科に入学し、昭和三年三月の教人登録以後、田舎へ帰って両親をたすけ、道一条となりました。


しかし神一条の道は厳しく、いんねんの道も険しいものでした。

幾度となく身上事情のお手引きを受け、よふぼくとしての試練を通りましたが、その都度、母ヨシの強い信仰に支えられました。


昭和十一年、父宇三郎が上級鷲家支教会長に就任するため、三名之川宣教所三代所長に就任しました。

長女を亡くし、妻も失い、自らも病弱と闘う苦難の連続でしたが、節から芽が出るとのお言葉の通り、支教会昇格をお受けする心定めによって、高熱の御守護をいただきました。

昭和十二年十一月二十五日、三名之川は支教会となりました。


昭和二十九年三月十八日には、大きな節に出会います。

鷲家分教会月次祭終了後に喀血し、その後十日間、毎日血を吐き続け、死線をさまよう重度の結核でした。

十日目の朝、教祖のお水をいただくと、胸を締めつけるように感じ、それきり鮮やかに喀血が止まるという不思議な御守護をいただきました。


その後も教祖のひながたを目標に、心を倒すことなく布教と信者の丹精に情熱を注ぎました。

また神殿神床部分の増築、付属建物の新築、屋敷の拡張など、今日の教会の姿を築きました。

昭和四十二年三月、上級鷲家分教会長就任のため辞任しました。


三代会長 教歴

  • 大正十三年 十月十九日 おさづけの理拝戴
  • 昭和三年 三月十八日 教師補命
  • 昭和十一年 二月二十一日 三代会長拝命
  • 昭和四十一年 三月十日 辞任

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